はっぴーをパワーあっぷするブログ

四柱推命・紫微斗数・奇門遁甲を中心にいろいろなことを書き綴ります

究極「九死に一生の人」【四柱推命】大相撲元関脇長谷川さん

昭和50年代。『大相撲ダイジェスト』という番組がありました。

たびたび解説者として登場していた当時の秀ノ山親方(元関脇長谷川さん)。

「若いのに説得力と眼力がある親方だな」と少年時代の私は感じていました。

この人、長谷川さんですが、ビックリするような人生を歩んでいます。

死にかけたなんて生やさしいものじゃありません。

「関脇で優勝したのに大関になれなかった不運の人」「最強の関脇」とも呼ばれた名力士です。

これぞ究極の「九死に一生」の人

【究極の九死に一生の人】元関脇長谷川さん

「死にかけた」「命拾いした」などの経験は誰でも一度や二度お持ちかもしれません。

しかし長谷川さんも経験は、本当の紙一重ギリギリの命拾いです。

以前にも少しだけ記事で触れましたが、今回は少し掘り下げて「運命」というものについて考えてみたいと思います。

 

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「九死に一生の人」長谷川さん4つの幸運

その代わり、これらの不運を棒引きにするような幸運にも巡り合っている。それも、4回も。

第一の幸運は、終戦になり、樺太から引き揚げて来る船の中だった。まだほんの小さな子どもだった長谷川は、オシッコがどうしても我慢できなくなり、

「決して危ないところに行くんじゃないよ」

と心配する母の声を振り切って船の穂先まで駆けて行き、海に向かって思い切り放物線を描き始めた。

ところが、北海の荒波を受けて船が大きく揺れた拍子に、思わずバランスを崩し、足元に開いていた錨用の穴に落ち込んだのだ。

たまたま体が3分の2近く滑り落ちたところで、目の前にブラ下がっていた綱に夢中でつかまり、事なきを得たが、もしこの綱がなかったら、そのまま海にドボン。おそらくその後の長谷川の人生はなかったに違いない。

2つ目は、その1年後、故郷の上美流渡を流れる川にかかっている橋の欄干に昇って遊んでいるうちに足を滑らし、今度は6、7メートル下の川面まで落ちてしまったのだ。

その転落した目と鼻の先になんと大きな岩が。もし落ちたところがもう数センチ違っていたら、大ケガを負っているところだった。

3つ目は、38年11月の九州場所でちゃんこ番の三段目と、序二段の力士2人が死んだ。“佐渡ケ嶽フグ中毒死事件”のときである。

ちょうど左足首を骨折し、十両から幕下に転落していたときのことで、長谷川も死んだ2人とこのフグを食べようとしていた。

ところが、その食べる寸前で、ある知り合いから電話が入り、話が終わってちゃんこ場に戻ったところ、もう2人が中毒症状を起こしていた。まさに1本の電話が生死を分けたのである。

そして、4つ目は、41年2月の寒い夜、羽田沖で一瞬のうちに大勢の乗客が命を失った全日空機墜落事故のときである。

その犠牲者の多くが札幌の雪まつり客、ということで悲惨さがいっそう浮き彫りになった事故だったが、長谷川もちょうどこの雪まつりを見物に行っており、この事故機に乗ることになっていた。

ところが、札幌で久しぶりに兄弟たちと会って食事をしたり、買い物に手間取ったりしたために乗り遅れ、不本意ながらもう一晩、泊まることになったのだ。

この乗り遅れが命を救った。

「今でも、この4つとも思い出すとゾッとしますよ。
特に、3つ目のフグ事件は、同じ釜の飯を食っていた仲間が死んだだけに、なんとも言えない気持ちになります。触れたくない事件ですね。
2つ目の欄干から落ちた川には、数年前、向こうに行ったついでに見に行ってきました。そしたら、小さくて木もチョロチョロとしか流れていないんですよ。子どものころと、大人になってからでは、物を測る物差しが全然違うんですね。いや、びっくりしました。
4つ目の飛行機事故のときは、さすがに青くなりましたよ。翌日は岩風さん(元関脇)の引退相撲があったので、朝一番の便で帰ったんですけど、部屋の玄関にたどり着いた途端、親方に、バカヤローッ、どうして連絡しなかったんだ、といきなりどやしつけられました。みんな、てっきりあの飛行機に乗っているものと思って心配していたんですって」

と秀ノ山親方は際どいところで生き残った自分の運の強さに改めて感心する。

人間は、わずかなことでどうなるか分からない。もろい基盤の上で生きている。
まして、その人間のやる土俵上の戦いなんて、もっともろく、他愛がない。
だからこそ、逆に大事に。長谷川は、この4つの幸運のおかげで、どんな名僧の説教にも勝る貴重な人生訓を得たのである。(続)

【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・長谷川戡洋編 ひらめきと勇気でもぎとった会心の優勝――[その2] | BBMスポーツ | ベースボール・マガジン社

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【四柱推命】元関脇長谷川さん「身弱の偏財格」

四柱命式

1944年7月20日北海道生まれ

身弱の偏財格で月支が空亡しています。

  • 大事なところで思うような成果が得にくい人
  • 気ぜわしさが付きまとい、落ち着いた気持ちになりにくい人
  • 気が回る性格で何事もそつなくこなす人

大まかに見ると以上のようになりますが、ここでは細かく書きません。

 

【四柱推命】運命学からの検証「なぜ助かったのか」

【四柱推命】歳運からの検証「なぜ助かったのか」

フグ中毒死を免れた年【歳運】

九州場所でちゃんこ番の三段目と、序二段の力士2人が死んだ“フグ中毒死事件”のとき

 

【大運】第3運17~26歳【癸 酉】偏印運 西方金運     

日支【酉】と大運支【酉】が自刑になり、いささか不安定さは拭えませんが悪い10年ではありません。

      
昭和38年11月【20歳】歳運【癸 卯】偏印運

偏印運はこの1年間に好運をもたらします。

偏印運の時期は意外なことが発生しやすいという特徴がありますが、

この命式にとって偏印は吉星なので、

  • 意外なことから好調に発展しやすい(凶が吉となりやすい)
  • 願い事が成就しやすい(調子に乗りすぎると壊れる)        
  • ただし、兄弟や同僚から厄介な影響を受けやすい

という傾向があります。   

以上のように、この1年間は長谷川さんにとって「吉」の効果が強いです。

よくないところをあげるなら、

  1. 大運【酉】と日支【酉】⇒自刑(不安定な出来事の発生や気持ちの不安定)
  2. 歳運【卯】と日支【酉】⇒七冲(不安定な出来事の発生や気持ちの不安定)
  3. 歳運【卯】と大運【酉】⇒七冲(他者から災厄を引き起こされやすい)

と刑冲が重なるため、厄介なことが発生しやすい運気ではありました。

 

墜落事故死を免れた年【歳運】

41年2月の寒い夜、羽田沖で一瞬のうちに大勢の乗客が命を失った全日空機墜落事故のとき

昭和41年2月4日【23歳】歳運【丙 午】傷官運 空亡 

大運は同じです。

傷官運も長谷川さんの命式には吉に働きます。

傷官運の時期は何かとトラブルが起こりやすいですが、長谷川さんの命式にとっては喜神運ですので結果オーライとなりやすいです。

 

歳運が良かったから助かった?

以上から私は「歳運が良かったから助かった」など後付けのような講釈を加えるつもりはありません。

上のような歳運は誰にでもあることです。

もっと歳運が良くても亡くなる人は亡くなります。

 

【四柱推命】神殺からの検証「なぜ助かったのか」

参考までに「神殺」からの検証もしてみます。

天徳貴人

  1. 災難から守られる
  2. 日柱にあるのがベスト。時柱が次点。
  3. 長谷川さんの場合、月支「未」⇒年柱に「甲」からなる「天徳貴人」のため効果に疑問符

天乙貴人

  1. 災厄から守られる
  2. 出世・昇進に吉
  3. 日柱がベスト。時柱が次点。月柱⇒年柱と効果が落ちる。
  4. 長谷川さんの場合、日干「乙」⇒年柱に「申」からなる「天徳貴人」のため強い効果はない


いずれにせよ決定打に欠けます。

 

【四柱推命】日運からの検証「なぜ助かったのか」

そもそも日運など重んじませんが、気にする人も多いので念のため。

1966年2月4日【甲

  • 空亡
  • 午と未(月支)の支合
  • 劫財運

やや厄介な日であることは確かですが、この程度の日は一年に何日も巡ってきます。

また、結果として助かっているので日運を重んじるなら矛盾が生じます。

 

【奇門遁甲】方位の吉凶からの検証「なぜ事故が?」

1966年(昭和41年)2月4日。全日本空輸60便・JA8302号機は、乗員乗客133人を乗せて17時52分にゲートを出発。17時55分に千歳飛行場を離陸し、目的地である東京国際空港へ向かった。

全日空羽田沖墜落事故 - Wikipedia

とあるので、時盤は次のようになります。

1966年2月4日 17~19時 南の方位

天地【己 壬】は「反吟泥漿(はんぎんでいしょう)」と大凶です。

「大きな災いがある」となります。

しかしながら、この程度の時盤はしばしば現われます。

「方位のせいで飛行機が墜ちた」

などを言い出せば、1か月に何機も墜落しないと理屈に合いません。

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「九死に一生の人」占い・運命学の限界

命かそれとも大関か…

長谷川さんの命式から、基礎運は決して強くありません。

月支が空亡しています。

そして、この空亡はどんな大運が来ても解消されません。

実力はあっても、なるようでならない運の持ち主といえます。

大関の実力があると言われながらなれなかった人です。

「何度も命を救ったのだから出世くらいは我慢しろ」と運命の神様は言いたかったのかもしれませんね。


命か大関か・・・

ご本人に聞いてみたいところです。

「どっちもだよ」と答えるような気がしますが。

絶対にどちらかと言われたら、一般の人ならやっぱり命でしょうね。

命は地球よりも重たいものですから。

そういえば、天龍源一郎選手がジャイアント馬場選手にピンフォール勝ちした日、

「この勝利は東京ドームより重い」

という名言を吐きましたが、「命より重い」とまでは言いませんでした(^_^)。

 

占い・運命学の限界「万能ではない」

こういう時、「そのメシは食うな」「その飛行機に乗るな」

と引き止めることができる占い師が存在するかどうか?

いないでしょうね。


まとめてみます。

  1. 奇門遁甲で凶方位だったから事故が起きた⇒極論でしょう
  2. 吉日でないから災難が起きた⇒本人は助かっています
  3. 歳運がよかった・よい神殺を持っているから助かった
    ⇒特別によいわけではない。ゆえに説得力に欠ける。


いろいろ理由をあげてみても、どれも後付けの屁理屈というものでしょう。

助かったのは神の判断としか思えません。

出生時刻がわかれば事故に合いやすい時期などを示すことはできます。

しかし、「その飛行機が危ない」まで見抜くのは無理でしょうね。


さらに「あなたは今日、事故を直前に回避します」まで見抜くなど甚だ疑問です。

直前なら卜占のほうがわかるかもしれません。

次の話は有名ですよね。

伊藤博文の死期の卦までも立てたといわれている。

特に伊藤の時に立てた卦は艮が重なる艮為山で、重艮が安重根を指しているとして、暗殺者の人名も当てたとされている。

しかし伊藤の死を予見しながらも、伊藤の決意を翻すことができなかったことから、これ以後、他人を占うことはなかった。

高島嘉右衛門 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 - Google 検索

易「艮為山」

高島嘉右衛門は「艮為山」を引いて伊藤のロシア行きを引き止めた


凶を予見して制止しても、「大丈夫ですよ」と振り切るのが人の性です。

日頃から頼りにしていたといわれる易者、高島嘉右衛門の制止を振り切った伊藤博文のように。

運命には人の限界を超えた何かがあるように思います。

運命学によってすべてがわかるわけはなく、あるいは、わかっていても逆らえない運命の流れというものがきっとある。

人の一生について思うとき、そんなふうに感じてなりません。

 

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