「引き寄せの法則」が流行っています。
実践している人、効果はありますか?「何も効果なんてない」という人、「いやいや、これから効果が現われるから!」とムキになる人、いろいろだと思います。
「効果バツグンだよ!」と答える人のほうが少ないのではないですか?
ネットでは、効果については賛否両論です。
本当に正しい「引き寄せの法則」について今日は書いてみます。
勘違いして過信したら、残念なことになる!ことも申し添えておきます。
「引き寄せの法則」楽して得しようなんて考えてませんか?
地道にまさる近道は無い…
「引き寄せの法則」夢=行動力の原動力
好きなものが見つかれば、子どもは頑張ることができます。
だから、小学生の親は、子どもにいろいろな体験をさせようと頑張ります。
野球が楽しい!⇒練習を頑張る⇒人間的に成長する
という構図を親は期待するわけです。
ところが、「野球が楽しい!⇒練習に頑張る」の間に、
「⇒うまくなりたい!」とか
「⇒レギュラーになりたい!」
「⇒ライバルに勝ちたい!」
などが入らないと長続きしません。
一芸を成し遂げた人のほとんどは、
- 「⇒うまくなりたい!」
- 「⇒レギュラーになりたい!」
- 「⇒ライバルに勝ちたい!」
などが心の中にあったはずです。
次の作文ですが有名ですよね。
「夢」
僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校と全国大会にでて活躍しなければなりません。
活躍できるようになるためには練習が必要です。
僕は3才の時から練習を始めています。
3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、激しい練習をしています。
だから1週間中で友達と遊べる時間は5~6時間です。
そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
そして中学、高校と活躍して高校を卒業してからプロ野球選手になれると思います。
そしてその球団は、中日ドラゴンズか、西部ライオンズです。
ドラフト入団で、契約金は、1億円以上が目標です。
このサイトから引用しました。イチロー少年の有名な作文です。
この作文が教えてくれること、それは、
- 夢を持つことの大切さ
- 実現へのプランを立てることの必要性
- プラン実行に向けての習慣づくり
この3つの段階がクリアできたら、夢の実現に近づくことが可能だということです。
「いや、イチローは特別だから…」は事実です。
イチロー少年のスゴいところは、「引き寄せの法則」原点を少年時代から理解していて、それを努力で実現化させた点でしょう。
大人の私たちも、見習う必要がありそうです。
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「引き寄せの法則」3~運も実力のうち、努力も才能のうち
これから、「引き寄せの法則」3段階の検証をしていきます。
1.夢を持つこと
- 夢を持てるものとの出会い(運的要素が大きい)
- 出逢いと書いてもいいかもしれません。
私の少年時代
私の少年時代は、男の子は誰もが公園などで野球をしていました。
4年生のころは、野球バッジが流行ってほとんどの男子は帽子に付けていました。そういえば、スーパーカーも大ブームでしたね。『サーキットの狼』なんかよく読みました。
野球の上手下手は、クラスでの上下関係の基本となっていたくらいみんなが野球をしていました。
王選手の一本足打法をマネる子が多かったです。
私は、下手でした。守備になると、いつのクラスメートから叱られていました((^_^)。
腹が立ちましたが、エラーばかりで申し訳ないので反論しませんでした。
それでも野球は嫌いではなかったです。そういう時代でした。
そんなある日、NKHの相撲中継で大相撲を観ました。
その時に印象に残ったのは、大関の旭國が、小兵ながら上手い相撲でカッコよく勝つ姿でした。
だんだん、「相撲をやりたい!野球よりおもしろそう!」と考えるようになりました。
これが、私にとっての「1.夢を持つこと」でした。
理容院の息子さんが野球に目覚めたきっかけ
私がよく通っていた理容院の息子さんですが、5歳から真剣に野球を始めて中学生になった今では部内でもかなりの選手になっています。
きっかけを聞きました。
その子が4歳の頃の話です。家族みんなで野球の試合をテレビ観戦していました。
一緒に観ていた息子さんが、次の日の朝、「ボク、野球をやりたい」と言ってきたそうです。
「日本ハムの〇〇選手(忘れました)が、ヒットを打ったときに、家族全員が感動して画面に見入ったんです。その時に、息子も一緒になって画面にかじりつくように真剣に応援したんです。ボクは、あの瞬間に彼の人生の方向が動いたと信じています。」
とうれしそうに語ってくれました。
ちょっとしたきっかけが、その子の針路を動かしますね。その瞬間がなければ違う競技をしていたかもしれません。
あるいは、帰宅部だったとか…。
きっかけって大切ですが、何が良いきっかけになるのは読めないことが人生の不思議ですね。
さて、私の相撲はですね、小学5年生で相撲に目覚め、相撲道場を探しました。しかし、北海道にはあまりないんですよね。
そのため、「代用品」(失礼)として柔道を始めました。
大学でも続けましたが、社会人になってからとうとう相撲を取る夢が実現しました。
東京の道場に短期間でしたが、通うことができました。大会に出場することもできました。
そこで朝潮さんなど有名人と会いました。
夢は叶うのですね。ちょっとばかり遅咲きでしたが。
それでも、相撲がなかったら柔道でいろいろな体験をすることができなかったわけです。
大関旭國がいなければ、違った人生になっていたのは間違いないです。
2.プランを立てる
効果的で継続可能なプランを立案する良い師との出会い(運的要素が大きい)
良き指導者との出会いが必要
競技実績はあっても、人間的にちょっと…という指導者はたくさんいます。
ある程度の競技知識がないと、プランを完璧に組み立てることは不可能です。
それには、良き指導者が必要です。
良き監督、コーチ、あるいは先生の存在ですね。
これは、本当に出会いだと思います。これも「運も実力のうち」に入ると思います。
良い指導者に恵まれないために、才能を開花できないで終わった人がどれほどいることか…。
- 威張るだけの指導者
- 強い選手ばかりに目を掛ける指導者
などを実際に多く目にしてきました。
あるいは、優しいばかりで教える理論をまったく持ち合わせていない指導者も多くいます。
小学生のスポーツは、勝ち負けよりも、可能性を育てる指導であって欲しいと私は思っています。
柔道でいえば、膝を畳について投げる「膝つき背負い投げ」を小学生に教えると、けっこう簡単に勝ったりします。
しかし、この技の味を覚えてしまうと、
膝のバネを使わないために真の実力が向上しにくくなる
膝を痛める可能性がある
ということで、将来的に必ずしもプラスとはならないことが多いです。
やはり、フェイントで勝つのでなく、小学生の頃は、正しい競技の基本を礼儀を学んで、将来の可能性の土台を作ることが私は大事だと思うのですが…。
でも、指導者ってどうしても勝ちたいんですよね。
勝てば、保護者からも感謝されますし。でも、目先にとらわれていては、大成する選手もこじんまりと仕上がってしまって、大成できないまま終わってしまうことも多くある、というかそういう例を私は多く見てきました。
3.習慣づくり
ここは、自分の意志の力、継続力、克己心などが絶対に必要ですよね。
運だけでは夢は叶いません!
そんなときに、素晴らしい友人やライバルと出会えたら、非常に心強いですよね。(これも実は運的要素は小さくない)
習慣づくりができたら教育的には半分以上は成功といえると思います。
たとえ、名選手になれなくても、そこから学んだことは大きいと思うからです。
さて、大人はどうかというと、子どもたちと違って結果がシビアに求められますよね。
それでも、目標に向かう習慣づくりは必要なのかなと思います。
一流のブロガーさんたちが書いています。
「ブログを書くことを習慣化したら楽」と。
私は、全然できていません。イチロー少年を見習わなくてはならないかなと思います。
やっぱり、イチロー選手は非凡ですね。
大人も安易に流されてはいけないんだな~と自分の肝に銘じたいと私も反省しながら記事を書きました。
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新約聖書マタイ伝「求めよ、さらば与えられん」も引き寄せ
新約聖書のマタイ伝による福音書に
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば開かれます」
という言葉があります。
「引き寄せの法則」を感じさせる一節です。
私の勝手な解釈を書きます。
「求めなさい
- いろんな経験を積みながら、夢を持ちなさい
- 実現に向けてプランを練りなさい
- 実現への努力を習慣化しなさい
さらば与えられん」
「捜しなさい
- 経験から自分の好きなもの、合うものを見つけなさい。本当の自分の希望を探しなさい
そうすれば見つかります」
「叩きなさい
- 自分の限界まで挑戦してご覧なさい
そうすれば開かれます」
と勝手に理解しています。
クリスチャンの方、勝手な理解で申し訳ありません。
本当は「神の愛を求めよ」の意味だと思うのですが、自分流に考えてみました。
あとがき
冒頭に『「引き寄せの法則」を勘違いして過信したら、残念なことになる!』
それは、引き寄せに期待し過ぎることの弊害のことです。
不確かなものに頼りすぎるよりも、目の前の現実に努力したほうが運も味方してくれると思います。
もし、「引き寄せの法則」が効果なしだったら、、、どうしますか?
信じることは自由ですが、あてにし過ぎることは危険です。
また、私は「言霊信仰」には懐疑的です。
元来、庶民の言葉に力があるとはしていなかったからです。
国や土地の安寧を守護する、スメ神と呼ばれる神が巫祝に憑依して発せられる言語活動であると思われる。そうした国家守護のスメ神の祝福の言葉が言霊であり、一般の人間の言葉に言霊が存在するものではない。
折口信夫氏の論文から引用
ということが、実際のところだったと考えます。
ただし、人に優しい言葉をかける、自分にプラスのイメージを持つ、人を励ますなどにおいては効果があったと思うのです。
何でもかんでも良い言葉を使っていれば運気が上がるとは私は思いません。
ポチッとしていただけるとハッピーです!よろしくお願いいたします。