東大合格の実力があるのに、本番で力を発揮できず何年も不合格が続いた人。
期待の選手としてスポーツ推薦で進学したのに、怪我で選手生活を断念した人。
「運も実力のうち」と言いますが、とかく実力通りにいかないのが人生です。
- 【運も実力のうち!?】3年連続東大不合格の知人
- 【運も実力のうち!?】スポーツ推薦後の大怪我
- 【運も実力のうち!?】全力を出し切ることの大切さ
- 【運も実力のうち!?】来客の「波」、その原因
- 【運と実力】車の両輪「どちらも大事」
- 【運の原因は潜在意識?】受け止め方が重要
【運も実力のうち!?】3年連続東大不合格の知人
タイミングが悪い出来事が重なる
知人に3年連続で東京大学に不合格だった人がいます。
模擬試験はいつもA判定、またはB判定でした。
本人も実力に自信を持っていました。
ところが、入試直前になると親が急病に見舞われたり、本人が高熱を出したりなど悪いタイミングが重なりました。
結果として、3年連続不合格でした。
「メンタルが弱い」「メンタルも実力のうち」
と言うのは簡単ですが、「不運」が重ならなければメンタルの弱さを露呈しなかったかもしれません。
そう考えると、「不運が足を引っ張った」と言っても過言ではないと思います。
勝負に「たら」「れば」はないと言いますが、それでもやっぱり「たら」「れば」を考えてしまいますよね。
もちろん、不幸や不運が重なっても堂々と合格する人もいます。
それでもやっぱり、人生の節目にはとかく運・不運がつきまとうものではないでしょうか。
もちろん、さまざまなハンディを乗り越えて志望校に合格した人もたくさんいます。
そういう人たちと比較すると「実力がなかった」と言われても本人は否定できないと思います。
しかし、もし万全の状態で受験に向かうことができていたら、違う結果になっていた可かもしれません。
「運も実力のうち」と自分に言い聞かせた
その人は、「運も実力のうち」と自分に言い聞かせたようです。
「悔しさをバネにして次の舞台に備える」
と語っていました。
「大学が全てではない」とも。
おそらく正解だと思います。
強いバネとして、大きくジャンプする日がきっと来てくれるでしょう。
反対に、めでたく志望校に合格しながら、その達成感がしだいに妙な安心感に変わり、しまいには虚脱感へと繋がっていった人を多く知っています。
「燃え尽き症候群」というのでしょうか。
一度燃え尽きてしまうと、炎は簡単には再燃しません。
受験で「灰」になるより、「バネ」になった方が意義ある生き方ができるのではないでしょうか。
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【運も実力のうち!?】スポーツ推薦後の大怪我
3年間レギュラーになれず引退
中学時代に柔道で大活躍し、有名私立高校からスカウトされて特待生扱いで進学した子がいました。
「いました」と書きましたが、毎年相当数の中学生が歩むコースです。
A君という高校生の例を書きます。
優れた素質の持ち主で、柔道の名門高校に進学しました。
ところが入学して半年くらいが過ぎた頃、練習で頸を痛めてしまいました。
頸の怪我は深刻です。
どうしても恐怖心が残ります。
A君はせっかくの豊かな素質を存分に発揮できなくなりました。
結果として、一度も団体戦のレギュラーになれず、個人戦でも目立った活躍はできないまま引退を迎えました。
普通の高校に進学していたら…
普通の公立高校に進んでいたら、練習相手のレベルは下がります。
もしかしたら、頸を怪我することはなかったかもしれません。
例え怪我しても、A君ほどの実力者なら公立高校では1年生からレギュラーを張るのは間違いありませんでした。
しかし反面、公立高校に進んでいたら、練習のレベルが低い分、全国に名を馳せる選手になる可能性はほとんどなかったでしょう。
本当の高みを目指すなら私立名門高校が進路としてはふさわしかったわけです。
頸の怪我さえなければ、相当な選手になっていたかもしれないのです。
一瞬の怪我が人生を変えた
ほんの一瞬の出来事が、彼に致命的な怪我を負わせ、柔道人生を変えてしまいました。
否、活躍いかんによっては柔道で大学に進学することも十分あり得たことです。
怪我が人生を変えてしまったと言っても過言ではないでしょう。
結果論ですが、A君の場合は公立高校に進んでいた方が良かったのかもしれません。
「よかったのかもしれない」というのは上から目線の考えで、その判断はA君の気持ちしだいではあります。
それにしても、柔道を存分にやるために名門学校に進学したのに、一年も経たないうちに大怪我をして思い切った練習が出来なくなってしまった…
その事実を思うとき、やはり人生には運がつきものだと思うのです。
名門高校の練習が悪かったわけではありません。
ほんの0コンマ1秒、違う動きをしていたら怪我はしなかった可能性が高いのです。
格闘技とはそういうものです。いえ、すべてのスポーツの怪我はそういうものでしょう。
【運】「あの日のあの時」に凝縮される
交通事故にも、同じことが言えるはずです。
「あの時、違う行動をしていたら…」
このだと思います。
でも、不運を振り返っても、決してその瞬間は戻ってきません。
特に若い日の不運は「何かを教えてくれるためのものだった」と理解するよりないようです。
でも、やっぱり希望が絶たれるような不運はできることなら避けたいものです。
実力不足で負けたのなら、「負けた!」と叫べばいい。
怪我をして戦えない時に、「怪我した!」と叫んでもやっぱり悔いは残ります。
【運も実力のうち!?】全力を出し切ることの大切さ
受験の日。
解答用紙に向かって全力を出し切った。
そして不合格だったなら、「実力がなかったのだ」と自分自身に呼びかけることができます。
ところが、試験当日に39℃の発熱で実力を発揮できなかった時には、自分自身にどう呼びかければ良いのでしょうか。
「発熱は自己管理が甘かったからだ」
などと自分自身を納得させるのは簡単ではないし時間も必要でしょう。
そして、社会は「運も実力のうち」として、その人を見るものです。
このように運の良し悪しは、人生を左右するし、自信にも影響します。
決して侮ってはいけないと私は考えるのですが。
【運も実力のうち!?】来客の「波」、その原因
商売をしている人には、運を気にする人が多いようです。
「客は、ランダムに来るものではなく、来るときは一気に来て、来ない時はパタッと来なくなる」
ということを、経験的に知っているからだと思います。
お店を経営している知人も「原因がわからない」と言います。
- 流行や景気の影響
- 波に乗れるか乗れないか
などとは関係なく「波」があると言います。
天候ももちろん大事な要素です。
手前味噌ですが、私の場合は命盤を見ることで自分の忙しい時期が予測できるので助かっています。
【運と実力】車の両輪「どちらも大事」
もちろん運だけでは生きていけません。
「運と実力、どっちが大事?」と問われれば誰だって、
「そりゃあ実力が大事だよ」
と答えるでしょう。
- 実力や努力なくしてラッキーはない
- 実力や努力が伴わないラッキーは、すぐに吹き飛ぶ
そんな気がします。
ただのラッキーは漢文の「守株」と同じです。
「走ってきたウサギが、たまたま切り株に頭をぶつけて気絶し、漁師が労せずして獲物を手に入れた」というあの有名な話です。
本当のラッキーは、努力と実力の後についてくるものです。
しかし哀しいかな、努力と実力の後に必ずついてくるとは限らないという難しさもあります。
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【運の原因は潜在意識?】受け止め方が重要
「白星が最高の薬」と相撲界ではよく言われるようです。
白星を重ねると、気持ちも乗ってきて勝ち運も味方してくれるということです。
押し相撲の力士なんかは、特に「乗り」が大切なようです。
これはおそらく、潜在意識が元気になるからだと思います。
潜在意識が活発に働いてくれると、心身の状態をフル稼働で良い方向に導いてくれるということでしょう。
麻雀などの勝負でも、妙に勘が冴える、あるいは不思議な勝ちに恵まれる時があります。
これなども、自分が意識しない潜在意識が活発に働いてくれている状態と言えるのかもしれません。
だから、勝てない時は必要以上に落ち込まず、なるべく早くプラス思考に切り替えることが重要と思います。
「負けを引きずらない」
ということです。
いずれにしても、「運」がないときは大勝負を避けて力を蓄える時期です。
「運の風向き」を知ることは、とても大切だと私は考えます。
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