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『徒然草』兼好法師と四柱推命|無常観から考える人生の流れと運命観

雨上がりの寺院を歩く僧侶の後ろ姿|兼好法師と無常観をイメージした風景

人生は永遠ではないからこそ、今という時間の重みが見えてくることがあります。

兼好法師は、出自についてもさまざまな説があり、今なお謎の多い人物です。

かつては「吉田兼好」として学校で教わった記憶がある方も多いかもしれません。

また、“卜部”兼好という呼び名についても、本名ではないとする説があります。

もし「卜部」という名に、占いや卜占の響きを重ねて見るなら、そこには少し不思議な想像も広がります。

人生の無常を見つめ、人の生き方を静かに問い続けた兼好法師。

もし彼が四柱推命という運命学に出会っていたなら、人間の宿命や人生の流れを、どのように受け止めたのでしょうか。

兼好法師の根源的人生観「人はいつ死ぬかわからない」

『徒然草』は、『方丈記』『枕草子』と並ぶ日本古典三大随筆の一つとして知られています。

作品そのものの魅力はもちろんですが、筆者である兼好法師の人生観や人間観に惹かれる人も多いのではないでしょうか。


兼好法師は『徒然草』の中で、

「人はいつ死ぬかわからない」

という感覚を、繰り返し書き残しています。

時代は鎌倉末期。

戦乱や疫病、飢饉など、人の命が今よりずっと不安定だった時代です。

中世の無常観をイメージした画像

現代の私たちよりも、「死」はもっと身近な存在だったのかもしれません。

一年後かもしれない。明日かもしれない。あるいは、今夜かもしれない。

そうした無常観の中で、兼好法師は、

  • 時間を無駄にしてはいけない
  • 本当に大切なことを後回しにしてはいけない
  • 人生は永遠ではない

ということを、静かに語り続けます。

だからこそ、『徒然草』には、

「今を大切に生きなさい」

という感覚が流れているのでしょう。

兼好法師イラスト

兼好法師イメージ

兼好法師の「今を生きる」という感覚

兼好法師のおもしろいところは、「人生は有限だ」と語りながら、決して暗いだけではないところです。

『徒然草』には、ときどき人間味のあるユーモアや、人生を味わうような温かさがあります。

 

生きている今そのものを大切にする感覚

があったのでしょう。


だから兼好法師の文章には、

  • 後悔しないように生きなさい
  • 大切なことを先送りしてはいけない
  • 今日という時間を丁寧に生きなさい

という思いが繰り返し現れます。


現代風に言えば、兼好法師は「今を生きる」という感覚を、とても大切にしていた人なのかもしれません。

Live for today

という言葉も、どこか兼好法師の人生観と重なって見えます。


実はこの言葉、天龍源一郎さんの座右の銘としても知られています。

「今日がなければ、明日は来ない」

「今日の試合を手抜きしたら、明日からもうオファーは来ない。客も来ない。」


時代も立場も違いますが、

「限りある時間をどう生きるか」

という問いは、昔から人間の根底にあるテーマなのだと思います。

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『方丈記』と『徒然草』に流れる無常観の違い

『方丈記』の冒頭、

「ゆく川の流れは絶えずして…」

という一節を読むと、思わず足を止めてしまう人も多いのではないでしょうか。

対句を巧みに重ねながら流れるようなリズムを生み出す文章は、今読んでも本当に美しいですね。


鴨長明は、間違いなく文章の達人だったのだと思います。

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鴨長明さん

ただ、『方丈記』の世界には、どこか静かな寂しさがあります。

もちろん、『徒然草』にも無常観は流れています。

けれど、兼好法師の文章には、ときどき人間臭い温かさや、人生を楽しもうとする気配も感じます。

同じ「無常」を見つめながらも、作品の空気は少し違うのです。


時代背景も違えば、作者自身の性格や人生観も違う。

だからこそ、同じ鎌倉時代の随筆でも、それぞれに違う魅力があるのでしょう。


もし私がどちらか一人と会って話ができるなら、兼好法師に会ってみたい気がします。

人生のこと、人との縁のこと、時間のこと。

少しユーモアを交えながら、静かに語ってくれそうな気がするからです。

 

兼好法師は、死を考える時代に生きた人

中世は、時代そのものが死と向き合った時代

中世は、人の死生観が大きく揺れ動いた時代だったと考えられます。

大野順一氏「“中世的発想の基底”中世日本人の死生観―徒然草を中心に―」
(『解釈と鑑賞』42-5 昭和52年4月刊行)には、次のような指摘があります。

  • 「中世は、死を発見した時代であり、その死をいかに解決するか、いかに超越するかという問題に、全勢力を集中した時代であった、と思われる。」

  • 「中世は、個々人としてではなく、時代をあげて死と直面した、あるいは好むと好まざるとにかかわらず直面させられた、そういう時代的状況のもとに、はじまった。」

  • 死を、生の重大事として、あらためて考えさせるようになった。ここから、中世を中世たらしむ時代思潮、いわば自己追求と自己確立を志向する時代思潮が、現出してくるのである。」

このような時代に生きた兼好法師が、死について深く考えたのは自然なことだったのでしょう。

戦乱や病、時代の不安定さの中で、人の一生は今よりもずっと頼りないものだったはずです。

だからこそ、兼好法師は「死」をただ恐ろしいものとしてではなく、

今をどう生きるかを問い直すためのもの

として見つめていたのだと思います。

 

『徒然草』第49段に見る、後悔しない生き方

『徒然草』第49段には、兼好法師の死生観がよく表れています。

 老来たりて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ、古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病をうけて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、はじめて過ぎぬるかたのあやまれる事は知らるなれ。あやまりといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事をゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。

 人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道をつとむる心もまめやかならざらん。

 

人は、無常が自分の身に迫っていることを、心から忘れてはならない。

そうすれば、この世の迷いや執着も少し薄れ、本当に大切なことへ心を向けられるはずだ。


この段で語られているのは、単なる死への恐怖ではありません。

  • 人生には終わりがあること
  • 時間は無限ではないこと
  • 大切なことを後回しにすると、後悔が残ること

兼好法師が見ていたのは、死そのものというより、

死を忘れて生きることで、人は本当に大切なものを見失いやすい

ということだったのではないでしょうか。


『徒然草』には、さまざまな人物が登場します。

その中で兼好法師が高く評価するのは、限られた時間を無駄にせず、自分の道を深めた人たちです。

名人や達人が多く登場するのも、ただ技術が優れているからではなく、

限りある時間を、自分の生き方に注いだ人たち

として見ていたからなのかもしれません。


『徒然草』には、時間や無常について語る段が数多くあります。

  • 後の世のこと、心にわすれず、仏の道うとからぬ、こころにくし。(第4段)

  • 大事を思ひたたん人は、去りがたく、心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。(第59段)

  • 命は人を待つものかは。無常の来る事は、水火の攻むるよりも速やかに、遁れがたきものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらんや。(同じく第59段)

  • 刹那覚えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。(第108段)

  • 若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。(第137段)

  • 死期はついでを待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。(第155段)

  • 世を長閑に思ひてうち怠りつつ、まづさしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごとと成す事なくして、身は老いぬ。(第188段)

ここまで並べると、「もういいよ。キリがない」と言われそうですね。


けれど、それほどまでに兼好法師は、人生の短さを繰り返し見つめていました。

「人はいつまでも生きられるわけではない」

「だからこそ、大切なことを先送りしてはいけない」

その思いが、『徒然草』の根底に流れているのだと思います。


これは、現代を生きる私たちにとっても、決して遠い話ではありません。

仕事、人間関係、家族、自分の本音。

日々の忙しさに追われているうちに、本当に大切なことほど後回しになってしまうことがあります。

兼好法師が語る無常観は、人生を暗くするためのものではなく、

限りある人生を、少しでも悔いなく生きるための視点

だったのかもしれません。

 

兼好法師と四柱推命|人生と運命を見つめた人たち

徐子平と兼好法師が出会っていたなら…

徐子平は、宋の時代に『淵海子平』を著した人物として知られています。

四柱推命の歴史を語る上で欠かせない存在です。

日本へ四柱推命が本格的に伝わったのは江戸時代中期頃といわれていますから、兼好法師が実際に四柱推命に触れることはありませんでした。


ただ、ときどき想像してしまうのです。

もし鎌倉時代の日本に『淵海子平』が伝わっていて、兼好法師がそれを手にしていたなら、どのように受け止めたのだろう、と。


兼好法師は、『徒然草』の中で繰り返し、

  • 人生の有限性
  • 人の欲や執着
  • 時間の重み
  • 無常
  • 後悔しない生き方

について語っています。

一方、四柱推命もまた、人の運命や人生の流れを見つめ続けてきた思想です。


もちろん、四柱推命ですべての人生が決まるわけではありません。

けれど、人にはそれぞれ生まれ持った傾向や、流れのようなものが存在する。

兼好法師もまた、そうした「人間という存在そのもの」への強い関心を持っていたように感じます。


もし徐子平と兼好法師が出会っていたなら、

「人はどう生きるべきか」

というテーマについて、夜通し語り合っていたかもしれませんね。

人間観察に優れた二人ですから、きっと「運命」だけではなく、人の弱さや迷いについても深く話したのではないでしょうか。


意見がぴったり一致したかはわかりません。

けれど、人生を見つめ続けた者同士、どこか通じ合うものはあった気がします。

 

兼好法師が見つめていた「人間」という存在

『徒然草』を読むと、兼好法師が医術や寿命、人間観察にも関心を持っていたことが伝わってきます。

人の生と死を、とても身近なものとして見つめていたのでしょう。


兼好法師は、

「長生きをしても恥をかくことが多い。四十歳にならぬくらいで死ぬのが見苦しくない」

と書き残しています。

もっとも、本人は七十歳前後まで生きたとされますから、当時としてはかなり長寿です。


ただ、この言葉から感じるのは、「長生きするな」ということではなく、

どう生きるかを大切にしていた人

だったということです。


兼好法師の文章には、ときどき人間臭い温かさがあります。

人生を達観しながらも、どこか人生そのものを楽しんでいるような空気がある。

だからこそ、何百年経った今でも、多くの人が『徒然草』に惹かれるのかもしれません。


四柱推命もまた、人を単純に決めつけるためのものではなく、

「人はなぜ迷うのか」

「なぜ同じように生きても人生が分かれるのか」

を考えるための補助線として見ると、兼好法師の人生観とどこか重なる部分があるように思います。


人生には、思い通りにならないこともあります。

人との縁に助けられることもあれば、時間が過ぎてから意味が見えてくることもあります。

兼好法師もまた、そうした「人間の不完全さ」を見つめ続けた人だったのではないでしょうか。

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好奇心旺盛な兼好法師は、幼い頃から人生を問う人だった

『徒然草』第243段は、作品の締めくくりに置かれている段です。

「八つになりし年、父に問ひて言はく」から始まり、幼い兼好法師が父に問いを投げかけます。

  1. 仏はどのようなものでしょうか?
  2. 人はどのようにして仏になるのでしょうか?
  3. 仏に教えを始めた最初の仏は、どのような仏でしょうか?

父親は困りながらも、内心では少し喜んでいたようです。


八歳にして、すでに哲学者のような問いです。

この問いを現代風に言い換えるなら、次のようにも読めます。

  1. 人は死んだら、どこへ向かうのか。
  2. 人はどのように生きれば、違う境地へ進めるのか。
  3. 人の運命や生き方を導いているものは何なのか。

もちろん、兼好法師が本当に運命学に関心を持ったかどうかはわかりません。

けれど、『徒然草』を読むと、彼が人の生き方や死、時間、後悔、執着について深く考え続けた人だったことは伝わってきます。


そう考えると、もし兼好法師が四柱推命という考え方に出会っていたなら、単なる占いとしてではなく、

人間を理解するための一つの補助線

として、強い興味を持ったのではないかと思うのです。


人生は、命式だけで決まるものではありません。

けれど、人にはそれぞれ生まれ持った傾向があり、時代や環境、人との縁によって、その人生は大きく変わっていきます。

兼好法師が見つめていた無常観も、四柱推命が見つめる人生の流れも、どちらも根底には、

限りある人生を、どう受け止めて生きるか

という問いがあるように感じます。


「四柱推命と遭遇してほしかった人」

そう勝手に想像したくなるほど、兼好法師は人生と人間を深く見つめた人だったのだと思います。

 

お付き合いいただき、ありがとうございました。

▶ 命式だけで人生は決まらない

兼好法師が見つめた無常観と同じように、四柱推命もまた人生を断定するためではなく、自分の流れや人との縁を考えるための補助線として使えるものだと思います。

命式だけで人生は決まらない|四柱推命で人生をどう見るか

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