誰でも一切の例外なく死の瞬間を迎えます。
その時何を見ながら瞼を閉じるのか…、
病院の天井?医師や看護師の顔?ちょっとイヤですね。
愛する家族の瞳を見つめながら最後の瞳を閉じる。
「最後の景色はお前の瞳」が理想なのかもしれませんね。
※2020年9月の記事を加筆訂正しました。
【最後の景色はお前の瞳】死の瞬間に見るもの
愛する人の瞳を見ながら瞑目(めいもく)する
家族や愛する人に見守られながら、穏やかに最期の時を迎える。
理想的な人生の幕の閉じ方かもしれませんね。
谷村新司さんの名曲『愛』の歌詞に、
「最後の景色はおまえの瞳…」
とあります。
高校時代には漠然と聴いていましたが、今の年齢になると、その深い意味が何となくわかるようになりました。
やっぱり、最後に見る景色は愛する人の瞳が一番いいなと思います。
「いつの日かこの命終わる時 最後の景色はおまえの瞳」
「いつの日かおまえにもわかるだろう 愛とはただひたすらに生きてきたことだと」
味わい深い名曲ですよ。
人生をしんみり考えてみたい夜にはオススメの歌です。
孤独死が増えてきた現代社会
私も身近な孤独死の話を時々耳にします。
- 風呂の中で亡くなっていた
- 部屋の中でうずくまるように亡くなっていた
- 布団の中でそのまま眠るように亡くなっていた
「浴室でそのまま」が少なくないのは血圧の影響が大きいのでしょう。
私の曽祖父も風呂に入りながら息を引き取っていたそうです。
最後に何を思い、何を見ながら息を引き取ったのだろうと想う時…、人生の悲哀を感じずにはいられません。
愛する人の瞳どころか無感情な天井を見ながら瞼を閉じる…、生きている人には決して知ることのできない瞬間です。
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伊藤博文と西郷隆盛「最後に見た景色」は…
伊藤博文を暗殺した本当の殺害者は安重根ではないという説があります。
それはさておき、銃弾に倒れた後、伊藤は列車に運ばれ気付け薬としてブランデーを口に入れてもらったそうです。
そして、犯人の報告を聞き「バカなヤツじゃ」と言った後、昏睡状態に陥り銃撃後およそ30分後に息を引き取ったと聞き及びます。
訃報を聞いた奥様は、
「やっぱり畳の上で死ねない人だったか…」
と言ったとか。
最後にみた景色は、側近たちの顔だったと推察します。
どんな思いで息を引き取ったのでしょうね。
本人にしかわかりませんが。
西郷隆盛は、「もうこの辺でよかぁ」と言って、城山の洞窟の中で自ら命を絶ちました。
最後に見たのは、どんな景色だったのでしょうね。
暗い洞窟の中で、同志たちの姿を目に焼き付けて瞳を閉じたのかもしれません。
何といっても豪傑ですからね、私ごときには想像もできません。
平均寿命がいくら延びても…
平安時代の平均寿命は、30歳前だったと言われています。
明治時代初期は、45歳前後だったとか…。
今の時代は、男性も80代半ば、女性は90歳近くらしいです。
私の祖母は「90歳までは生きたくない」と常々口にしていました。
願いが叶ったわけではないでしょうが、89歳で世を去りました。
どんな人間でも必ず最後の瞬間を迎えます。
こればかりはどうにもならない事実です。
私自身は、
20代の頃は、死など全く意識しませんでした。
30代でも、遙か遠くのことだと…。
40代は、仕事だ、育児だ、と死のことなど考える暇もなく。
必ず訪れる「死」なのに、現実のものとして考えたことはほとんどなかったです。
兼好法師は『徒然草』で「片時も死を忘れるな」と何度も説いています。
私自身は、もっとしっかり生きるべきだったと今になって反省するばかりです。
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【最後の景色はおまえの瞳】若い人に伝えるなら
- 焦りは禁物ですが、結婚は早いほうが後で楽できるかも。
- 育児には体力が必要です。若いうちは体力があります。
- 老後の資金を貯める時間があります。
- 60歳までに子どもが成人していたら、老後をゆったり楽しめるかも。
私の場合は、
- 65歳で子どもが成人します。
- 老後の資金を考えると70歳過ぎまで働かないと厳しいです。
- パパ友、ママ友の多くが年下です。いずれ子どももそれを気にするようになるかも。
- 子どもに手がかかる時期と、親の介護の時期が重なる可能性が高いです。
男女の出会いが少ない時代になりました。
しかし、スーパーの惣菜も充実し、コンビニエンスストアもあります。
おひとりさまの方が、自分の時間がたっぷりあることも事実です。
でも、最後の景色は、愛する人の瞳であったらいいな、、、と私は思います。
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