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【四柱推命】元横綱輪島大士さん〈名横綱の波瀾万丈人生〉

私が相撲を真剣に観戦するようになった昭和53年。東西の横綱は、輪島さんと北の湖さんでした。

北の湖さんは、無限の可能性を秘めた青年横綱。輪島さんは、円熟の名横綱。

その両横綱が角界に君臨した時代は、輪湖(りんこ)時代と呼ばれ、千秋楽の決戦はほぼ毎回長時間の熱戦になりました。

相撲が楽しい時代でした。

今は二人ともお亡くなりになり、時代の流れを感じます。

間違いなく名横綱だった輪島さんですが、私生活では何度か奈落の底に落ちそうになっています。それでもムクムクと起き上がるのは、「乙(きのと)」の打たれ強さのためでしょうか…。

今回は、「え!?そんな古い人の記事?」と思われるかもしれませんが、私にとってはヒーローだった輪島大士さんを四柱推命で見てみたいと思います。

そういえば、貴乃花さんも今、息子さんとの確執で話題になっていますね。
元横綱は、できればスキャンダラスな話題の人になって欲しくないのですが、人生は不思議です。

昭和54年度版『大相撲大百科』ケイブンシャ

昭和54年度版『大相撲大百科』ケイブンシャ

 

 

〈元横綱輪島大士さん〉現役引退後は運命に踏まれまくった「乙」の人

輪島さんですが、強そうに見えますが、意外に繊細な人だと感じていました。

命式を作ってみると、「乙」の人でした。

「乙」は花や草に代表される陰の木です。ドシーンと強いタイプではありません。
どちらかというと温和で社交的な人が多い十干とされています。

しかし、なかなかつぶれません。雑草になれば、少々踏みつけられてもまた、元に戻ってくる強さがあります。

輪島さんですが、現役時代から目立つことをしては何かと叩かれましたが、本当の波瀾万丈の人生に身を投じることになったのは、現役を退いた後になります。

生涯にわたって、アップダウンの激しい人生を送られたようです。

 

1982年4月妻(師匠・大ノ海の長女である輪島五月(旧姓・中島。「輪島五月」名義で著書あり))が自殺未遂(その後離婚)、1985年11月に角界では前代未聞の、年寄名跡「花籠」を実妹の経営する料亭の借金の担保にしていたことが表面化し、日本相撲協会は臨時の理事会を開き、委員から平年寄への2段階降格処分と無期限謹慎処分を決議した。これほどまでの重大な処分が下された影には、輪島が当時抱えていた他の金銭問題や、現役時代からの私生活での豪遊ぶり等も不興を買ったという説もある。

結局これが原因で、同年12月に廃業となった。先代花籠は気を配って育てたが、その脇の甘い育て方が裏目に出たと言える。花籠部屋は部屋の継承者を決めることができず消滅、所属の力士たちは花籠部屋出身の魁傑が開いた放駒部屋へ移籍した。さらに初代若乃花や輪島らの横綱を陰で支えた先代師匠の妻・中島トミが1986年5月23日の夕刻に首を吊り自殺するという悲劇を生んだ。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

輪島大士 - Wikipedia

 

このあたりの経緯は、最初の奥様(花籠親方の娘さん)がかなり辛辣に書いています。

 

 

『ウィキペディア(Wikipedia)』にあるように、引退後は波瀾万丈どころでない人生を歩みました。

かなり強く踏みつけられていますね。「少々」どころではありません。
それでも、また立ち上がるのは「乙」さんだからでしょうか。「甲」と違って、ポッキリ折れませんから。

1986年4月の全日本プロレスへの入団を発表は世間の度肝を抜きました。

私はその頃、仙台で大学浪人をしていました。
相撲ファンだった私は、名横綱が恥をさらさないか心配でした。

衝撃のデビュー戦は、タイガー・ジェット・シンでした。彼は、プロレスに不慣れな輪島さんを引き立てるには適切な相手だったのでしょう。

サーベルを振り回す「狂虎」を演じていましたが、実際のシン選手はクレバーな紳士というのが本来の姿のようです。

輪島さんですが、プロレスでは横綱になれませんでしたが、大衆をプロレスに呼び込む存在感がありました。
そして、天龍源一郎選手との激しい戦いは、かなりエグかったですね。

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【輪島大士さんの四柱推命】日干〈乙〉の冬生まれ「偏印格」

輪島さんの四柱命式〈1948年1月11日生時不明〉

輪島さんの四柱命式〈1948年1月11日生時不明〉

日干のエネルギーはやや弱い「身弱」の人です。
「偏印格」で、格である「偏印」はやや強く、個性派といえます。

 

◇偏印格の人の特徴を書いてみます。

  • ユニークな発想や着想が得意
  • 自己主張が強く、一風変わった個性をしている
  • 自分の生き方や考え方に、強いこだわりを持っている
  • 気まぐれで、飽き性で気も変わりやすい

現役時代に、いきなりパーマをかけたり、リンカーンコンチネンタルで場所入りしたりで、物議をかもしましたね。なかなかユニークな人だったのでしょう。

当時、相撲の稽古としては「腰が軽くなる」という理由からご法度だったランニングトレーニングを取り入れたのも輪島さんでした。これも話題になりましたね。

偏印の特質は、「過去の伝統や考え方にあまりとらわれず、自由な発想ができる」人なので、本領発揮でしたね。

  • 直観力や感性にすぐれ、芸能界や人気稼業に向く人が多い

芸能人との付き合いがとても広く、豪華結婚式を挙げました。

ものすごい数の有名人が招待され、テレビ中継までされた記憶があります。

ジャイアント馬場さんも来ていましたね。インタビューで「横綱はやさしいです」と話していました。

その数年後に、プロレスに身を投じ、馬場さんの弟子になるなんて、当時誰も考えていなかったでしょうね。

「乙」の人は、社交性があって人と争うことを嫌い淋しがり屋といいます。

にぎやかな雰囲気が好きなのも「乙」さんの特徴です。

芸能人との付き合いもたくさんあったのも性格から納得できることです。
五木ひろしさんと大変親しかったと聞いております。

  • 人に頼って、身の安泰を図る気持ちが強い

全日本プロレスを辞めた後も、知名度からたくさんの人に支えられたようです。

 

  • 情愛は深いものがあるが、自分の親しい人に限られている

大鵬部屋にいた友人は、輪島さんのマッサージを一時期していました。
威張らないし、優しかったと言っていました。
ただ、「かなり天然だったわ」とも。


偏印が透干していますから、マイペースをずっと貫く人です。自分勝手に見られることが多くなります。
そこが「天然」につながるのかもしれませんね。

 

  • ルーズで投げやりなところがある
  • 他人の愛情や援助を期待する、自分が得をするような行動を取りがちで、ややズルサがある

この辺りのことは、私にはよくわかりませんが、前述の著書にはそういう側面が赤裸々に書かれてありました。

 

  • 感覚的に動き、首尾一貫しないようなところがある

そうですね。現役引退後の人生を眺めると、そんな感じがしますね。

 

  • お金の管理や運用は苦手で、人事管理に関わる仕事も心理的負担が大きくなるだけ

偏印は財を剋しますから、お金の運用は得意でないでしょうね。

 

配偶者縁

日支の妻の座に食神があります。食神は格である偏印から強い剋を受けます。

そのため、

  • 妻に対して厳しく接することが多い
  • 妻のやる気を阻害するようなことにもなりかねない

などで、家庭生活に潤いが少ないと考えられます。

最初の奥さんについては、かなり負担を掛けたようです。

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それでも私の記憶の中の「黄金の左」は色あせない

私生活はともあれ、やっぱり強くてカッコいい横綱でした。 

名横綱時代の輪島大士さんの勇姿

名横綱時代の輪島大士さんの勇姿

風格がありました。

千代の富士さんのような小兵力士には圧倒的に強かったですね。

私が大好きだった大関の旭國さんは、輪島さんにはほとんど勝てませんでした。

 

高見山さんにはいつも苦杯を舐めていましたね。

高見山さんは巨体ですが、馬力とスピードがありました。

「輪島さんは、北の湖さんのようなスピードがないから取りやすい」と言っていました。

北の湖さんは、「右の強さは最強」と言っていました。

いずれにしても、華のある強い横綱でした。

 

 

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