昭和の名レスラー、超獣ブルーザー・ブロディ選手。インパクト満点の強豪レスラーでした。
1988年にプエルトリコでレスラー仲間による凶刃に倒れました。その戦慄の最期にファンは大きな衝撃を受けました。あれから、32年が経ちました。
1988年は冲が重なる危険な年だった
42 歳 歳運【戊 辰】正官運
歳運【戊 辰】
大運【戊 戌】
日柱【癸 亥】
月柱【甲 午】
年柱【丙 戌】
辰×戌=七冲
⑴歳運、大運、命式に冲が重なるため、
- 業務上や家庭上、健康上に厄介ごとが起きやすい。
⑵歳運と大運が冲または刑になるため、
- 他人の影響によって、損失を被ったり被害を受けやすい年。
- 家庭不和、健康不安、精神不安、対人関係の悪化、環境の変化変動が起きやすい。
という良くない運気の中にいました。
さらに悪いことが重なる根拠を記事の最後に書きたいと思います。
いよいよハンセンVSブロディが実現する直前だった!?
時あたかも、ライバルであり親友ともいわれたスタン・ハンセン選手との一騎打ちの実現の機運が最高潮に達していた時期でした。
突然の悲劇は、最強外国人レスラー対決の夢が絶たれた瞬間でもありました。
今回は、故人を偲ぶ形になりますが、名レスラー「キングコング」ブルーザー・ブロディ選手を鑑定してみます。
ブロディ選手の四柱推命
《癸亥》日の《午》月生まれ、真夏の雨タイプの人
癸は雨です。
辛抱強く水を溜めて、大きな川を作る人です。
忍耐強く、思慮深い人が多いのはそのためです。
ブロディ選手も、きっと辛抱強い努力の人だったと思います。
雨ですから、風には敏感です。
必然的に、人(風)の心を敏感に読み取ろうとします。
雨は、降りたいときに降ります。「降るな!」と天に向かって叫んでも降ります。
すなわち、マイペースの人です。
豪雨になる時もあります。特に夏の雨は干上がることを恐れるので激しいです。
遠慮して降ると蒸発してしまうので、存在を消さないためにも、ガンガン降ります。
だから、とても頑固で、協調性もなく、気に入らないと強く反発します。
好き嫌いも非常に激しいと言われるのは、《癸》の人だからです。
身弱の「月支偏官格」
ブルーザー・ブロディ選手は、1946年6月18日に生まれ、1988年7月17日に逝去しました。
月支偏官格です。時柱が不明のため、三柱推命になります。三柱でみると、身弱の人と判定されます。
本質は図太くありません。
見た目は、月干にある甲の傷官の影響で、
プライドが高く、 気持ちが繊細で些細なことにこだわり、悲観的、否定的になりやすい人
となります。
だから、敵と味方を嗅ぎ分けるため神経を尖らせながら生きます。
おおかたのファンも、プライドが高いレスラーのイメージを持っていたと思います。
本人も、自身のプライドの高さをインタビューで強調していました。
繊細とはあまりイメージに合わないですが、
- 臆病なため、神経質で無愛想になる
- プライドが傷つけられると反発心が強まりやすい
- ときには、大胆な行動に出るようなことある
- 人柄は誠実な倹約型
- 努力と刻苦で栄冠を勝ち取る堅実な人
以上が持って生まれた本質です。
新聞記者をしていたことは有名な話
レスラーになる前は新聞記者をしていたらしいですね。
インテリジェンス・モンスターと呼ばれたように、インタビューでも知的な応答が多く、頭が良い人だったようです。
プライドが高いので、節を屈してまで他人にペコペコする人ではなかったと思います。
自分の理想とするプロレススタイルへのこだわりは非常に強かったようです。
そういえば、おそらくアングルではないと思いますが、新日本プロレス参戦の際には、
「チェーンをやめろ」
「絶対にやめない」
の一悶着があったと報道されています。アングルかもしれませんが。
長州との戦いで、危険なイメージが定着した
日本で本当に人気を博したのは亡くなる数年前からではないでしょうか。
それまでは、何となく地味なイメージでした。
スタン・ハンセン選手のような華は感じませんでした。
全身に迫力のオーラはあるのですが、独特の間がゆったり感を生じるため、今一つ緊迫感に欠けていたような気がするのです。
それが、突き刺すようなブロディ・キック(古館アナウンサーはダイナマイト・キックと呼んでいた)を繰り出すようになってからは、試合展開がスピー
ドアップして、豪快な強さがわかりやすく伝わるようになったように思います。
一度だけあった長州力さんとの対戦では、タッグマッチながらブロディ選手の危険な匂いがムンムン伝わってきました。
その頃は、全日本プロレスの選手が長州力選手率いるジャパン・プロレス軍団に対して常に劣勢に見えていました。
全日ファンのフラストレーションが限界に達しようとしたところで、ブロディ選手が長州力選手と対戦し、圧倒的パワーで蹴り倒す場面を見せつけてくれました。
その時に、説得力満点だった技が、ブロディ・キックでした。全日ファンは歓喜したはずです。
キングコング・ニードロップの美しさは芸術の域に達していました。
高い跳躍から、ほとんど直角に膝を相手に「刺す」イメージでした。
落とすのではなく、まさしく「刺す」感じでした。カッコよかったです。
その裏で、慢性的な膝痛に悩んでいて痛み止めを常用していたと聞きました。
あのファイトスタイルを完成するまでには、相当な努力と苦労があったことは想像に難くありません。
でも、あの超獣が痛み止めの薬まで常用していたとは。そこまで苦しんでいたとは想像できませんでした。
また、生きる世界によっては温厚なままでは潰されるので、本来の温厚さを脱ぎ捨てなければならない、これは男の世界ではよく見聞することです。
私の高校時代、柔道は強いが大変温厚な後輩がいました。
彼は体育大学に進学したのですが、1年後に会うと目つきや表情から温厚さが失せて、全身からピリピリ感が伝わってきました。
元来はおっとりしていたのですが、それが消えていたのです。
「体育大学の柔道部に入ると、温厚なままでは潰されます。」と言っていました。
卒業して数年後経ってしだいに本来の温厚な表情に戻りました。
元辰殺運に入る直前の危険な時期に悲劇は起きた
前述した「最悪の運気」について書いていきます。
亡くなったのは、1988年でした。
その翌年の1989年は、
- 大運は《戊 戌》の 正官運
- 歳運は《己 巳》の 偏官運
です。
ブロディ選手の日干は《癸亥》です。
歳運と日支が天戦地冲しています。
癸×己
亥×巳
簡単に書くと、戦いあって傷つく運気にあったということです。
さらに、蔵干《甲》も考慮に入れると、
乙×己
亥×巳
となり、二重の傷つけ合いが発生する元辰殺運に該当する時期でした。
元辰殺運は2年間続きますから、1988年8月8日から1990年8月7日までは、
ある日突然、災難がやってくる可能性が高い時期となります。
- 事故、病気、思わぬ災害
- 精神障害や情緒不安定、思わぬ出費、他人との不和
- 勤務先での失敗や失策縁談の空転もしくは破談
などの凶意が非常に強くなる時期で、細心の注意が必要でした。
1988年7月17日はギリギリその運気に入る直前の時期でした。
多少の誤差を容認するなら、その影響下にあったとしてもよいと思います。
力道山もこの元辰殺運の時期に凶刃に倒れました。
力道山については、生年月日を検証する必要がありますが…。
因果を感じます。
大好きだったブルーザー・ブロディ選手の鑑定をさせていただきました。
30年が経過して、改めてファンの記憶に蘇ったようです。
新日本プロレス登場の際は、驚いた友人から電話が来ました。
「ブロディが出ている!」と。
興奮を抑えられなかったみたいですね。
テレビと雑誌、それと『東スポ』しか主な情報源が無かった時代でしたからね。
そういえばコアなファンを持つ『ファイト』もありましたね。
懐かしいですね。
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