高校時代の私は、詩歌が好きになれませんでした。詩歌の授業を聞いても、「はい?それがどうしたの?」「小説と違ってストーリーがないから、全然おもしろくない!」と思っていました。
ところが、高校3年生の現代文の授業のときです。先生が何も言わず黒板に詩を書き初めました。その詩が「山のあなた」です。
何となくその詩に惹かれたことを今でも覚えています。
そのときの私ですが、「大学に合格できたら山のあなたに行けるのかな…」なんて考えていたのかもしれません。
詩歌が好きでなかった私が、大学で文学部に進んで、国文学を勉強することになるなんて、、、。
自分の人生なのに全くどこに進むのかわかりません。
やっぱり「命無正曜格」なのだと思います。
「山のあなた」ブッセ/上田敏
山のあなたの空遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
明治8年(1903)4月発表
出典「上田敏集明治文學全集31」(筑摩書房)
解説がわかりやすいので引用します。著書名は下に記します。
幸は遠くにあれと、絶望感はなし――
上田敏は明治7年(1874)、東京、築地に生まれます。海外の詩を翻訳して紹介したことで知られていますが、敏自身も中学時代から多数の翻訳ものを読んでいたそうです。高校在学中から「文学界」に寄稿し、その同人たちと交友を深めていきました。
東京帝大(現在の東大)の英文科を卒業し、大学院では、「怪談」などで知られる小泉八雲(1850~1904、ラフカディオ・ハーン)に師事します。大学卒業後は、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の教官になりました。やがて、24歳になった明治31年(1898)に、「帝国文学」にフランスの詩を紹介します。これをきっかけとして、次々にヨーロッパの詩を紹介していくことになります。
「山のあなた」は、明治6年(1903)4月の『万年脚』に紹介されます。その後、明治3年(1905)10月に出版された訳詩集、『海潮音』に収録されました。原作者は、カール・ブッセ(1872~1918)で、ドイツの新ロマン派的な抒情詩人です。ブッセは、民衆詩人とも呼ばれており、わかりやすい言葉と調べを使って表現しました。
この作品は、『海潮音』の中でも、もっとも有名な詩の一つといえるでしょう。翻訳で、あるいは、ドイツ語の原書で触れたことがあるという人も多いのではないでしょうか。
ところが、原作者ブッセは、本国ドイツではあまり広く知られてはいないようです。日本では、敏の名訳があったからこそ有名になったと言えそうです。
ただ、日本語訳のほうも、発表当初はそれほど注目をされておらず、『海潮音』に収められてから広く知れわたることになりました。
幸せを求めていったのにそこにはなく、幸せはさらに遠くにあったという、一種の失望ともいえる内容であるにも関わらず、そこには不思議と絶望感はありません。
どちらかといえば、やさしく夢見るような雰囲気が漂っています。敏の翻訳と美しいリズムが、この雰囲気を醸し出しているのでしょう。この詩には、「ひと」と「人」の二種類が出てきますが、これは、翻訳時にきちんと敏が使い分けをしているのです。不特定多数の人々を「人」、特定の人物を「ひと」として表現しています。敏の翻訳に対する真摯な姿勢が表れている一例といえるのではないでしょうか。
「山のあなた」は、ほかの詩人や歌人にも影響を与えました。若山牧水も、この詩に影響を受けて有名な「幾山河~」の歌を作ったといわれています。
海潮音という名前は、四海の音を集めるという意味があるようです。四海ーつまり、世界の詩を集めたということになるでしょう。
ここには、カール・ブッセほかにも、フランスのボードレールやイギリスのロバート・ブラウニングら、二十九人もの詩人の作品が収められています。
『海潮音』は、当時の日本の詩に満足しきらない敏がヨーロッパの新しい詩の動きを紹介することで、日本近代詩に新風を吹き込もうとした意欲あふれる一冊なのです。
『心に響く日本の詩―現代人に贈る癒しの詞華集』から引用
理想郷に「引き寄せ」られて…「引き寄せられの法則」
中国にも「桃源郷」の話があります。
幸せになりたい思いは、世界人類誰しもに共通の願いです。
「不幸になりたい」と真剣に願う人と私はまだ会ったことがありません。
「引き寄せの法則」の反対「引き寄せられの法則」
「引き寄せの法則」とは、自分に幸運を引き寄せるための法則のことですよね。
潜在意識に働きかけるとか、幸運グッズを置くとか、それこそ言霊を意識するとか…。
「引き寄せられの法則」なんてあるのかどうか知りません。私の自家製の言葉です。
理想郷を求める旅は、言ってみれば、「理想郷に引き寄せられて」の旅と言えるでしょう。
「幸(さいはひ)」住む土地を探しに出掛けるわけです。
しかし、行けども行けどもそんな町も土地もなかった…。
「一種の絶望」ですね。
思えば、明治時代、北海道にやって来た人たちも、もしかしたら「幸」を探しにやって来たのでしょう。
映画『北の零年』には、明治の屯田兵たちの夢と希望と絶望と、それでも生き抜こうという強い意志とが描かれています。
ヒグマの恐怖もさることながら、冬の寒さに耐える姿は壮絶です。
風邪による高熱で苦しむ瀕死の女の子が「花を見たい」と訴えます。何もしてあげられない大人たちが考えた最後のアイデア。それは、着物をちぎって木に結びつけることでした。
そして、女の子に「外を見てごらん」と言います。女の子が目にしたのは、色とりどりの花(着物のきれ)を咲かせる一本の木でした。
その木を見ながら満足そうに息を引き取ります。
泣かせるシーンです。
私は、香川照之さんをこの映画で初めて知りました。憎たらしかったですねぇ。
大和田常務の片鱗がすでにありました。
さすが、名優ですね。
北海道に住む人なら、冬の寒さの恐怖がよく理解できます。
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「引き寄せられの法則」と幸福論
「引き寄せの法則」は幸せを引き寄せるための法則のことです。
「山のあなた」を読むと「幸せって何だろう…」と考えさせられる詩でもあります。
幸せというと、洋の東西、とても多くの人が思索し著書に書き記しています。
「幸福論」と名を打つ著書は、それこそたくさんありますが、「三大幸福論」となれば、次の3つが有名ですよね。
幸福論(こうふくろん、Eudaemonics)とは幸福ひいては人生そのものについての考察・論究のことをいう。
今日「三大幸福論」と言えば、ヒルティの『幸福論』(1891年)、アランの『幸福論』(1925年)、ラッセルの『幸福論』(1930年)による3つの幸福論を指す。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用
「幸せ」とは何か?は、人類の永遠のテーマなのでしょう。
「引き寄せの法則」「引き寄せられの法則」人間は幸せを求める
幸せって何でしょう?
人は病に伏したとき、「健康ってなんてステキなんだろう!」と実感します。
私も学生時代に怪我で入院した時に思いました。
ちょうど40日間入院したのですが、
「人は五体満足なだけで十分に幸せなんだ!」と強く感じました。
「健康以上のことは欲張らない!」
とも思いました。
ところが、退院し日常の生活を送るうちに、「健康だけで十分幸せ」という気持ちはいつの間にか吹き飛んでいました。
人は基本的に欲張りなんですね。
今ある「幸せ」に気づかない、気づけない、、、
人は欲張りですから、「山のあなた」に行って「幸」が本当にあったとしても、きっとまた、新しい「山のあなた」を求めてしまうと思います。
また、「引き寄せの法則」で「幸」をゲットできたとしても、きっとまた、満足できない自分になると思うのです。
だとしたら、最強の開運法は「知足按分(ちそくあんぶん)」の境地を知ることなのかもしれません。
自分の「分を知る」こと。
今ある「幸」を実感できること。
そこに本当の「豊かな心」が存在するのかな、、、とも思うのですが、皆さんはどう思いますか?
「山のあなた」に住む人たちにとっては、こっちの土地が「山のあなた」です。
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