アントニオ猪木さんが先日お亡くなりになりました。
猪木さんの後継者と言われたのが藤波辰爾さんです。
実は私、昔はキライでした(^_^)。
しかし、私も年齢を重ね、藤波さんの偉大さがわかってきました。
この人はやっぱりスゴい人です。
【四柱推命・藤波辰爾さん】性格鑑定と要注意の年
【四柱推命・藤波辰爾さん】五行「水」、智の人
日干「癸」は五行では「水」です。
水は「智」をつかさどります。
「癸」は雨滴です。
【四柱推命】「癸」の性質
- 努力家
- 忍耐強い
- 思慮深い
- 自分に正直
- 頑固
- 落ち着きがある
- 意外に好き嫌いが激しい
- 実は気が変わりやすい
- 本気で怒ると洪水になる(かなり激しい)
【四柱推命】日支「丑」の性質
- やや口下手
- 内面は明るい
- 協調性あり
【四柱推命】月支「比肩」からの性質
- 言い出したら聞かない
- 自立心が強い
- 人との付き合いは淡泊
- 損得だけでは動かない
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【四柱推命・藤波辰爾さん】「癸」日生まれ、身旺の「偏官格」
次に日干の強さと格式から鑑定してみます。
- 忍耐強い
- 思慮深く実直
- 純情で自分に正直(頑固に見られる)
- 努力家
- 好き嫌いが激しい
- 不満をためやすい
- 反応が素早い
- 考え方は保守的(優柔不断と見られやすい)
- 人の感情にも敏感
- 月支【比肩】⇒プライドが高く、負けず嫌い
- 日支に【刃】⇒一度怒らすとしつこい
- 月支【比肩】、日支【偏官】⇒正義感強く、曲がったことが許せない
五行からの鑑定とほぼ一致しています。
2026年~2028年の2年間は要注意運気です。
【馬場・猪木の後継者】「鶴藤長天」最後の砦
この後は、昭和から平成にかけてプロレスに熱狂していた私の個人的意見を書きます。
よろしかったらお付き合いください。
藤波選手がいて長州力選手が輝いた
有名な噛ませ犬発言からの名勝負数え歌
長州力選手の有名なセリフ、
「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」
いじめられっ子は、「俺も言ってみたい!」と思ったはずです。
昭和57年のことでした。
私もテレビで観ていて、「なんだこりゃ!?」と驚きました。
全国のサラリーマンの気持ちを代弁する名セリフとも言われました。
日本全国、多くの中学生が金曜夜8時にプロレスを観ていた時代です。
それから一連の名勝負が始まりました。
会場では「ちょーしゅー!」コールが鳴り響き、長州人気が爆発するきっかけになりました。
受けのスタイルの藤波選手に対して、長州力選手のスタイルは攻撃です。
一際、強さが引き立ちました。
「実は長州力の方が強かったのでは!?」
と思う人が増えてきました。
藤波選手の存在がなかったら、長州革命は…
「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」
藤波辰爾選手の存在がなかったら、長州力選手は、誰に向かって叫んだでしょうか?
坂口選手?
- 今一つ盛り上がりませんね。年齢差もあります。
猪木選手?
- 「格が違う」とやはり盛り上がりません。
ストロング小林選手?
- その頃は半分リタイア状態でした。
やはり、藤波選手しかいませんね。
藤波辰爾さんがいてこそ、長州革命が成立したと言っても過言ではないでしょう。
受けるより、攻める方が強そうに見えるのも必然です。
言いたいことを言わせて、技も受けきった藤波選手。
きっと心身共にしんどかったと思います。
長州革命の真の功労者ですね。
長州革命から天龍レボリューションへ
あの長州力が全日本プロレスに乗り込んだ!
激しくスリリングな試合が繰り広げられる新日本プロレス。
ゆったりまったりとした試合が多い全日本プロレス。
鶴田選手と天龍選手はまだライバル関係ではありませんでした。
平穏な全日本プロレスのリングに新日本プロレスの長州力が乗り込みました。昭和59年のことです。
これには当時のプロレスファンは度肝を抜かれ熱狂しましたね。
長州は、鶴田、天龍、そして、ジャイアント馬場とどんな戦いを展開するのか!?
全日本プロレス勢は、長州力をどう受け止めるのか!?
期待感が最高潮に高まりました。
昭和プロレスはブラウン管を通して毎週のように熱狂を届けてくれました。
良い時代でしたね。
長州力を迎え撃ったのは、天龍源一郎でした。
サソリ固めにはテキサスクローバーホールドで対抗し、ラリアットには延髄切りで立ち向かいました。
天龍選手が急にリングで生き生きと輝き始めました。
「憂鬱な男」と呼ばれていた天龍選手が変わっていくキッカケになったのは明らかに長州力選手の影響だったと思います。
長州力がいなかったら、天龍レボリューションは…
天龍選手にとって、長州力選手は本気で燃えることができる相手でした。
しかし、昭和62年、長州力選手は古巣の新日本プロレスに帰ってしまいました。
最初の恋人である藤波選手のところに戻ってしまったのです。
つまり、結果的に天龍選手は失恋した…。
この失望感をぶつけたのが「天龍革命」だったと私は思っています。
「天龍革命の減点は、失恋だった」ということです。
失恋は、最大限の心理的パワーを生み出します。
当時の天龍選手は、藤波選手がキライだったはずです。(^_^)
勝手な妄想を書いてすみません。
でも、少なくとも、当時の私はキライでした。
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【偉大な功労者】もし藤波選手がいなかったら…
- 藤波選手がいたから長州力選手がブレイクした
- 長州力選手が乗り込んだから、天龍選手が変わった
- 天龍選手が変わらなかったら、天龍革命はなかった
- 鶴龍対決の大ブレイクはなかった
天龍選手は長州力選手とぶつかることで戦うスタイルが変わりました。
だから、後に全日本プロレスが盛り上がった原点は、長州VS天龍だと思うのです。
プロレス人気の原点は藤波辰爾選手
藤波選手への「噛ませ犬」発言
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長州力選手の大ブレイク、名勝負数え歌
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長州力選手が全日本プロレスに乗り込む
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天龍選手のブレイク
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長州力選手が新日本プロレスに戻る
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天龍革命の大ブレイク、鶴龍対決
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天龍選手のSWS移籍
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全日本プロレスの危機
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四天王プロレスの完成と全日本プロレスの大ブレイク
このように俯瞰してみると、スタート地点は藤波選手です。
馬場猪木の全盛時代を終えた昭和の終わり頃、プロレスを盛り上げた最大の功労者は藤波選手だったと私は思うわけです。
実は私、藤波選手のことを好きでありませんでした。
しかし、改めてプロレスの歴史を再考すると、どう考えても藤波選手は偉大です!
今は応援しています。
馬場・猪木の後継者と言われた「鶴(鶴田)・藤(藤波)・長(長州)・天(天龍)」の4人の中で、今も現役を続けているのは藤波辰爾さんだけですから。
懐かしいですね。
「鶴(かく)・藤(とう)・長(ちょう)・天(てん)」=格闘長天
と『週刊ゴング』がキャンペーンを売っていた熱い時代が。
プロレスファンにとって、熱くて良い時代でしたね。
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