「凶方位には行くな!運気が下がる。何より危険」
実際はどうなのだろう?そんなに危険なの?
ということで時代背景を比較しながら考察してみました。
また、心配や不安の最中にいる人が「行くな!」「こうしなさい!」などの直言を欲しがる心理についても書いてみました。
でも、本来は人の指示より自分の考えが大切なのは言うまでもありません。
これからは、「本当に必要なことを見極め、取捨選択していくことが切に求められる時代」、そう思います。
※2020年9月の記事に加筆しました。
【方位学・奇門遁甲】凶方位には行くな!?
不安な人は指示されるのが好き!?
「凶方位に行くと運気が下がる」私もこのことは否定しません。
嘘みたいな話に聞こえるかもしれませんが、吉方位に進めばラッキーなことが増えるし、凶方位に行けばイヤなことが増える、これは確かにあると思います。
諸葛孔明が奇門遁甲を駆使して百戦百勝したという言い伝えについて、私は半信半疑です。
それでも、古代から戦や遷都において使われてきたことは事実だと考えています。
最初に出会った占い師さんは「奇門遁甲は使うな。間違うと命を落とすことすらある」と私に言いました。
また、「凶方位に行くのは非常に危険」という文字をブログなどで時々目にします。
私自身の今の考えでは、危険は言い過ぎだと感じています。
危険ではなく「心配」程度に留めておくのが適切ではないか、そんな気がしています。
「絶対に悪いことが起きる!」「危ないから行くな」
実はこの言葉こそが不安をあおり、ストレスを加え、挙句には運を低下させる原因になるのだと思います。
ところが、不安の最中にある人は無意識に指示を求めます。
つまり、自信満々の直言に安心する人が少なからずいるわけです。
そういえば昔、テレビで「あんた、地獄に落ちるよ」という言葉がよく聞かれた時期がありました。
「あなた何様?」と思った人も少なくないでしょう。私もそう感じていました。
とはいえ、あの毒舌(直言)が視聴者からの人気を呼んだのも確かです。
クレームを恐れる風潮の今の世の中で、ズバリものを言える人は貴重な存在なのかもしれません。
推測ですが、テレビ局から「ズバッと厳しいこと言ってください」という要望もおそらくあったのでしょう。
「学校の勉強は家政科を大事にしなさい」「親を敬いなさい」「自然を大切にしなさい」
など、昭和から平成にかけて人々が忘れかけていたものをズバッと指摘してくれる場面も多々ありました。
「なるほどそうだよな」と感じる発言がたくさんあったのも事実です。
もう誰のことだかおわかりですね。
何を言いたいかと言うと、人間はズバッと言ってもらった方がうれしい場合が多いということです。
特に迷っている人や不安を抱えている人にとっては。
極論ですが、たとえ間違っていても、「こうしなさい」「それはダメ」と上から示してもらった方が安心するという側面が人間にはあります。
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「大学は指示がない⇒つまらない」困惑する大学1年生たち
志望大学に見事合格し、笑顔で高校を卒業し進学していった元生徒たち。
夏休み頃に近況報告のため学校に来てくれる子も少なくありません。
規制が多かった高校生活。
勉強や部活に追われ、自分の時間がほとんどなく不自由さを感じていた高校生活。
そういう生活にピリオドを打ち、自由を満喫できるはずの大学生活がスタートした。
普通に考えたら「最高に楽しい」となるはずですが、けっこうな確率で「つまらない」という子が多いのです。
理由の多くは、「自由すぎて何をしたらいいかわからない」「自由だけど友達ができにくい」というものです。
つまり、「指示がない⇒自由⇒何をしたらいいかわからない⇒つまらない」
という図式が成り立つわけです。
クラスの縛りがあれば、いやでも毎日、隣の座席の人、前後の座席の人と顔を合わせます。
そのうち、いつの間にか友達になっていたりします。
大学では座席が決められていない授業が多く、「どこに座ったらいいだろう」と迷います。
また、毎日隣の座席の人が変わるので友達も定着しにくく、そのことがつまらない原因になっているようです。
「ここに座りなさい」「この勉強をしなさい」という指示をもらった方が日々の選択に悩むことがなく気持ち的に楽なのでしょうね。
占いもそうなのでしょう。
「あんた、間違っている」「離婚しちゃいなさい」などの直前をもらいたい人が現代の日本にはたくさんいるような気がします。
こんな世の中ですから、直言することで人気を得ている人も芸能人を始め、次々と現れているようですね。
直言の効果「この人はスゴい」と思わせる
「不安の最中にある人は、自信満々の直言を求める」
この心理傾向を利用して?あえて強気を演じ自信満々な発言をする人がいることは知っておいた方が良いと思います。
実際にいますし、事実それで救われる人もいるのは確かです。
1980年代後半は、予備校全盛期でした。
私も1年間予備校でお世話になりました。人気講師たちは相当な稼ぎを得ていたようです。
『ザ・予備校』という本も出版され、たくさん売れていました。
「共通一次問題を的中した牧野先生が講義に来る」となると、他の予備校の学生まで「もぐり(ある種の侵入)」と呼ばれる方法で教室に入り込み、講義を聞いたものです。
私の通っている予備校に、それこそ何百人も集まりました。
このように当時の人気講師は、まさにタレントのような存在でした。
人気講師に共通していること。私の分析では、
- 自信満々で強気
- 「私の言う通りやれば合格できる」と断言する
- 得点に直結する受験テクニック(秘伝)を持っている
- 時々面白い冗談を言える
- 「そんな勉強法ではダメ!」とハッキリ言う
逆に、不人気な講師も少なからず存在しました。
上記5点を逆さまにすれば不人気の原因がわかります。
- 自信満々に見えない(謙虚という美徳もプラスにならない)
- 「私についてくれば絶対合格」というハッタリを言わない
- 「怪しい受験テクニック」を披露しない(あくまで堅実路線)
- 冗談をあまり言わない。時々言ってもおもしろくない。
- 「そんな勉強法ではダメ」と否定しない
人気講師の言葉を信じて見事合格した人はたくさんいるはずです。
ですから、批判する意図はありません。
でも比較してみると、不人気な講師の方が正直で人間的と言えなくもないような気がするのです。
ただちょっと演出が下手だったような気がします。
もちろん、実力不足の人も多かったでしょうけど…。
ここで、「人気を得るため」のコツをまとめてみますね。
- 自信がなくてもあるふりをする
- 時にハッタリも必要
- 秘伝(受験テクニック)はスゴいと思われる隠し味
- 冗談は、…言わなくてもいいです
- 時には何かを否定して、自分の優位性を見せつける
以上の演出ができて、流暢に語れたならば、人気の度合いもガラッと変わったと思います。
一つ付け加えますと、上の5点のうち2~5がなくても、しっかりした堅実路線で地味でも確実な人気を集める講師も存在していました。
長い目で見ると、そのほうが確実な人気を集めた可能性もあります。
でも、1がないと決定的に人気は集まらない、これは断言できますね。
おかしなことを書くようですが、予備校講師と学生は決して運命共同体ではありません。
高校と違って普通は1年限定の付き合いなのですから。
受講生の合否まで責任として背負う必要はない立場です。
極論すれば「あの先生の講義はタメになる。合格への近道だ」と思い込ませればOKの立場と言えます。
人気の秘訣「毒はカリスマに通じる」
さて、どんな占い師に人気が集まるか、それは予備校講師の分析とそれほど変わらないように思います。
すなわち、
- 自信満々に見える
- 「私の予言通りになる」と直言する
- 運気アップのテクニック(秘伝)をチラつかせる
- 冗談はさておき、話に説得力がある
- 「それはダメ」と直接的指示をくれる
直言は、言われた直後はスッキリするかもしれません。
しかし、時間が経つにつれてだんだん「ホントかな?」と不安になるようです。
その理由はハッキリしています。
自分の意思で決定したものではないからです。
本来は、どんなことでも最終決定者は自分でなければいけません。
決定のためのアドバイスとお手伝い。それがカウンセラーや占い師の本来の仕事なのだと思います。
ずいぶん話が逸れました。
方位についても「こっちに入ったら危険」「こっちに行きなさい」と直言してくれる人をつい信じたくなる。
でも、「本当にそんなに危険なの?」については次項で考察してみます。
もう一つダメ押しですが、「人気=カリスマ」とすると、カリスマには毒も必要ということがわかります。
大人気の有名人はたいがい「毒」を持っています。
「普通の人とは違うピリ辛の感性と表現力」と置き換えたらいいでしょう。
毒は爆発的人気を得る原動力になりえます。
毒を持たない人はパンチ力に欠けます。
ビートたけしさん、アントニオ猪木さん、紳助さん、堀江貴文さん、西村ひろゆきさん、小泉純一郎さん、、、
挙げるとキリがないのですが、爆発的人気を獲得するには、上記5点に加えてカリスマ(毒)も必要な要素だと思います。
そういえば、当時河合塾の人気講師だった牧野剛先生の話にも毒がありましたね。
金ピカ先生も猛毒をお持ちでしたね。
お二人とも、今は故人なのは寂しい限りです。
それはさておき、適度な毒は心地よさ、時に快感に通じます。
しかし、大事な自分の人生です。
毒の快感の中で物事を決定するのは危険すぎると私は思います。
人生の選択は、冷静に本質を捉えながら決めていくべきです。
「凶方位は危険」時代背景からの考察
奇門遁甲が伝承された時代と現代とを同一視してはいけません。
旅をすること自体が危険だった時代。
そういう時代と現代とを冷静に比較して考えてみる必要があります。
今から1000年くらい前、宋の時代に商業が飛躍的に発達したと言われます。
旅先で、食糧を確保する困難がかなり減少したと考えられます。
しかしそれ以前は、なかなか確保できないことも少なくなかったはずで、どうしようもない場合は、民家に立ち寄って無心することもあったようです。
また、『水滸伝』を読むとわかるように、何よりも恐ろしかったのは「追い剥ぎ」の存在です。
物品を奪われるだけではありません。飢餓で苦しんでいる追い剥ぎは、人肉を食べることも厭いませんでした。
旅先の「不運」はそれこそ本物の死活問題だったはずです。
旅の危険度の比較「昔と今」
ここではわかりやすくするため、あえて時代を限定せず「昔」。
「今」は平成・令和の日本国内とします。
追い剥ぎ
- 昔:かなり多かった。命を奪われる危険があった。
- 今:1パーセント以下
虎や熊、毒蛇に襲われる
- 昔:少なからずあった
- 今:1パーセント以下
疫病に罹患する可能性
- 昔:情報も不足していたし十分あった
- 今:低い(昨今はコロナで情勢は変わりつつありますが)
旅先で病に倒れる可能性
- 昔:医療機関もなく命を落とすリスクも十分あった。怪我により歩けなくなる危険も。
- 今:救急車があり、医療機関も充実している。怪我をしてもケアしてもらえる。
道に迷う可能性
- 昔:地図があっても精密性に欠けていたので大いにあった
- 今:地図、スマホアプリ、警察…。登山など特別なケース以外ほとんどない。
台風など天災から命を落とす可能性
- 昔:避難場所もない。家も頑丈でなかった。
- 今:天気予報がある。頑丈な避難場所がたくさんある。
川が氾濫する可能性
- 昔:河岸整備が不十分なため大いにあった
- 今:低い
橋が決壊して長らく帰宅できない可能性
- 昔:大いにあった
- 今:極めて低い
旅先で死んで家に戻れない可能性
- 昔:かなりあった(旅は死の覚悟を背負っていた。唐の大詩人、杜甫もそうだった)
- 今:あっても確率は低い
危険な食べ物を口にする可能性
- 昔:保存状態が悪く可能性は高かった。やむなく野生のものを煮炊きすることも。
- 今:低い
やむなく野宿する可能性
- 昔:人里にたどり着けなければ野宿するしかなかった
- 今:極めて低い
崖崩れなどで道が塞がれる可能性
- 昔:十分にあった
- 今:低い
要するに、昔と今とでは環境が大きく異なるわけです。
昔は、常に危険が隣り合わせだったから、凶方位を極力避ける必要があったのです。
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【凶方位】避けるべきだが、気にしすぎは良くない
「死門の方位に行くと危険!」
「凶方位に転居すると家族が不幸になる!」
上に書いた不運が起きる可能性が今の時代にどれほどあるでしょうか?
社会保障制度のカケラもなかった時代と一緒にして「危険だ」と怖がりすぎる方がよくないと思います。
私ですか?行き先が凶方位とわかっていたら良い気持ちはしません。
しかし、用事があるなら迷わず行きます。ただし、車の運転は慎重に。
そんなことで、いちいち遠回りをしたり、予定を変更したり、現代人は暇ではありません。
電話がなかった時代より、今の時代の方が忙しくてストレスが溜まりやすいのです。
皮肉なことですね。
さて、凶方位に行った人はみんな不幸になっている?
凶方位と知らずに旅行に行った人など相当な数になるはずです。
その人たちが、全員、
- 事故に遭いましたか?
- 病気になりましたか?
- 不幸になりましたか?
同様に、知らずに凶方位に引っ越した人もたくさんいるはずです。
そのすべての人たちが、
- 一家離散しましたか?
- 破綻しましたか?
- 急死しましたか?
- 解雇されましたか?
- 左遷されましたか?
また、基礎運が強い人は多少の凶方位をものともせず、凶意をハネのけます。
やむなく凶方位に行ってしまったら、「気にしない!」これが一番です。
方位ノイローゼになるくらいなら、むしろ気にしない方が10倍イイ。
方位は必要以上に怖がらず、「良いことを増やすための方法」と割り切るのが大切だと思います。
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