大学時代の懺悔話です。
1年生の頃、私はアパートの2階に住んでいました。
柔道着を二日に一度は洗濯するため、洗濯機を回すことは日常茶飯時でした。
ある日、洗濯機のホースが床にズレ落ちて、キッチンを水浸しにしてしまったのです。
その時の申し訳ない失敗体験を告白いたします。
思えば、私はかなりアンポンタンな大学生でした。
洗濯機のホースがズレ落ちて、キッチンが水浸しに
大学1年生の頃に住んでいた仙台のアパートは、キッチンと和室の2部屋でした。
家賃は29,000円。
居間は和室で広さは6畳でした。
玄関入ってすぐに4畳くらいのキッチンがありました。
左手には台所があり、右手に浴室がありました。
浴室の隣のトイレ前のスペースに洗濯機を置いていました。
あいにく排水口はありませんでした。
そのためホースを浴室まで伸ばして使っていました。
そんなある日、居間でくつろいでいる時に、何となくキッチンの方が落ち着かない気配がしました。
襖を開けてみると、浴室に引っ掛けてあったはずのホースが床に落ちて、キッチンが水浸しになっていました。
「まずい!」
と思った私は、すぐにホースを浴室の中に戻しました。
しかし、すでにキッチンは水浸しの状態でした。
何が一番まずいと思ったかというと、これだけ水浸しだと1階まで水がしみ込んでいるに違いないということでした。
(1階と2階の間の木材が水を吸い込んでいてくれたらいいな)
祈るような気持ちでいました。
真下の1階に住む人は、同じ大学の上級生ということは知っていました。
確か工学部だったかと思います。
なぜわかっていたのか今にしては思い出せません。
さてしばらくして、案の定と言いますか、
「ピンポーン」。
ドアを開けると、1階の人が怒り顔をして立っていました。
世間知らずだった私は、瞬間的に
「謝ったら賠償請求される。そうすると親に迷惑をかける」
と考えたのです。
1階の人、「洗濯機か何かで水をこぼしませんでしたか?」
私、「はい、こぼしました」
1階の人、「困るんですけど。部屋の壁に水がしみ込んでいます。ひどい状態です」
怒鳴ったりはしませんでした。
とっさに私は、心の中で謝りたい衝動に駆られました。
それでも繰り返しますが”世間知らずだった私”は、
「謝ったら賠償請求される」
という訳のわからないことを考えたのです。
どこからそういう考えが身についていたのか、全然思い出せません。
しかし、半ば本気でそう思い込んでいました。
だから、なんと私は最後までで謝らなかったのです。
…、沈黙が続きました。
沈黙に耐えかねたのか、1階の人は、
「今後は二度とないように!気をつけてください」
と言いました。
私は、
「はい、わかりました。気をつけます」
と言いました。
1階の人は去っていきました。
結局、私はひと言も謝らなかったのです。
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洗濯機のホースがズレ落ちて、2回目
それから月日はそんなに経っていなかったと思います。
なんと同じ事をやってしまったのです。
今でも覚えていますが、その日私は、洗濯機を回したまま眠りに落ちていました。
洗濯機は自動で停止するのですが、その日も何となくおかしな気配で目を覚ましました。
もしかして!?またやっちゃった?(;゚ロ゚)
嫌な予感がしたまま和室の襖を開けました。
そこで目にしたのは、前回よりもはるかにひどく水浸しになっているキッチンの床でした。
玄関のドアの外にも漏れていました。
「これはひどい…」
1階の人は、今度こそ激しく怒鳴り込んで来るに違いない…。
まもなくして「ピンポーン」。
「あのさぁ、前に言ったよな。これで2回目なんだけど。しかも前よりひどいんだけど」
「おかげで、家の中の服とか家具とかひどいことになってるんだけど。どうしてくれるんだよ」
前回よりも怒りのボルテージは完全に高いです。
その時も世間知らずの私は、
「謝ったら賠償金を取られる」
と思ったのです。
はっきりと覚えていませんが、
「はぁ」「はい」
しか言わなかったと思います。
とんでもないですね。
…、また沈黙の時間が流れました。
1階の人の顔は激しく怒りまくっています。
私はその顔を見ていながら、「すみません」のひと言すら口から発しませんでした。
「お前、お詫びも言えないのかよ!?」
と言われても仕方がない場面です。
「弁償しろよ!」
と言われても反論できない状況です。
それでも私は、「はい」「はぁ」しか言わないのでした。
おそらく先方は殴りたい衝動に駆られていたと思います。
私も謝りたくて仕方がありませんでした。
でも心をよぎったのは、
- 弁償するとかなりの額を払わなければならない。
- 親に負担をかけてしまう
- だから謝ってはいけないのだ
ということでした。
今思えば、1階の人も親から仕送りをもらっていたはずです。
何の罪も落ち度もないのに2階に住むバカな住人のせいで、服やら家具やらが水浸しになっていたはずなのです。
せめて、
「すみませんでした。弁償させてください」
と答えていたら、おそらく2度目であっても
「今度から本当に気をつけてください」
で済んだような気がするのです。
それなのに私は、たった一言の「ごめんなさい」をあえて言わなかったのです。
とんでもないことをしました。
きっと1階の人は、腹が立って何日も寝られなかったと思うのです。
私なら間違いなくそうなります。
あるいは怒鳴りつけていたかも知れません。
いえ、間違いなく怒鳴りつけていたことでしょう。
謝らなかったことで私自身もしばらく罪悪感に苦しみました。
- あの人、困っただろうな…
- 悪い人ではなかったんだろうな(悪いのは私なのを棚に上げて…)
- あそこで引き下がってくれたということは良い人なんだろうな…
結局その夜のことですが、 長い沈黙の後、
「今度やったら次は許さないからな」
という言葉の後に、何度も首を傾げてみせて
「こいつきっとバカに違いない」
という無言の素振りを見せながら、強めにドアを閉めて下に降りて行きました。
振り返ると情けない…私だった
このとんでもない事実を、実は何十年も忘れていました。
次のブログの記事を読ませて頂いて、自分の情けない過去を思い出した次第です。
「そんな低俗な体験のことを書いたんじゃないよ!」
と叱られたら引用を取り下げます。
一つだけ言い訳にならない言い訳をすると、純粋に親の経済状況を心配したのです。
だから、「謝らないぞ!」と瞬間的に決めたのです。
1回目の失敗の翌日に、法学部の先輩に話しておけば良かったと今思います。
「謝らなければ弁償はない」などという無知な勘違いを取り除いておくべきでした。
1階に住んでいたあの人は、きっとまだ覚えていることでしょう。
「学生時代、とんでもなくどうしようもない住人が2階に住んでいた」
「文学部で柔道部の体のでかいヤツだった」
など奥さんや子どもに話しているかも知れません。
私が2階に住んでいる間、帰宅するたびに、
「今日は大丈夫かな…」
と心配しながらドアを開けていたことでしょう。
今、思い出しました。
その人の帰宅時間はいつも遅かったです。
実験その他で、遅くまで勉強を頑張っていたようです。
どこかでそのことを耳にしたのですが、誰から聞いたのかは思い出せません。
もちろんその後は、水をこぼさないように、本当に気をつけながら洗濯するようにしました。
そして、その半年後ぐらいに、私は引っ越すことになりました。
若気の至りの最中にいた私は、しばらくすると「申し訳ない」という気持ちはどこかへ消えていました。
ですから引っ越した理由は、いたたまれないからではありませんでした。
ただ、大学から遠かったから。冬道の下り坂で何度かスクーターを転ばせたから。
そういった理由だったと思います。
どうも二十代前半の私は、柔道の対戦相手や練習相手以外は何も怖くないという低レベルの勘違いをしていたようです。
頭の悪い学生でした。
今その人にお目にかかれるなら、「大変申し訳ありませんでした」といの一番にお詫びします!
他にもたくさん失敗しました。迷惑もかけました。
先ほどのブログの記事が、過去のダメな自分を思い出すきっかけを与えてくれました。
五十歳を過ぎると、何かのきっかけで過去の自分の過ちをしみじみと思い出します。
これ以外にも数々の失敗を重ねてきました。
しかし今になっては、失敗を取り戻すことも、 やり直すこともできません。
せめてできることは、今後は自分をしっかり見つめながら生きること。
そして、 これから生きていく若い人たちに、 自分のような人としてあるまじきことをしないように教えていくことかなと思うのです。
同時に、 果たしてそんな資格が自分にあるのかいな、とも感じています。
今回の記事は、情けなく恥ずかしいかった自分のことを書かせてもらいました。
ようやくこの年齢に至って、人のために生きることの大切さがわかってきたような気がします。人より少し遅いかも知れませんが…。
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