【肝】こころ、まごころ、かなめ、大切なところ
【運】めぐり合わせ、さだめ、命運
こんなに大切なものを「試す」なんて良くありません。とんでもないことです。
「肝」なんか試すような軽いものじゃない
ほんとうに軽い気持ちで試さない方が良いと思います。
肝だめしをしてプラスになる話を聞いたことがありません。
むしろ、それによって良からぬことが起こった話をよく耳にします。
あの世があるかないかわかりませんが、あるとしたら大変失礼な話です。
鈴木健二さんが、死に神に抵抗した記事
『気くばりのすすめ』の著者で、元NHKの名物アナウンサーだった鈴木健二さんが死神に抵抗したという記事が10年前の『産経新聞』に掲載されていました。
鈴木さんほど社会的信用もある著名な方が、リアルに不思議な体験を語るのは説得力があります。
医師や看護師の気配をかすかに感じながら、私は胸を押さえつけられ、火あぶりのような熱さに全身を震わせていました。「あ・つ・い…」
すると、左目の端に、赤い火の色をした人の後ろ姿が現れました。彼は私をぐんぐんと引っ張り、私は懸命になって踏ん張りました。
良い記事が見つかったので貼り付けますね。ぜひ全文を読んでみてください。
また、30年くらい前ですが、鈴木さんの著書に、オレンジの光が後ろに見える人を見たら、「あぁ、この人数日後に亡くなる…」と感じ、すべてその通りになったとありました。
そういう時は、知人の場合には別れ際に心の中で「さようなら」を言ったそうです。
どの著書かは失念しましたが、大学生の頃に読みました。雑誌の記事だったかもしれません。
私は、そういう不思議なことを否定しません。
あの世の存在を信じています。
それに、あの世の存在を信じている人の方が信じられると思っています。
信じている人は、この世での行動に善悪の区別を付けようとするに違いないと思うからです。
「運」も試すほど軽いものでない
心のなかで祈りたくなるようなピンチが人生には何度も到来します。
そういう時こそ、運に味方してもらいたいものです。
それほど大切なものを「ためす」なんて、もったいないし失礼だと思います。
私がもし運だとしたら、試して実験する人の味方なんかしませんね。
運は、一生懸命に生きる人に対して「では、ちょっと助けてやろうか」と味方してくれるものだと思います。
「肝だめし」も「運だめし」も軽い気持ちでやるものでないはずです。
そもそも、人は試されることがキライだし、試されると腹を立てます。
自分がされてイヤなことは、何に対してもするべきでないと考えます。
ただし、「腕試し」は良いでしょう。土台が向上心だからです。
私の不思議な体験
私は、あの世のことには詳しくありません。また、ハッキリ見えるわけでもありません。
ですが、何度かそれらしい体験をしましたので、書き記したいと思います。
どなたか「それはこういうことだよ」と教えてくださる方がいらっしゃいましたら幸いです。
母方の祖父母の家で体験した話1
農家でしたから大きな納屋がありました。
「婆ちゃん、家の前で遊んでくるね」と言って、従姉と2人で家の外に行きました。小学5年生の夏でした。従姉は中学1年生でした。
家の前にはトラクターなども置くため広く、乗用車なら軽く8台くらいは駐車できました。
その家の前の広場から、晴れた日はシャッターを開け放っているため、納屋の奥まで見えました。
従姉「あっ、婆ちゃんが納屋にいる」
私「本当だ。でも、ついさっきまで台所にいたよね」
黒い影が納屋の中を歩いています。何かのカゴを持っています。
しかし、全てが真っ黒なのです。
影は身長も雰囲気も祖母に似ていました。
少なくとも、女性の老人であることは確かでした。しかも、祖母よりも多少身軽に見えました。
繰り返しますが、なぜか真っ黒なのでした。それに、音の気配が全然ありませんでした。無音であることは、従姉も感じていました。
従姉も私も、怖くなりました。
「たしかめて見よう!」
どちらともなく、そう言ってスグに家に戻ると祖母はまだ台所にいました。
2人「婆ちゃん、今納屋にいなかった?」
祖母「いないよ。ずっとここにいたよ」
事情を話すと、祖母は納屋まで確認に行きました。泥棒でもいるのかと思ったのでしょう。
祖母「誰もいなかったよ。何か見間違えたんでないのかい」
見間違えではないと私と従姉は確信しています。
従姉は、たぶん曾祖母だったのでは?と今でも言います。
その夏は、曾祖母が亡くなって10年くらいでした。
私は、曾祖母ではないと思っているで、そこは従姉と見解が違うのですが…。
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