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【四柱推命】プロレスラー・ラッシャー木村さん「人生、波瀾万丈」

私が最も尊敬するプロレスラー、ラッシャー木村さんです。

体も心も生き方も、すべてが辛抱強く、打たれ強い人でした。

国際軍団時代は、熱狂的に応援しました。

高校生の頃に購入した著書『猪木へのラブレター』は、今でも私の特別の本棚に入っています。

ラッシャー木村さん『猪木へのラブレター』

30年以上「特別の本棚」にあります

 

 

【四柱推命】ラッシャー木村さん「波瀾万丈のレスラー人生」

ごくごくザッと経歴を書き記します。

  1. 北海道中川郡に生まれる
  2. 手塩高校入学(ポール牧さんと同窓)
  3. 大相撲宮城野部屋に入門(レスラーになるための体づくりのため)
  4. 「まずい、十両にあがってしまう」とプロレスラーに転向
  5. 国際プロレスのエースとして活躍
  6. 体を張った金網デスマッチで不人気の団体を支える
  7. 無敗の強さで「金網の鬼」と呼ばれる
  8. 国際プロレスが北海道羅臼の大会を最後に倒産
  9. アニマル浜口、寺西勇と3人で「国際軍団」として新日本プロレスのリングに上がる
  10. その時、有名な「こんばんは事件」。敵地に乗り込んだラッシャー木村がファンに「この野郎!」ではなく「こんばんは」と挨拶して失笑を買う
  11. 当時の容姿はとても堅気には見えず、迫力満点だった
  12. エースから一転して悪役に。ファンから「帰れコール」の大合唱
  13. アントニオ猪木の敵役となり、負け役が多くなる
  14. 執拗に猪木を追い求め「執念の鬼」と呼ばれる
  15. 全国の新日本プロレスファンからの憎悪を一身に受け、自宅に生卵をぶつけられたりする
  16. 新日本プロレスとの契約が終了し、UWFを経て全日本プロレスのリングへ
  17. ジャイアント馬場の好敵手として好試合を演じる(負け役だが)
  18. 日本テレビのアナウンサーは「闘将」と呼んだ
  19. 人情味あるユニークな「マイクの鬼」としてファンから絶大な人気を得る
  • 生卵をぶつけたファンは今ごろきっと反省している?
  • 飼い犬がノイローゼになったらしい。これには動物好きの木村さんも心を痛めた。
  • 悪役を演じきった宿命とはいえ、犬や家族は大変だったと思われる。
  • その分、木村さんの知名度はアップし、ギャラも良かったとは思われるが。

『猪木へのラブレター』裏表紙

『猪木へのラブレター』裏表紙

中古本にけっこうな値段がついてますね。

いくら高く値がついても私は売りません(^_^)。特別の本棚にある本ですから。

読みたい方は、こちらからぜひどうぞ!


ついでにこちらの本も読み応えありました。

 

【四柱推命】ラッシャー木村さん「打たれ強い、辛抱の人」

【ラッシャー木村さん】日干「己」、身旺の「偏印格」

ラッシャー木村の四柱命式

昭和16年6月30日 北海道生まれ

日干は「己」の人です。

猪木さんも「己」の人です。ラッシャー木村さんも「己」です。

同じ「己」なのに、性格も人生も全然違う二人です。

  • 猪木さんは「正官格」⇒プライドが高く、リーダーシップを希求する
  • 木村さんは「偏印格」⇒お金と命より大切な何かを希求する

 

レスラー人生で何度もピンチを迎えましたが、その度に生き方を変えて活躍できたのは偏印パワーがあったからでしょう。

しかし、木村さんの運が本当に強かったのは27歳までで、その後の運勢はやはり起伏が激しいです。

 

www.happy-power-up.com

 

国際プロレス時代の勇姿です。

後年、マイクで会場を笑いに包んでいた人には見えませんね。

このパンフレットも特別の本棚に入っています。

ラッシャー木村・大木金太郎

ラッシャー木村・大木金太郎

国際プロレスのパンフレット

国際プロレスのパンフレット

ラッシャー木村、エース時代の勇姿

ラッシャー木村、エース時代の勇姿

 

1981年、エースとして活躍していた国際プロレスが経営難のため崩壊しました。

その後、たくさんの苦労があったと思われますが、名レスラーとして名を残しました。

義理のお子さん3人を東京大学に進学させたらしいです。

良い記事発見!

ラッシャー木村の息子は養子で東大?子供は何してる? – Buzz Fixer

あの前田日明さんも木村さんの人柄を絶賛しているみたいですね。


次の本には息子さんのインタビューが掲載されています。読み応え満点です。

 

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【ラッシャー木村さん】爆笑のマイクパフォーマンス

木村さんは、サンボのテクニックも持っていたようです。

しかし、リング上ではそのテクニックをまったく見せませんでした。

突進スタイルに寝技は似合わないとして、封印していたのだと考えられます。

自らの持ち味を演じきるのが真のプロだということでしょうか。

また、面白さ満点だったマイクで語る言葉は、頭の回転が良くなければ口から出てきません。

やさしさとユーモアにあふれる、人情居酒屋みたいな語り口でした。

風貌に似合わず?知的な面も十二分に持っていたのでしょう。

しかし、サンボのテクニックと同様に、その知性を人前で示すことはしない人ではなかったかと思います。


全日本プロレスや新日本プロレスと比べると国際プロレスは地味な団体でした。

エースのラッシャー木村さんにも、馬場さんや猪木さんのような華やかさはなく、国際プロレスと同様に渋いレスラー(地味)だったと言えましょう。

しかし、ガチンコでは最強だったという話もあります。

ルーテーズさんは、「馬場、猪木、木村。3人でガチンコが一番強いのは木村」

と言っていたらしいです。

アニマル浜口さんも「本気を出せば木村さんが一番強い」と言っていましたよね。

こういう後日談は、尾ひれがつくものですから、どこまで真実かわかりませんが、あながち外れではないと私は思います。

そんな木村さんにもストリートファイトのエピソードがあります。

元関脇の陸奥嵐さんが、酒場で暴れてお客に横暴なことをしていた際に、それに怒った木村さんが外に連れ出して顔面に肘打ちを食らわしたというのです。


思い入れが強すぎて余談が長くなりました。

マイクパフォーマンスですが、いかにも「偏印格」の人らしい一芸です。

偏印が強い人は、独特の発想力と不思議な人気運を持ちます。

ユニークな発想が得意であり、直感も冴えます。


それから、本当に大事な部分は譲らない頑固な命式ですね。

「プロレスとはこうあるべきだ」などのプロ意識は相当強かったはずです。

義理の親と結びつきが強い命式です。

義理の親とは誰のことを指すのかわかりませんが、奥さんの親、あるいは国際プロレスの吉岡社長になるのかもしれません。

日干の己が、月干の正官と干合しています。

プロレスとは、最後まで縁があり、義理とはいえ息子さんとも最後まで深い縁で結ばれていた人のようです。


適職を考えると、プロレスラーという職業は合っていたと思います。

日干のエネルギーがそこそこ強い「偏印格」の人は、職業的変化にも対応できます。

強すぎると弊害も出ますが。

私は、のど輪のような強烈なチョップとブルドッキングヘッドロックが大好きでした。

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あとがき【四柱推命】プロレスラー・ラッシャー木村さん

国際プロレスが倒産し、「国際軍団」として新日本プロレスで戦っていた時期は、プロレスファンの憎悪を一身に集めていました。

アントニオ猪木さんと新日本プロレスの人気が絶頂期でした。

それに歯向かう国際軍団は許されない存在として熱狂的ファンから憎まれたわけです。

「最強の新日本プロレスに歯向かうなんてナマイキだ」と。

髪切りマッチで逃走した頃が、「卑怯者」として最も憎まれたようです。

もちろん、これも演出ですが、当時は本気で「卑怯者!」とファンは叫びました。

 

そんな憎悪の対象だった時期に、私は熱狂的ファンになりました。

中学校のクラスでは、「変わってるな、お前」と言われたものです。

当時、午後8時から放映される新日本プロレスは、今では考えられないほど多くの中高生が視聴していました。

当時、ラッシャー木村の敵だったアントニオ猪木は大嫌いでした。

今では私も大嫌いだったことを反省して?闘病中の猪木さんが回復されることを心より祈っております。

プロレスに本気で感情移入できた幸せな時代。

猪木さんも木村さんも、自分の役割を完璧に演じきっていた、そしてファンに熱い夢を与えてくれていた。

令和の時代の今では想像できないようなストレートな熱気が昭和の時代にはありました。

「猪木VS木村」最後の対決は、猪木が木村に大流血の制裁を加えたという試合内容です。

この試合をテレビで見ていた私はひどく落胆しました。

イノキ!!このやろー!


しかし、最近何かの情報でわかったことは、

  • 当時の木村さんは腰痛がひどくリングに上がるのもやっとの状態だった
  • 気遣った猪木さんが、「木村が技を出さなくても成立する試合」にした

ということ。

そして、腰痛に効果がある治療院を木村さんに紹介していたらしいです。

このことは、息子さんのインタビューにも触れられています。


そういう情報が、漏れ聞こえてくる時代になりました。

それはそれで楽しいのですが、夢の裏がわかりすぎると、夢は構築できません。

その意味では、熱い思いを抱きにくい時代になったと言えるのかもしれません。

今回書いた様々なエピソードは、私が直接目にしたものではないので間違いも含んでいるかもしれません。ご了承ください。

 

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