「風雲昇り龍」と呼ばれていた頃から、私は天龍さんの大ファンでした。
全日本プロレス第3の男と呼ばれ、初期の天龍チョップは相撲の突っ張りでした。
まさか後に「ミスタープロレス」と呼ばれるくらいメジャーになるとは想像もしていませんでした。
- 風雲昇り龍だった天龍源一郎さん
- 天龍さんの永遠のテーマ曲「サンダーストーム」
- WARを必死に応援した
- 幾多のピンチを乗り越えられたのは天龍さんが身旺の人だから
- 身旺の天龍さんだから、バッシングにも耐え抜いた…
風雲昇り龍だった天龍源一郎さん
1950年2月2日ですから立春の直前の生まれです。まだ寒さが残ります。と言いますか、まだまだ寒いです。
しかも、福井のお生まれですから、本当に寒い時期にお生まれになったようです。
命式の風景をイラストにしてアイテムを置いてみると、こんな感じです。
荒涼とした風景ですね。
でも天龍さんのイメージはこれなんですよね。
生まれ時刻に太陽でもあったら、雰囲気が変わると思います。
命式は次になります。
荒涼とした寒い田園風景(己)に、ゴツゴツした岩(戊)があり、その中に静かに燃える1つの炎(丁)。天龍さんご自身は、もちろん岩です。
日干が戊(岩)ですから。
あまりにもイメージとピッタリだったので私は驚きました。
また、太陽(丙)というイメージでもなく、心の奥で静かに燃える炎です。それはまさに丁(ひのと)。
SWSに移籍した際、「カラッと激しいプロレス」を目指すとおっしゃっていましたが、天龍さんは「カラッと」ではないと多くのファンも感じたことと思います。
そういえば、イメージカラーも黄色でした。
「カラッと」した色ではありません。
当時は、
- 新日本=ストロングスタイルの黒
- 全日本=カラフルな赤など
が定番でした。
ジャイアント馬場さんのショートタイツは赤でしたし、初期の頃のジャンボ鶴田さんもカラフルな星のマークが付いたタイツでしたから。
初期の頃の天龍さんもブルーのタイツだったと記憶しています。
それが、黒と黄色に変わりました。
やっぱり似合いますよ。黒と黄色が。
天龍さんの永遠のテーマ曲「サンダーストーム」
どうして黄色に?の問いに、天龍さんは「イジケの象徴」と答えていたそうです。
本当に当時の雰囲気はそれでしたね。
その色は全盛期の川田選手も使っていました。
加山雄三さんのように、海が似合うレスラーでもありません。やはり岩です。
そういえばスタン・ハンセン選手のテーマ曲は「サン・ライズ」。
この人の陽性なオーラは、太陽がよく似合うでしょう。
ところが、ハンセン選手のライバルのブルーザー・ブロディー選手もやはり太陽は似合いません。
あくまで私の主観ですが。
そして、天龍源一郎さんには、やっぱりまぶしい太陽よりも、雨や雷、そして竜巻が似合うのではないでしょうか?
「サンダーストーム」こそピッタリです。
陰影のある太陽
どんな太陽か見たことないですが、天龍さんのイメージはそんな感じです。
初期の頃は前奏が長くて、クライマックスの前に入場を終えてしまうことが多かったです。
そのため、後にSWSでは前奏の一部をカットしました。
リズムは激しいだけでなく、陰陽の抑揚も利いた名曲でした。
そのプロレス人生も、山あり谷あり、雨あり嵐あり。そこがファンを飽きさせず、魅了し続けたのだと思います。
WARを必死に応援した
SWSが崩壊し、WARを立ち上げて新日本帝国に立ち向かいました。
いつか葬り去られるのでは?とファンは心配しながら応援していたはずです。
WARも解散し、再び新日本プロレスに活躍の場を求め、全日本プロレスに復帰、長州力のWJプロレスに参戦しました。
その後、最後の戦いの場である天龍プロジェクトを立ち上げました。
しかし、設立直後に脊柱管狭窄症に見舞われるなど、平凡平穏ではないレスラー人生をずっと見せてくれて、いつまでもファンを心配させてくれる、人生自体が激流のようなプロレスラーでした。
幾多のピンチを乗り越えられたのは天龍さんが身旺の人だから
最大のピンチは、SWS設立後の『週〇プロレス』誌からの猛烈な天龍バッシングの時期だったはずです。
当時、『東京スポーツ』には、大々的に「天龍独立」と見出しが載り、『週刊ゴング』も応援基調の記事が掲載されていました。
当時最も勢いと影響力があった『週〇プロレス』はどんな記事を書いてくれているだろうか?
と期待して雑誌を手にした私を襲ったのは、
「プロとは金である 天龍は金で動いたのだ これは歴史的転換である」という表紙の文字を見たときの衝撃です。
思わず目が釘付けになり、表紙の文字が何を言いたいのかとっさには理解できず、頭の中が混乱してしまいました。
間違いなく、全国の熱い天龍ファンは私と同じ衝撃を受け、混乱を覚えたに違いありません。
あれから30年が過ぎた今でも、どこのコンビニエンスでその本を手に取ったか明確に記憶しているくらい衝撃的でした。
むさぼるように記事を読むと、感情優先の記事内容で、「これってジャーナリストの書く内容なの?」疑問を感じました。
え?こんな記事書いてもいいの?根拠は?
と私はかなり立腹しましたね。
それから毎号、某専門誌の内容の柱は激しい天龍バッシングでした。
悪意に満ちたといっても言い過ぎではないと思います。
間もなく、ファンからのバッシングも始まりました。
当時、人気絶頂だった天龍さんです。それが、一雑誌のこき下ろしによって、応援していたファンが一気に去って行ったのです。
プロレスファンって意外と浅はかなんだな…
と悲しくなりましたね。
でも、浅はかだから燃えられたのかもしれません。
ラッシャー木村さんに対する、
「か~え~れ!」「か~え~れ!」
の大合唱なんか、今考えると、尋常な神経ではありません。
ちなみに私はラッシャー木村さんの大ファンでした。
木村さんからプロレスが好きになりました。
情報をネットで得ることができる今なら考えられないことですが、当時は雑誌などの媒体を経由しないとファンは何もわからない時代でした。
天龍さん本人も相当なショックと怒りを感じたであろうことは容易に想像できます。
ふつうなら、鬱になってもおかしくないレベルの激しい悪口、罵詈讒謗の記事が毎週続きました。
いくら有名人とはいえ、2年以上にわたって毎週悪く書かれ続けるなど、そんな人は政治家でも無い限りいないはずです。
全日本プロレス時代に天龍コールを送った人がヤジを飛ばすようになった
「ファンは俺を振るいにかけたと思っているだろうけど、俺がファンを振るいにかけたのだと俺は思っているよ。」と天龍さんは当時言っていました。
急にアンチ天龍に走るファンがそれほど多かったのです。
私は自分で思いました。「いつまでも応援しますよ」と。全国の本当の天龍ファンも絶対同じ気持ちだったはずです。会ったことも見たこともない者同士でしたが、天龍を信じ続けるということでは固い絆がきっとあったはずです。
「僕らは、あなたの闘いを信じて付いて行きますよ」と皆が思っていたに違いないからです。
天龍さんの顔が変わった。陰影が深まり怖さが増したSWS時代
体の色が急に茶褐色になりましたね。
スリムになりました。
それより、顔にも変化がありました。私にはそう見えました。
全日本プロレス時代にも「憂鬱な表情」と言われていましたが、SWSでの苦悩がそうさせたのか、「憂鬱は深まり、怖さが増している」と感じるようになりました。
WAR時代、釧路で湯呑にサインをいただきました。迫力ありました。
私は、その怖いオーラに圧倒されて。
サインを書いてくれながら「きえ・・・気を・・・えよ」と天龍さんは私におっしゃったのです。
「はい。ありがとうございます。」とお礼を言いましたが、本当に意味が聞き取れませんでした。
その時の湯呑みです。私の宝物です。
隣にいてくれた友人(元大鵬部屋のお相撲さん)が、
「消えちゃうからな、気をつけて使えよ」
だと思うよと教えてくれて、なるほどと理解できました。
身旺の天龍さんだから、バッシングにも耐え抜いた…
目を引く特徴は、日干の強さです。
それも相当に強い「身旺」です。
精神気力が強く、本質的に自信家だとわかります。
さらに奥にある本質的性質は次のように鑑定できます。
ややお人好しで八方美人のところもあるが、努力型のロマンチスト
- 現実よりも理想を追いすぎて失敗することがある
- 不撓不屈の精神で、人生にぶつかっていくタイプ
- 純情純真な性格である分、人の心の内奥を洞察することはやや不得手
- 理論的・合理的な考察は不得意
- 体験による感覚やカンで物事を決めやすい
- 情に厚い反面、人の好き嫌いが激しい
- 周囲からは賛否両論の評価を受けやすい
- 根本的には、楽天的な性格である
「殴ってもいいよ。やれるもんならやってみな!」の人
- 天龍さんは、やれるもんならやってみな!の人
- 前田日明さんや長州力さんは、やられる前にやってやる!の人
だと思います。
天龍さんの場合は「やれるもんならやってみな!」は裏側に自信がないと言えません。
要するに心底にはビビらない人です。
心のどこかに「俺は大丈夫」があるはずです。
これだけ日干が強いのですから、間違いなくそうです。
だからバッシングにも耐えられたのでしょう。
あのアントニオ猪木さんとの一騎打ち。
あの試合にしても並のプロレスラーならビビりまくるはずです。
当時の猪木さんは、新日本プロレスのブランドを守るためには、他団体の選手を容赦なく踏み台にするイメージがありましたから。
ストロング小林さん、ラッシャー木村さんという国際プロレス出身の名レスラーにも反則負け以外の勝ちを渡すことはありませんでした。
「殴るなら殴ってもいいよ。そのかわり、その後はわかってるよな?」となる人
受けまくるファイトスタイルができたのは、この性格だからでしょう。
身旺ではなく身弱だったら、あそこまで受けまくることはできなかったと思います。
1992年、新日本に殴り込んだ頃も、気負い過ぎることもなく常に威風堂々としていました。
心の奥に揺るぎない自信がある。それが天龍源一郎さんの真骨頂ではないでしょうか?
盟友阿修羅原さんについての記事もあわせてお読みくださるとうれしいです。
鈴木みのる選手のブログが面白いです。ご一読をお勧めします。