日本人レスラー最強は誰?となると、トップに上がることが最も多いのはジャンボ鶴田さんでしょう。
亡くなってから20年。早いですね。
素質は天下一品!もし力士だったら!?
身長196㎝ 体重126㎏ 大きいですね。
相撲界では、「懐が深い」といいます。
昭和50年代半ばの大相撲に目を向けると、
東京タワーといわれた琴若央夫さんが、197cm、139kg。高見山さんが192㎝です。
鶴田さんがいかに「ジャンボ」で懐が深かったのかよくわかります。
相撲界にいても、トップクラスの大きさでした。
一度、相撲部屋に入門した経歴がおありのようですが、もし続けていたら力士用に身体を作るので、体重はおそらく150㎏は超えていたと想像できます。
196㎝、150㎏の均整が取れたビッグサイズの力士になっていたことでしょう。
北の湖さん、2代目若乃花さんが、昭和28年生まれですから、2歳年上です。
稽古さえすれば、柔軟性と運動神経を兼ね備えた「196㎝、150㎏の鶴田さん」が出世しないはずがありません。
大鵬さんが、身長187cm、体重153kgでした。それを上回るスケールの力士になった可能性があります。
当時、柔軟性があって懐も深いといわれた2代目若乃花さんの身長は186cm、体重は133kgでした。
この人以上に、懐が深い力士になっていたことになり、スケールの大きさは想像を絶しますね。
順調にいけば、輪島さんと近い時期に横綱になっていたような気がします。
上背がありますから、上手に手が届きやすく、得意技は上手投げだったでしょうね。
あの柔軟性と運動神経ですから、土俵際の粘りもスゴかったはずですので、本当に大力士になっていたと思われます。
輪島さんは、身長185cm、体重132kgでした。
さて、黄金の左も鶴田さんの右上手に上から抑えられて、投げきることが難しかったと想像します。
もちろん輪島さんも天才ですから、腰に乗せるような投げで対抗したと思われますが、10㎝以上の身長差で上から圧力をかけられると、相当に苦しい展開になったことでしょう。
必殺の右からの強烈なおっつけも力が吸収される形になり、さて、どうやって戦ったでしょうね。観てみたい取組です。
似たタイプになると想像できる2代目若乃花さんは、自分よりも体格が大きい相手に輪島さん以上に苦戦したと思われます。
だいたい格闘技は、似たタイプ同士の戦いだと体格上位者が優位になります。
これは動物界の戦いと同じ理屈が成り立ちます。
鋭い前さばきから、もろ差しを狙い速攻で寄る、頭を付けるなどの流れで対抗するしかないかと思います。
さて、大御所北の湖さんとの対戦です。
最強横綱と呼ばれる北の湖さんですが、2代目若乃花さんをやや苦手にしていた、と私は感じています。
右上手もよく切られ、そうなると苦しい展開になることも少なくありませんでした。
北の湖さんの身長は179㎝でしたので、20㎝近い差があります。
全盛期を過ぎていましたが、身長189cmで当時はまだ160㎏くらいだった若手時代の大乃国さんに大苦戦していました。
昭和59年夏場所、最後の24回目の優勝が現実味を増したのは、5日目に大乃国さんを破ったことでした。
その時アナウンサーは、「北の湖、復活宣言!」と叫ぶように言いました。
解説の神風さんも、「復活宣言ですねぇ」と同調しました。
そのくらい、対大乃国は、北の湖さんにとって難関だったといえます。
また、同じ年に北尾さんを攻めきれず逆転負けを喫しました。
北尾さん、大乃国さんに共通したのは、懐の深さと柔軟性です。それと足腰の良さですね。
それらすべてを鶴田さんは持っています。
下半身が強くなければ、あれだけキレイなドロップキックも放てなかったはずなので、相当に足腰も強靱だったことでしょう。
さしもの北の湖さんでも、がっぷり四つに組むのは不利になるのは明らかで、速攻を仕掛けることは間違いありません。
昭和52年から55年の全盛期の北の湖さんなら、一気に寄り切った可能性もあります。しかし、長引くと不利になったでしょうね。
空想を働かせて書いてみましたが、当時の3横綱と比べても、まったく遜色ないどころか上回る体格と素質を持っていたのがジャンボ鶴田さんだとわかります。
やっぱり「怪物」です。
ジャンボ鶴田さんの四柱推命
日干「甲」の木の人
木は上に伸びたがります。自由を愛し、束縛を嫌います。
プライドも高く、上から抑えられることを嫌うのは、木の性質です。
好きなように伸びていきたいためマイペースになりがちです。
また、木の人は強情な人が多いです。自分のペースを崩されたくないのですね。
《卯》月《甲子》日、春生まれの「印綬格」
月支「卯」と日支「子」は三刑の関係ですので、運命に波乱が起こりやすい命式です。
- 夫婦不和
- 精神的動揺
- 健康上の問題
などのどれかが生じやすくなります。
印綬格で、日干にもエネルギーがあり、良好な印綬格に見えますが、劫財が2つ、羊刃と刃もあって、バランスを欠いているのが残念です。
金銭に心を奪われたり、異性の関係に浮身をやつしたりすると、苦労の生活になりやすいです。
学術・技術・芸術・芸能関係など、いずれかに卓越した素質才能を秘めている可能性があります。
知識欲が旺盛でプライドが高く、本来競争の激しい世界に向くタイプではありません。
自分自身の企画力、アイディア、センス、知性、知識などを活かす方向で進むのがよい人です。 ⇒晩年に就かれた教授職はピッタリだったと思われます。
月干「正官」から、品行方正、穏やかで落ち着いた雰囲気があります。
劫財が2つ、羊刃と刃もあり、本質は、多少ワガママ勝手でアクが強いです。
体のエネルギーが強いため、
- 自信と行動力、困難に立ち向かう気力と精神的な余裕もあり、大成する可能性を秘めている。
- 頑固で融通性がなく、うるさくしつこい ところがある。
- 要領はそれほど良くなく、時に言葉がキツい、 また独断的で人に嫌われやすくなる。
- 表面は穏やかでも、一度怒らすとしつこく責めてきたり、性格も自分勝手で、ソフトさや包容力にやや欠けやすい面がある。
1999年は、 日支「子」と 歳運「 卯」が三刑だった
歳運地支と日支が刑すると、
- 健康不安、精神不安が起こりやすい。
歳運地支と日柱にある印綬が刑すると、
- 親との不和等が生じやすい。
2000年は、 歳運「庚 辰」偏官運
この偏官運は、強力な向かい風が吹く運で、混乱の発生が予測されました。
◇次のような運気になりやすいです。
- 強力なライバルによって行く手を阻まれるようなことが起きそう
- トラブルもついて回るので、事故や災難に見舞われそうな運気
- 精神が抑圧されストレスがたまりやすいので、健康管理が大切
歳運「庚 辰」と大運「丙戌」が天戦地冲になるため、
- 健康不安、精神不安が起きやすい
- 身内や同業者などの病気、事故、不和、離別などが起きやすい
- 他人の影響によって、損失を被ったり被害を受けやすい
- 対人関係の悪化、環境の変化変動も起きやすい
天戦地冲は、かなりイヤな運気に該当します。
- 天干・・・庚×丙⇒敵対関係
- 地支・・・辰×戌⇒冲の戦闘態勢
になる年回りのことで、事故などに特に要注意となります。
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