1日のうちにはたくさんの偶然の重なりが発生します。
毎朝、テレビの星占いを気にする人が少なくないのもそのためでしょう。
ちなみに私は一切見ません。
偶然の重なりは、いつの日か必然に変わります。
医療関係に進む高校生が書く「志望動機文」に圧倒的に多いのは、
- 祖父の入院中、看護師さんの献身的な姿を見て感銘を受けたから
- 怪我をした際、理学療法士の方が心身両面で支えてくれたから
という内容です。
でも、この2点も偶然の重なりです。
偶然と偶然が重なって必然となり、人生の進路が決定する。
これを「運」と言わずして何と呼ぶのでしょうか?
そう考えた時に、良い偶然と良くない偶然とを判別する能力は動物が生きていく上で必要だと私は考えるのですが。
【運とは何か】看護師さんの姿を見て感銘を受けた
これについては、
- 祖父が病気になる
- 祖父が〇〇病院に入院する
- 〇〇病院の良い看護師さんと出会う
- お見舞いに行く
- 献身的な場面に出くわす
などの偶然が重ならないと、「祖父の入院中、看護師さんの献身的な姿を見て感銘を受けたから」という文章は出来上がりません。
仮にその時、
- 祖父が病気にならなかった
- 違う病院に入院した
- 良い看護師さんに出会わなかった
- 良い看護師さんでも忙しい時間帯だったら…
- お見舞いに行かなかった
上記のたった1つにでも該当しても、上の文章にはならない可能性が高いです。
「志望動機文」に嘘がないなら、高校生の進路を決めたのは偶然の重なり合いと言えるでしょう。
大昔の話ですが、大ヒットドラマ『金八先生』を見て感銘を受け教員を目指した人が少なからずいたはずです。
実際にそういう人を私も知っています。
もちろん現実とドラマとのギャップに悩むことになるのは間違いないのですが。
それでも、次の仮説が成り立ちます。
- 『金八先生』が放映されていなかったら
- 武田鉄矢さんの好演がなく、不人気なドラマに終わっていたら
- 同じ時間帯にもっと好きな番組があったとしたら
- 教員に対して忘れられないトラウマを抱えていたら
- 勉強が心底大嫌いだったら
数え挙げればキリがないですが、何かのきっかけで上の事柄のどれかに当てはまったら、教員を志望しなかった可能性があります。
さて、現実とドラマとのギャップに悩むと書きましたが、金八先生を目指して教員になった人は、ほぼ100%悩む時期があったはずです。
考え方を現実にシフトして、理想は理想として整理することができれば、教員として成功したでしょう。
ところが、現実と理想の整理がつかないまま転職した人も少なくないはずです。
それを経験として自分自身の成長の糧にできれば良いでしょう。
しかしながら、成長の糧にできなかった人は、ドラマを見たことで回り道をしてしまったということになりかねません。
そういう人にとってはドラマの偶然は、あまり良くない偶然だったとなるでしょう。
ここは本人も認識の持ち方次第です。
ですが、
同じ時期に違う偶然と出会っていたら、もっと自分に合った人生を歩めたかもしれないという可能性は捨てきれません。
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最強の偶然と偶然の重なり合い【恋愛・結婚】
進路については、
- 親や先生のアドバイス
- 各種適性検査
- 本人の実力
- 親の経済力
- 家業を継がねばならない
などの影響もあるので、偶然の決定力はマックスではないと思います。
偶然の決定力が MAX なのは、何と言っても 【恋愛・結婚】ではないでしょうか。
- たまたま同じ会社にいた
- 飲みに行ったらたまたま出会った
- たまたま人に紹介された
- たまたま同じ大学の同じサークルにいた
- たまたま同じ時期にアルバイト先で出会った
- お互いが違う相手とたまたま別れたばかりだった
- 忘れられない人と似た雰囲気の人だった
- 偶然趣味が一致していた
- 好きな食べ物が一緒だった
- 住んでいる場所が遠くなかった
- たまたま仕事に困っている時期で助け舟を出した
これも数え上げたらキリがありません。
すべて「たまたま」がつく偶然の産物です。
どれかが欠けていたら、付き合いまで発展しなかったかもしれません。
このように考えていくと、「偶然とは何と強力なものか」と戦慄さえ覚えます。
だから大切なことは、
この偶然が自分にとって良いものか悪いものかを選別すること
ではないかと思います。
職業にあたっては、
- 自分の適性適職にかなっているか。
恋愛や結婚については、
- 良い出会いなのか悪い出会いなのか
- 自分に合う相手か合わない相手か
- 相手の本当の性格(多くの人は自分自身のこともわかっていない…)
などを見極めた方が、何も考えないで前に進むより良いことは多いと思います。
「そんなことまで考えてられるかい!?」
という考えも私は一理も二理もあると思います。
それはそれぞれの生き方だからです。
慎重すぎても良くなく、時には熟慮がマイナスになることもあります。
勢いで前に進むことが必要な時だってあるでしょう。
でも、長い旅には地図が必要という考えだってあります。
【運とは何か】会いたくない人とバッタリ出会う
街で知り合いとバッタリ出会う。これだって偶然の産物です。
私は東京に住んでいた頃、
「大東京で知人とバッタリ出会うことなんてまずないだろう」
と思っていたのですが、意外なことにけっこうバッタリ出会いました。
新宿駅では学生時代の友人とホームでバッタリ出会いました。
大ターミナルなので、知人と会うことが少なくないのかもしれませんが。
新宿だったかな?紀伊国屋書店で大学時代の先輩とバッタリ出会ったり、これまた、日本橋付近を歩いていると知人から声をかけられたり。
親しい人、懐かしい人との「バッタリ」はうれしいものです。
反面、誰にでも会いたくない人がいるもので、キライな人とのバッタリはちょっと残念な気持ちになります。
私の会社員時代の友人が、路上に詐欺にあったのも、違う時間帯にそこを歩いていたら事件に巻き込まれなかった可能性が高いのです。
何を言いたいかというと、人間はどこまでも空間と時間とによって支配されていて、そのどちらかがほんの少しでもズレると偶然は発生しないということです。
時間と空間との一致点、そこから発生する偶然が吉と出るか凶と出るか、これが運の分かれ目の一つだと思います。
上昇気流の運気の時は、
- 偶然が吉になりやすい
下降気流の運気の時は、
- 偶然が凶として働きやすい
と言えるのではないかと思います。
先に書いた「おじいちゃんの入院」ですが、それをきっかけに、
- 看護師になって幸せに暮らしていて、おじいちゃんも全快しているなら、その入院は「吉」であり、おじいちゃんも「入院して良かった」と思っていることでしょう。
- おじいちゃんが回復せず、将来看護師になったお孫さんが「看護師は合わなかった」と転職を繰り返したなら、おじいちゃんの入院は「凶」に働いたことになります。
「しょせん運だから」と言う前に、偶然がいかに人生を左右し運命を決定づける要素になるかを今一度考えてみてもいいのかなと思います。
今日は感想の記事でした。
お付き合いいただいてありがとうございます。
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