私が運命学(四柱推命)を学ぶことを決意した理由の一つに「親友を襲う不幸の連鎖」があります。
不幸と不運は、ある日突然やって来て、時に連鎖します。
「真面目に生きているのに理不尽!理不尽を解明したい!」が学ぶ動機になりました。
【四柱推命】親友を襲う不幸の連鎖
【大学卒業から就職】真面目に一生懸命生きていたのに
彼は、落ち着いた実直な性格です。そして、私より真面目な学生生活を送っていました。
高校時代から学業優秀、文武両道。
けっして褒めすぎではありません。
旧帝国大学を優秀な成績で卒業し、大銀行に就職しました。
地道な努力を継続できる男なので、彼を知る誰もが「安定した人生を送るだろう」と予想していました。
それが、社会人一年目から両親の病気をきっかけに人生の土台が崩れ始めました。
フレッシュマン1年目。その大事な時期に両親が揃って体調不良に陥ったのです。
診断の結果は、2人とも「癌」でした。
友人は、両親2人に癌を告げました。一人ずつ、部屋に呼んで言い聞かせたそうです。
そして、実家を支える役割を担うことになりました。
毎週末は福島の実家に新幹線で帰り、日曜夜には東京に戻るという生活になりました。
新人銀行員として張り切っていた時期です。
彼の両肩には重たいものが一気にのし掛かったのでした。
私は、「なぜ彼が?」とその運命を理解できませんでした。
その疑念が、短絡的でしたが次の行動に繋がりました。
それが、この記事 ⬇ です。
【新入社員時代】両親の癌が同時期に発覚
彼は、大学卒業後、大銀行(名は伏せます)に就職が決まり、意欲を燃やしていました。
私の就職については、
「なぜ上場していない企業に?考え直せよ」
と心配してくれていました。
そんな彼でしたが、社会人一年目の時に両親の癌がほぼ同時に発覚しました。
そこから彼の生活が変わり、しだいに彼の心も病んできたのです。
- 何年か早く親の癌が発見されていたら、彼は地元での仕事を選んだはず
- そうすれば、毎週末の実家との往復もなく心を病まずに済んだかも
【四柱推命】親友を襲う不幸の連鎖「運命のいたずら?」
- なぜ彼がそんな運命に至ったのか
- 彼は心の病から回復できるのか
いろいろな本を読んでも答えは見つかりませんでした。
私が、最後にたどり着いたのは「運命学」でした。
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【四柱推命】親友の四柱命式「悪い命式ではないが…」
【四柱推命】日干「壬」生まれ「官殺混雑格」
日干のエネルギーが強い「官殺混雑格」です。
「偏官」が、月支1個・年上1個・年支1個と合計3個あります。
年は透干して強いです。おまけに時上に「正官」もあります。
官殺が総計4個は相当多く、これは「苦労」に置き換えてもよいです。
よほど日干(自分)が頑張らないと、苦労に押し出されます。
日干「壬」のエネルギーですが、3個の強い根(長生2・帝旺1)があります。
さらに「刃」もあります。
日干側もまずまずの強さがあります。
ただ、どう頑張っても、
日干(自分)のエネルギー<官殺(苦労)のエネルギー
の力量関係は否定できません。
官殺の勢いと、日干のエネルギーのバランスが崩れる運が巡ってきたら、人生が一気にガタつく危険性があります。
【四柱推命】強い「官星」、適職と大運
官星が強く、「偏官」に「正官」が混ざっているので、性格は神経質です。
- 迷いやすく、悩みやすい
- 困難や苦労はつきもの
- 職業の上、変動が多く転職しやすい
実際、彼は4度の転職を経験しています。
〈銀行勤務時代〉
- 実家(親の健康)のことで悩む
- 仕事に慣れず苦戦
- 自身の精神が限界に
- 休職から退職へ
月支偏官の人は、営業やセールスの仕事では満足感が得られにくいです。
市役所は適職ですが、不幸にも鬱が再発してしまいました。
仕事に対して一番やる気を持っていた時期だっただけに気の毒でした。
〈市役所勤務時代〉
- 順調だった
- 結婚し安定期に
- 鬱の再発
- 退職
- 離婚
現在〈某メーカー勤務〉
- 現在は安定
- 日本と中国の往復
- 独身だが人生を楽しむ余裕も
中国にある工場で社員の指導・管理をするのが主な仕事です。
偏官格ですから人を管理する仕事は適職です。
【四柱推命】大運(10年運)の検証する
大運(50~59歳)【乙 丑】傷官運 北方水運
「乙」は凶ですが、「丑」は吉の働きをします。
ようやく小吉の運気に入りました。
対人関係のトラブルや事故には注意が必要ですが、彼にもようやく春が巡ってきたようです。
さらに、大運地支「丑」と日支「子」の支合も吉運を高めます。
鬱の再発の心配はほとんどないでしょう。
大運(10~19歳)【辛 酉】印綬運 西方金運
「大吉」の一番良い時期でした。
- 印綬が「日干」にエネルギーを補給する
- 印綬が強すぎる「官」のエネルギーを吸収する
私が彼と知り合った頃です。
現役で東北大学経済学部に合格し、自信のオーラがあふれていました。
ですが、彼は偏官格です。
本来の力を発揮できるのは経済学部より法学部でした。
その意味では、銀行勤務は適職ではなかったです。
学年が上がるごとに自信のオーラが弱くなっていきました。
今の私なら原因がわかります。大運が「大吉」から凶に移行したのです。
大運(20~29歳)【壬 戌】比肩運 西方金運
しかし、20歳(数え年)からの10年間は、印綬運から比肩運に変わります。
比肩運は、エネルギーを補充してくれる点では良いですが官殺に反発します。
前向きに頑張る気持ちになりますが、 目の前に障害も増えてきます。
- 同僚や友人とのトラブル
- 病気の発生
- 精神の不安定
などの傾向が出やすい時期に突入しました。
大運と月支が申酉戌の西方合するため、印綬の力が強くなりすぎます。
命式のバランスが大きく変動します。
予想しなかった事態も起こりやすく、気持ちも安定しない時期でした。
次に、彼が一番辛かった1年の歳運を簡単に記します。
歳運【壬 申】比肩運・長生
比肩運は、大運の比肩と重なります。問題が発生しやすいです。
そもそも比肩運は、自分自身を再確認する時期です。
人との生死別、別れ、身内や兄弟との関係が強くなるとき、自己主張も強くなるときです。
また、偏財を剋すため、父親の健康に要注意の運です。
年上が偏官で、歳運で比肩が巡ると、運勢に乱れが生じ、問題やトラブルが発生しやすい1年になります。
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彼の人生の転機をざっくり振り返ると
人生のターニングポイント
- 経済学部よりも法学部向きだった
- 初めから地元の市役所に勤務していたら流れは違っていた
⑴両親の癌は不幸だったが、負担は軽減されていた
⑵鬱病も発症しなかった可能性がある
⑶一度かかると再発しやすいので、その後に影響する - 鬱の再発がなければ、市役所を退職することはなかった
・「やりがいがある仕事だ」と言っていたから
離婚直後は、
「市役所職員の俺だから結婚したに違いない」
見捨てられた気分、マイナス思考に苦しんでいました。
元奥さん、このブログを読まないでくださいね(^_^)。
命式が良くても、後天運が悪ければ良さが発揮できません。
後天運(大運)は全体の3割程度の影響力を持ちます。
20~50歳くらいに吉運が巡ってくるのが、人生には一番よいでしょう。
50歳半ばを迎える彼は、自分の人生を俯瞰し安定した気持ちでいます。
「コロナが落ち着いたら札幌に遊びに行く」
一昨年前の約束を今年は実現できるでしょうか。
元奥様との関係は良好
彼は30歳で結婚しました。
市役所に勤務し、実家の近くで暮らしていました。
親の癌の心配も薄れ、心も安定しているように見えました。
勤務OK、親のことOK、そしていよいよ結婚へ!
「もう大丈夫」
結婚式で久しぶりに顔を合わせた友人達と安堵したものです。
しかし、大運を見るとやはり不安定な時期でした。
その数年後、お父様が亡くなり、安定していた母親の鬱が再発し、市役所を休職し退職、そして離婚へ…。
「中国で四柱推命を教えてくれる人がいた」と運命学への理解があるので、
「なんで俺、こんな人生になってるの?」
と聞いてきました。話した内容をまとめたのがこの記事です。
「結婚運はどうなのさ?」
日支「比肩」の人は、どこかしら共通点がある人と結婚することが多いです。
離婚した今でも、年に数回二人で食事をするそうです。
ただ、彼の命式に妻の星「財星」がありません。
たとえあっても、強い「官星」が財星のエネルギーを盗気します。
つまり、彼はもともと結婚の運は強くないのです。
「やっぱりそうかい。中国でも同じことを言われた。まあ、仕方ねえな」
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