50歳を過ぎると、30代までには考えもしなかったことをしみじみと考えるようになってきました。
最期の時に何を見ながら瞳を閉じるのか、気になる年齢になりました。
愛する人の瞳を見ながら目を閉じること
家族や愛する人に見守られながら、感謝の気持ちと共に静かに最期の時を迎えられる。
これが一番安らかな人生の閉じ方だと思うようになりました。
高校時代に聴いた谷村新司さんの名曲『愛』の歌詞に、
「最後の景色はおまえの瞳…」
とあります。
高校時代には漠然と聴いていましたが、今の年齢になると、その深い意味が理解できるようになりました。
やっぱり、最後に見る景色は、愛する人の瞳が一番良いなと思います。
「愛とはただひたすらに生きてきたことだと」
で曲は終わるのですが、谷村新司さん、に深い曲を作っていたことを今さらながら感じ入ります。
孤独死が圧倒的に増えてきた現代社会
私の身近でも孤独死の情報が後を絶ちません。
- 風呂の中で亡くなっていた
- 部屋の中でうずくまっていた亡くなっていた
- 布団の中でそのまま眠るように亡くなっていた
など、最近はよく耳にします。
私の身近では、浴場で老人がそのまま亡くなっていた、という話が多いです。
血圧が急上昇するのでしょうね。
風呂の中でもがき苦しみながら亡くなることを思うと、何ともやるせない気持ちがしてきます。
その時に家族が同居していたら、救い出すことは可能だったかもしれません。
その方たちは、最期の時に何を思い、何を見ながら息を引き取ったのだろうかと想像すると…、人生の悲哀を感じずにはいられません。
愛する人の瞳どころが、無感情な天井を見ながら瞼を閉ざす…、何とも言えません。
伊藤博文は、側近に囲まれながら息を引き取った
伊藤博文を暗殺した、本当の殺害者は安重根ではないとの説が強くなっています。
それはさておき、銃弾に倒れた後、伊藤は列車に運ばれ、気付け薬としてブランデーを口に入れてもらったそうです。
そして、犯人の報告を聞き「バカなヤツじゃ」と言った後、昏睡状態に陥り、銃撃後およそ30分後に息を引き取ったと聞き及びます。
訃報を聞いた奥様は、
「やっぱり畳の上では死なない人だったか…」
と言ったとか。
最期にみた景色は、側近たちの目だったのではないでしょうか。
どんな思いで息を引き取ったのでしょうね。
本人にしかわかりませんが。
西郷隆盛は、「もうこの辺でよかぁ」と言って、城山の洞窟の中で自ら命を絶ちました。
最期に見たのは、どんな景色だったのでしょうね。
暗い洞窟の中で、同志たちの姿を目に焼き付けて、瞳を閉じたのかもしれません。
平均寿命がいくら延びても…
平安時代の平均寿命は、30歳前だったと言われています。
明治時代初期は、45歳前後だったとか…。
今の時代は、男性も80代半ば、女性は90歳近くらしいです。
私の祖母は「90歳までは生きたくない」と常々口にしていました。
そのためではないでしょうが、89歳でこの世を去りました。
何を言いたいかといいますと、どんな人間でも必ず最期を迎えるということです。
私自身は、
20代の頃は、死など全く意識しませんでした。
30代でも、遙か遠くのこととしか…。
40代は、仕事だ、育児だ、でそれどころではなく。
でした。
必ず訪れるのが「死」なのに、どうして自分のこととして身近に考えてこなかったのか今となっては不思議なのです。
そして、ちょっぴり後悔の気持ちも…。
もっと考えながら生きるべきだったと反省もしている自分がいます。
拙いブログを読んでくれた若い人に伝えたいこと
- 焦りは禁物ですが、結婚は早いほうが良いです。
- 育児には体力が必要だからです。若いうちが体力があります。
- 老後の資金を貯める時間があります。
- 60歳までに子どもが成人していたら、老後をゆったり楽しめるかも。
- 私の場合は、65歳でやっと子どもが成人します。
- 老後の資金を考えると70歳過ぎまで働かないと厳しいです。
- パパ友、ママ友はほとんどがずっと年下です。いずれ子どもも気にするようになるかもしれません。
- 子どもに手がかかる時期と、親の介護の時期が重なる可能性が高いです。
とはいえ、出会いが少ない時代になりました。
スーパーの惣菜も充実し、コンビニエンスストアもありますから、自炊が楽になりました。
おひとりさまの方が、自分の時間がたっぷりあることも事実です。
でも、
最後の景色は、天井だったり、そばに誰もいなかったり、他人しかいなかったり…、
ではなく、
愛する人の瞳
が最後の景色であったらいいな、、、と私は思うのです。
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