2018年(平成30年)9月6日3時過ぎに突然揺れ始めました。
瞬間に「これは尋常な揺れ方でない」と感じた私は寝ている6歳の息子の体にかぶさりました。
あれから2年が経過しました。
深夜にいきなり激しい揺れ、そして停電
夜中のことです。突然スマホからアラートが鳴り目を覚ましました。
「またミサイル?」
その途端、家が揺れ始めました。
ドドン!ドドドン!
こういう形容がぴったりのいきなりの激しい揺れだったように記憶しています。
それでも、さすが子どもです。息子は揺れの最中でも微動だにせずぐっすり熟睡していました。
幸い息子の近くにある本棚は倒れることなく、家族の中で息子だけは朝までしっかり寝ていました。
翌朝、セブンイレブンに行くと、主な食糧はすでに売れてほとんど残っていませんでした。
冷蔵庫も電気が止まっているため、中の飲み物からも冷たさは感じられなくなっていました。冷凍保存食品は、すでにほとんどありませんでした。
私は、パンやクッキーなど残っている最低限の食糧だけ買って帰宅しました。
カップラーメンは買いませんでした。
自宅がオール電化だったため、買っても作れない状況だったからです。
私たち家族は、オール電化の新築の家に住み始めて1か月も経っていませんでした。
引っ越していきなり、便利で快適なはずのオール電化の弱点を突かれることになりました。
私は、開店時間を見計らって、カセットコンロを買い求めにホーマックに行きました。
すると、遠くからわかるほどの長蛇の列。
知り合いが前の方に並んでいたので叫んでみたところ、並び初めてすでに2時間経過しているとのことでした。
「カセットコンロは売り切れました」と大きく書かれた貼り紙を確認しました。
あきらめた私は、思い当たる他の店に車を走らせました。しかし、どの店に行っても、カセットコンロは売り切れていました。
多くの人がカセットコンロを買い求めに走ったようです。
「ガスが止まるぞ」という噂が流れたせいなのか、実際に止まった地域があったせいなのか今でもわかりませんが、とにかくカセットコンロはすぐに売り切れたようです。
実際に「水道が止まる」という噂は私も耳にしました。同じ地域に住む知り合いから、
「水道が止められるそうですから、お風呂を満タンにしてください」とラインを頂戴しました。
翌日になって、それはデマだったとわかりました。水道は止まりませんでしたし、ラインをくださった方からも、「デマだったそうです。すみません。」とラインをいただきました。
電気が復旧するまで、毎日ぬるい冷めた食事で過ごす覚悟を決めるしかありませんでした。
それでも家には多少の食糧がありましたし、何より無事であったことが最大の安心でした。
震源地に近く、もっと大きな被害を受けた方々はそれどころではなかったのですから。
冬の北海道に大地震が発生したら
あの地震が12月以降に発生していたら大変なことになっていたはずです。
オール電化の家ですから、ポータブルストーブは我が家にはありません。
急速に冷えていく家の中で、どうして良いのかわからず、知人宅か避難所に行くしかなかったかも知れません。
冬の北海道で助かるのは、食糧の保存だけでしょうね。雪の中に入れておけば、冷凍保存できるのが北海道の強みですから。
それにしても、、、あの地震が真冬に発生していたらと思うと、ゾッとします。
後日、STVラジオの『桃栗サンデー』で河村通夫さんが、
「2リットルのペットボトルを常に冷凍させておくとよい」
と言っていました。
冷蔵庫の最上段に置けば、2日くらいは冷やしてくれるそうです。
また、飲料水にもなるとのこと。
なるほど!と思いました。
生きる知恵ですね。
スマホの充電量が気になり始める
停電ですから、テレビは映りません。頼りはラジオとスマホです。
翌日から、親戚や知り合いと安否確認の交換が始まりました。
同時にすぐに気になり始めたのは、スマホの充電量です。
当たり前ですが、安否確認を取り合うと確実に蓄電量が減るのです。
しかし、充電することはできません。
私は車に乗って、エンジンから充電することにしました。
時間は掛かりましたが、やるしかありません。
余震がいつ来るとも知れませんから、連絡手段は確保しておく必要があります。
ところが、いくら充電しても追いつかないのです。
午後になると、遠方に住む友人から、に安否確認のメール、ライン、電話がたくさん来るようになったからです。
その度に蓄電量はどんどん減ります。
正直これには、ありがたいのですが困りました。
私もこれまで、地震や台風があった遠くの友人にはすかさず安否確認の連絡をしていました。しかし、この時に初めてわかりました。停電していたら、充電量がなくなることを。親切も場合によることを知りました。
そんな中でも、「不便があったら何でも言ってくれ。すぐに物資を送るから。」と30年くらい会っていない友人からのラインには感動しました。
自家発電ができるガソリンスタンドに救われた
「お一人様2,000円限定で給油します」というガソリンスタンドが現われました。
その連絡は、幼稚園の保護者間のラインで伝わりました。
「あそこのスタンドが営業しています」と連絡を取り合ったのです。ありがたいですね。
行けば当然のごとく長蛇の列でしたが、それでもありがたいことです。
「〇〇のスタンドは今は比較的空いています」
の連絡もラインで取り合いました。
ドコモショップなども「10分間限定ですが、スマホの充電をします」と対処を開始してくれました。
私も行ってみましたが、あふれるほどの長蛇の列でした。
並ぶことを断念して、郊外に車を走らせました。
すると、「スマホの充電をしてください」という貼り紙を発見したのです。わずか数人がそこにいました。
先ほど長蛇の列を見たばかりだったので、にわかには信じられず、車を停めて聞きました。
その貼り紙の主は、札幌市内の建設会社でした。わざわざ発電機を運んできて、無償のサービスをしていたのです。
ドコモには長蛇の列がありましたが、郊外のために知る人は少なく、並ぶ人もほとんどいませんでした。
本当にありがたかったです。時間の限定もなかったのですから。無制限に充電してくださいとのことでした。
集まる人たちはお礼を言ってありがたく充電させてもらっていました。でも、当然ですが、一様に暗い表情で元気はありませんでした。
電気が来ない
それがどんなに不便で、不安なことか思い知りました。あの日の空しい光景は日常とは明らかに違っていました。
人々の気持ちが、景色にも影響することを知った初めての体験でした。
途中、雨が降ってきました。
近所の人が現われて、「うちの車庫を使ってください。広いから大丈夫です。」とわざわざ言いに来てくれました。
その人は、自家発電機を持っているようで充電の必要はありませんでした。本当のご厚意でした。
人は困ったときには寄り添って助け合う
これは本当なのだと感じました。
私も道具一式を運ぶのを手伝いましたが、さて、何としたことか、その親切な建設会社の名前は失念してしまったのです。
あんなに親切をしてくださったのに名前の記憶もしていないとは、私も恩知らずなものです。
そんな時でもいる、困った人や悪い人
充電できないとイラついているタブレットオジさん
その時、充電している(させていただいている)のに、急に文句を言い始める困ったオジさんがいました。
「おかしいよ!いつまで経っても充電されない。もう何時間もやってるのに!」と親切な建設屋さんに文句を言って、充電コードを交換させています。
「こっちもダメだ。おかしいよ。」と。
見ると、オジさんが充電しているのは、スマホではなく大きなタブレットでした。
私は言いました。
「オジさんのはタブレットといって、大きいでしょ?その分、電池も大きいからスマホよりも時間がかかるのは当たり前なんだよ。」
「え?あ?そ~なのか。」と渋々納得?していました。
煌々とネオンを灯して営業するパチンコ店
タブレットのオジさんはかわいい範囲です。
建設屋さんが気の毒に感じたから、私が説明したまでです。
親切にしてくれている人には、ホンの少しでもイヤな思いはして欲しくないものです。
私が本気で腹が立ったのは、パチンコ屋さんですね。
我が家の近隣一帯は、他より数日長く停電が続きました。
「砂川市の火力発電所が稼働を開始した」のニュースに期待したのですが、それでも我が家の近辺には電気は来ませんでした。
信号も真っ暗です。車の運転をするのも恐る恐るでした。
「夜の暗さとは、本来はこういうものなのだな」と昔の人の苦労が心をよぎりました。
うちの家は、トイレも電動なので工夫が必要でした。夜は家の中は懐中電灯だけが頼りです。夕飯は早めに食べました。
冷たい食事でしたが、そんな文句など言える状況にはないことは家族皆が知っていました。
早く電気が来たらいいな!
ではなくて、
早く電気よ来ておくれ!
でした。電力会社のありがたさを初めて知りました。
それというのも、我が家の近所一帯から、数百メートル離れた一帯は、早いうちから電気が灯っているのです。
うらやましたっかですね。
そんな中、
病院はどうするのだろう?
緊急手術が必要な人は?
などの思いが脳裏をかすめました。
そのために、数年前から稼働をやめていた小さな火力発電所が頑張っているのなら、うちに電気が来ないのも我慢するしかないのだなと思っていた矢先のことでした。
「パチンコ屋は普通に営業しているみたいだよ」
と連絡が入りました。
え?こんなに困っている人がいる時に?営業するの?
パチンコするお客もいるの?
これには憤りを感じました。
ありえない!と思いましたね。
翌日、近くを通ると少ないですが車もちゃんと停まっていましたし、ネオンも煌々と灯っていました。
「世も末!」と感じてしまいました。
温泉で久しぶりに熱い湯に浸かり、暖かい食事ができたのに…
何日か過ぎて、(これがもう不思議と記憶にないのです)
風呂に入りたい!
シャワーだけでも浴びたい!
という思いから、ダメ元で郊外の温泉に電話してみました。
「今日から時間を限定して営業しています」
の声に家族は小躍りて喜びました。
食堂で、何日ぶりだったでしょう。
温かい食事をいただきました。
普通のことが、とても幸せなことだったことを強く感じました。
おいしい!
心から思いました。
それからお風呂に浸かりました。これも何日ぶりだったでしょう。
なんという幸せ!
本気でそういう気持ちになれました。
ふだんは、おそろしく贅沢なわがままな思いで暮らしていたことが実感できました。
〇村温泉ありがとう!
ところが、退館直前にフロントに一人のお年寄りが血相を変えて走ってくるのです。話しぶりから常連さんのようです。
「脱衣所のカゴが全部ひっくり返されている!」
「今日は見たことない客が多いから、きっと置き引きがいるんだろう」
ホテルの方は、慌てて対応していましたが、それにしても災害に紛れて人の物をあさるなんて!許しがたい!
いつもは平和な温泉ホテルにも、そういう人がやって来るのですね。
おそらく、震災で困った人が多いから頑張って営業してくれていたに違いないのです。
従業員の人たちだって、家にいたかったはずです。その好意を踏みにじるなんて…。
あとがき
震源地に近い人からみると、私の体験など相当に恵まれた部類です。
人間はイヤな記憶を忘れるようにできている
といいますが、それは本当のようです。わずか2年前のことなのに、私の脳裏から断片的に記憶が抜けているのです。記憶力にはもともと自信があったのですが。
ここ数日、「あれから2年」と報道されています。それを見聞して、
あの日あの時の「人の好意のありがたさ」「幸福の実感」を忘れている自分
に気がつきました。
- 温かいだけで極上においしかった丼飯
- お湯に浸かれるだけで幸せに感じたあの瞬間
それだけは忘れてはいけないなと思って、書いてみました。
お亡くなりになった方々のご冥福を祈りつつ、キーボードの指をおさめたいと思います。
お読みくださってありがとうございました。