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『徒然草』兼好法師と四柱推命「兼好法師の根源的人生観と運命観」

兼好法師さんの出自については様々な説があり、まだまだ謎の多い人です。

“卜部”兼好は本名ではない、との説もあります。

もし本名だったら、兼好法師は卜占も使いこなせたのかも知れませんね。

昭和の頃は学校で「吉田兼好」と教わったはずです。

古典の教科書に必ず登場する『徒然草』

古典の教科書に必ず登場する『徒然草』

 

兼好法師の根源的人生観「人はいつ死ぬかわからない」

『徒然草』といえば、『方丈記』『枕草子』と並ぶ日本古典三大随筆の一つです。

『徒然草』の人気もさることながら、筆者である兼好法師に魅力を感じる人も多いはずです。

兼好法師は『徒然草』の中で、

「人間はいつ死ぬかわからない」

と何度も書いています。

時は鎌倉時代末期です。

いつ戦乱の世になるか知れない時代でしたf:id:keyakinamiki67:20201003161811p:plain

さらに、当時の医学です。現代の私たちより死への距離感は近いものだったはずです。

1年後には死ぬかも知れない、いや明日かも、いやいや今夜かも知れないよ。

だから兼好法師は、「急げ」「仏道修行に励め」「片時も無常を忘れるな」と書き残し、

今を大切にしなさい

と訴えるのです。

兼好法師イラスト

兼好法師イメージ

 兼好法師の座右の銘は「Live for today」

兼好法師のスゴいところは、「今を大切にしろ」の中に「今を楽しめ」も含んでいることです。

存命の喜びです。

真面目さの中に時にユーモアも含む器の大きさを持ち合わせているところに、作品の豊かさもあり、おもしろみもあるのだと思います。

  • 必ず死ぬのだから、その時に後悔しない生き方をせよ。
  • いつ死んでもいいように、大切なことを先にやっておけ。
  • 今日という日を精一杯生きよ。そして楽しみなさい。


兼好法師が現代に生きていたら、

Live for today

と流ちょうな英語を話していたと思います。

『徒然草』を平成から令和にかけて出版したなら、「Live for today」がサブタイトルになっていたと私は勝手に想像するのです。

実はこの言葉、天龍源一郎さんの座右の銘でもありますね。

「今日がなければ、明日は来ない」

「今日の試合を手抜きしたら、明日からもうオファーは来ない。客も来ない。」

天龍さんも、このような気持ちで己を戒めていたのだと思います。

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『方丈記』の文体は秀逸で美しい…

たしかに、『方丈記』の文体は最高に美しいですね。

「ゆく川の流れは絶えずして…」

対句を縦横無尽に駆使して、素晴らしいリズム感を生んでいます。

大変美しい秀逸な文体です。

鴨長明さんは、文章の達人。これは疑いようもない事実です。

すごい人です。

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鴨長明さん

ですが、作品の世界はあまり明るく朗らかではないですね。

『方丈記』も『徒然草』も根底の思想には無常観があります。

しかし、同じ鎌倉時代でも年代が違います。

また、著者のキャラクターも異なります。

私なら、もしどちらか一人と会えるのなら、兼好法師に会ってみたいなと思います。

人生の生き方や考え方、そしてエピソードなどを楽しく語ってくれそうな気がするからです。

 

兼好法師は死を考える時代に生きた人

中世は時代をあげて死と直面した時代~運命への着目~

中世は死生観の変わり目にあたる時代だったと思われます。

大野順一氏「”中世的発想の基底"中世日本人の死生観―徒然草を中心に―」
(『解釈と鑑賞』42-5 昭和52年4月刊行)

  • 「中世は、死を発見した時代であり、その死をいかに解決するか、いかに超越するかという問題に、全勢力を集中した時代であった、と思われる。」

  • 「中世は、個々人としてではなく、時代をあげて死と直面した、あるいは好むと好まざるとにかかわらず直面させられた、そういう時代的状況のもとに、はじまった。」

  • 死を、生の重大事として、あらためて考えさせるようになった。ここから、中世を中世たらしむ時代思潮、いわば自己追求と自己確立を志向する時代思潮が、現出してくるのである。」

このような時代ですから、兼好法師も死生観については、思索を深めていたはずです。

時代の流れに敏感で、当時の知識人の先端にいた兼好法師ですから。 

 

兼好法師も死生観を深く考察した~運命への強い関心

『徒然草』第49段に明解に書かれていますので引用します。

 老来たりて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ、古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病をうけて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、はじめて過ぎぬるかたのあやまれる事は知らるなれ。あやまりといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事をゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。

 人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道をつとむる心もまめやかならざらん。

 

人は、無常(死)が自分に迫っていることを常に意識して、決して忘れてはならない。

そうすれば、俗世間にまみれる暇もなく、仏道修行にも身が入るはずだ。


この段の要点は、

  • 生の終わりの自覚
  • 時間の有限性
  • 真に大事なことをしておかないと、死を迎えた時、後悔する

無常(死)はいつやってくるかわからない。そのことを一瞬たりとも忘れてはいけない。
 
『徒然草』には、さまざまな人物が登場しますが、兼好法師が評価する人物は、限られた時間を最大限に活用した人物です。

たとえば、名人・達人が多く登場します。

彼らは時間を無駄にせず、一心に修行に励んだゆえに名人・達人になれたのだと認めるために、高い評価を与えているのでしょう。


時間を大切にせよ!いつ死ぬかわからないのだぞ!と主張する部分はたくさんあります。いくつか並べてみます。

  • 後の世のこと、心にわすれず、仏の道うとからぬ、こころにくし。(第4段)

  • 大事を思ひたたん人は、去りがたく、心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。(第59段)

  • 命は人を待つものかは。無常の来る事は、水火の攻むるよりも速やかに、遁れがたきものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらんや。(同じく第59段)

  • 刹那覚えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。(第108段)

  • 若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。(第137段)

  • 死期はついでを待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。(第155段)

  • 世を長閑に思ひてうち怠りつつ、まづさしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごとと成す事なくして、身は老いぬ。(第188段)

「もういいよ。キリがない。」と叱られそうなので、ここでやめます。

「仏道修行に励みなさい。時間は有限。大事なもの以外は捨てる覚悟を持て。死は人を待ってはくれない。急にやって来るものだ。

という人間観が、作品の根幹にあることがわかると思います。

兼好法師も、「死」を重大事として考えていたことがハッキリとわかります。

人間の運命に大きな関心を抱いていたことは間違いありません。

 

兼好法師VS徐子平 人生を語り合う親友になったかも…

宋の徐子平、日本の兼好法師 二大運命論者の夢の邂逅

徐子平は、宋の時代に『淵海子平』という四柱推命の本を著した人です。

当時の運命学の大家です。

日本に四柱推命が伝わったのは、江戸時代の中期に『淵海子平』が中国から渡ってきたのが始まりだといわれています。

宋の時代の人ですから、兼好法師と生きた時代は近いのですが、当然2人の顔合わせはありません。

鎌倉時代に『淵海子平』が日本に渡ってきて、兼好法師が手にしていたなら、おもしろい展開になったに違いない、と私は想像してしまいます。

宋の徐子平、日本の兼好法師、二大運命論者の邂逅

もし2人が顔合わせしていたなら、どちらも人生と運命を深く考える達人です。

思考することにおいて究極の力を持った2人ですから、語り合えば意気投合する関係になったかも知れませんね。

人間観察の達人という共通点もあります。知恵と洞察力を合わせて、スゴい運命学・人間学を編み出したかも知れません。

「卜部」が卜占の「卜」なら、これまた話は発展したかもしれない。などと勝手に想像を深めてしまいました。

そして、最後は意見が合わず仲違い(笑)。これはないでしょうけど。

 

寿命と医術、人間観察に関心があった兼好法師だから

医師や医術に関心が深い人であることも、『徒然草』を読めば伝わってきます。

命の大切さを意識していたことは想像に難くありません。

「長生きをしても恥をかくことが多い。四十歳にならぬくらいで死ぬのが見苦しくない」

と書き記しながら、本人は70歳くらいまで生きましたが。(^_^)

当時としてはとても長生きですね。

ポジティブな思考を持つ人でしたので、きっと人生を楽しんだのだと思います。

寿命を保つには上手なストレス解消が重要とも言われています。

兼好法師もおそらく上手だったのでしょうね。

そういう兼好法師ですから、四柱推命と出会っていたら、きっと夢中になったのではないでしょうか。

なにしろ、死期を予測したり、人間の本質に迫るには最適の運命学ですから。

このことからも、兼好法師が推命学に興味津々になったことは間違いないですね。

そして、兼好法師が四柱推命を習得したら、鋭く正確な鑑定で有名になって、たくさんの相談者が訪れたることになったことでしょう。

なにしろ、ラブレターも依頼された人です。

「相性を鑑定してください」で行列ができたかも知れませんね。

「その人には、こういうラブレターが効くから、このように書いてあげましょう」

「あなたとその人は相性が合わないねぇ。今回はあきらめなさい」

などの具体的なアドバイスもしてあげたかも知れません。

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好奇心旺盛な兼好法師は8歳からすでに哲学者!?

第243段 作品の締めくくりの段です。

「八つになりし年、父に問ひて言はく」から始まって、

  1. 仏はどのようなものでしょうか?
  2. 人はどのようにして仏になるのでしょうか?
  3. 仏に教えを始めた最初の仏は、どのような仏でしょうか?

と父親に質問して困らせ、そして内心喜ばせたようです。


8歳にしてまるで哲学者のような質問です。

「仏」を使わなければ、次の質問に読み替わります。

  1. 人は死んだら何になるのでしょうか?
  2. どのような方法で違う世界に行くのでしょうか?
  3. 人の運命を決めるのは、どのような力なのでしょうか?

ただ者ではないですね。やはり、運命学には間違いなく興味と関心を持ったはずです。

是が非でも「四柱推命と遭遇して欲しかった人」、兼好法師さんへの私見でした。

 

お付き合いいただき、ありがとうございました。 


過去記事もどうぞごひいきに。

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