私自身のことを書かせていただきます。
「偶然の重なりは必然になる」といいます。
私が文学部に進んだのも偶然の重なりだったと今にして思います。
高校1年から2年生の秋までは、獣医学部に進学するつもりでした。
きっかけは単純でした。
飼育していたセキセイインコの骨折と疥癬症を自分の手で治療した事が一つ。
もう一つは、中学3年生の1年間だけ通っていた塾の先生が、『Dr.ヘリオットのおかしな体験』という本を貸してくれたことです。
しかし、ある出来事をきっかけに獣医学部学はやめて、文学部に進むことにしました。
これもまた単純なきっかけからです。
【偶然の重なりは必然に?】些細な出来事が人生を決める
獣医学部を志したきっかけ〈ヘリオット先生とピー助〉
中学校時代にイギリスの獣医さんヘリオット先生の本で目覚め、高校時代にはムツゴロウさんの本にかぶれました。
その影響から高校2年まで「将来は獣医になろう」と決めていました。
ところが、高校2年の秋に飼っていたセキセイインコが病気になりました。
私は、近所の動物病院に連れて行きました。
獣医さんは、お尻から体温計を刺しました。
現在とは違い水銀計ですから、ある程度長い時間お尻に刺していました。
その間ずっとうんちが流れ出ていました。
うんちは体温計を伝って、獣医さんの手に流れ着き、次には手からポタポタとこぼれ落ちました。
それを見た時、「自分に獣医さんは無理」と感じたのです。
今にして思うと、「そんなことで?」と反省するのですが、当時は「自分に獣医さんは合わない」と直感したのです。
ヘリオット先生の著書には 、「逆子を取り出すなど、肛門から腕を入れるのは日常茶飯時」と書いてありました。
「風呂に入っても臭いは全然取れない」とも。
その部分を読むときは、少しばかり「嫌な仕事だな」と感じましたが、それでも獣医になる志は薄らぎませんでした。
ところが目の前で、しかも自分が可愛がっているセキセイインコのうんちの流れを見て、とっさに「自分には無理」と感じてしまったわけです。
聞くと見るとでは印象が全然違うことを強く思いました。
あの時、動物病院に連れて行かなかったら、もしかしたら獣医学部に進学していたかもしれません。
「ピー助が、お前には獣医は合わないよ」と教えてくれた?
ちなみにピー助というオスっぽい名前ですが、実際はメスでした。
ペット屋さんが間違えたのです。
飼い始めてしばらくして 不思議に感じていました。
- 人の言葉を全くマネしない
- オスにしては体つきが丸っこい
それでも、ペット屋さんの言葉からオスだと信じていました。
そんなある日、ピー助は卵を産んだのです!
本で調べると、それは無性卵でした。
これで決定しました。
ピー助はメスだったのです!
思い起こせば病弱な鳥でした。
私が中学1年生の時のある朝から、片足を上げて歩けなくなりました。
私は書店に行って理由を調べました。骨折だとわかりました。
本に書いてある通りセロハンテープと半分に折ったマッチ棒で接ぎ木をして、治療しました。
脚の皮膚がセロハンテープでかぶれていくのは気の毒でしたが、そのうち両足をついて歩けるようになりました。
しかし、接ぎ木の方法が悪かったのか、治った後の歩き方がベタ足になってしまいました。
中学3年の頃には、疥癬(かいせん)に罹患(りかん)しました。
くちばしの付け根の肉から大きなカビのようなものが出てきて、ひどく痒がりました。
私は骨折を治した経験から、「俺が治してやる」と宣言していろいろな薬を試してみました。
しかし、オロナインを塗ってもオキシドールを塗ってもダメでした。
本屋に行き、たくさんの本を立ち読みしてやっと一冊の本を見つけました。
その本には、「オイラックス軟膏が効く」とありました。
その日からオイラックス軟膏をピー助の顔に塗る治療を始めました。
効果はてきめんでした。
数日もしないうちに、大きなカビ状のものがみるみる小さくなっていきました。
日数は忘れましたが、それほど経過しないうちに完治しました。
ところが、思わぬ副作用がありました。
それは、あんなに仲の良かったピー助が、私のことを
「捕まえて顔に嫌なものを塗りたくる敵!」
と認識してしまったのです。
いつの間にか、私が鳥かごに近寄るだけで、怒り出すようになってしまいました。
指を入れると全力で噛みつくようになりました。
エサを交換する際にも、大暴れするようになりました。
「いつか愛情が伝わる」と考えましたが、それはこちらの都合の良い考えでした。
私の存在が、ピー助に多大なストレスを与えるようになってしまいました。
結果として、かわいそうなことをしてしまいました。
やはり嫌がる治療は専門家にお任せするのが良いのだと悟りました。
それまでは、机で勉強する時も、うるさいくらいにシャープペンをくちばしにくわえ、消しゴムをつついて机から落っことしたりしてきました。
それに飽きたら頭の上に飛び乗って、勉強の邪魔ばかりするほど懐いてくれていたのにです…。
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「獣医の真似事なんか、するんじゃなかった…(涙)」
それが、獣医の真似事をしたばかりに、すっかり嫌われてしまったのです。
天に召される最後の日まで、ピー助は私に心を許すことはありませんでした。
高校2年の秋、学校から帰宅すると鳥かごの舌にうずくまって震えていました。
すぐに動物病院に連れて行きました。
それが冒頭の場面につながります。
獣医さんは、体温を測りました。
「このままでは助からないかも知れない」
「体が小さいから注射を打った瞬間に即死する可能性もあるけどいい?」
「はい。了解しました。注射を打ってください」
帰宅後、ずっと回復を祈りながら見守りました。
突然「ピッ」と叫びました。
私は「最期の叫び」を直感しました。
次の瞬間丸まっていた体が急にピンと伸び始めました。
「死んじゃった…」
嫌われていても、最高に悲しかったことを覚えています。
【運命】人生を変える本と言葉と
好運期には「良い出会い」、低運期には「良くない出会い」が…
『Dr.ヘリオットのおかしな体験』
中学3年の夏休み前に塾の先生が、「この本、面白いよ」と言って貸してくれた本です。
あの塾に通っていなければ、そして先生が貸してくれなかったら、ヘリオット先生の本との出会いはありませんでした。
セキセイインコを飼うことになったキッカケも偶然
私は、小学6年生の冬、久しぶりに従兄弟の家に遊びに行きました。
従兄弟はセキセイインコを飼い始めていました。
うらやましくなった私は、伯父と伯母に「ボクにも買って欲しい」とおねだりしました。
あの時、従兄弟の家に行っていなければ、セキセイインコを飼うことはなかったと思います。
その塾に通った理由も、友人の「塾に行けば他の学校の友だちができる」という言葉を遠くから耳にしたことがきっかけでした。
そしてある日、新聞のチラシでその塾の広告を見つけたのです。
セキセイインコも塾も、どちらも偶然の縁でした。
ピー助がもし病気にならなかったら、高校3年生のギリギリまで獣医さんを志望していたと思います。
私の人生も変わっていたはずです。
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文学部は中学時代の先生の言葉が決め手に…
さて、次に考えた進路は文学部でした。
思い起こせば、これも偶然のいたずらです。
中学1年生の晩秋の頃だったと記憶しています。
放課後、私は一人で廊下を歩いていました。なぜ一人で歩いていたのか記憶にありません。
その時、教室から国語の先生に呼び止められました。
担任でもなかったその先生が、どうして教室で教科書を読んでいたのか、それも今考えると不思議なのですが。
「よう、北のベーア(実際は本名で呼ばれました)、ここの部分、作者が何を言いたいのか意味かわかるか?」
と教科書の小説部分を私に見せたのでした。
「この部分なんだけど、いくら考えても先生には理解できないんだよ。君ならわかるんじゃないかと思って声をかけたんだけど、どうだい?」
こんな言葉をかけられたら、弱冠中学1年生です。うれしさで舞い上がってしまいます。
当然、私にもわからなかったのですが、先生から相談されたことがとても大きな自信になりました。
「自分には国語の才能がある。文学的素質がある」
と勘違いする?きっかけになったのでした。
もし、先生の一言がなかったら、文学部には進まなかったと思います。
その塾に通ったことも友人の言葉をたまたま耳にしたからでした。
塾の先生が、本を貸してくださったのも、運命のいたずらだったような気がします。
たまたま遊びに行った従兄弟の家にセキセイインコがいたことも…。
中学1年の頃、国語の先生が「君ならわかるかもしれない」と言ってくれなかったら、文学部に進まなかったと思います。
私が単純すぎるのかもしれません。
しかし、誰においても人生を大きく左右するのは、「人との出会いと言葉」なのだと思います。
出会いと言葉とは、往々にして偶然から得られるものであり、偶然を生み出すものが「運」ではないかと思うのです。
さらに偶然と偶然が重なり合うと、それが「必然」へと変わっていくのかなと考えたりしています。
さてはて、私の偶然はラッキーだったのか、それともアンラッキーだったのか、それを最後に決めるのは私自身しかいないと思います
今回の記事は、 自分の話ばかりに終始しました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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