後悔ゼロの人生はありえません。
ですが、4年前に亡くなった私の恩人は、「我が人生に一点の悔いなし」と病床で家族に語っていたそうです。
70歳を少し過ぎた年齢でしたが、「何と素敵な!」と私は感銘を受けました。
思い描いた人生の地図を全うしたのですね。
後悔ばかりが人生だ!
「我が人生に一点の悔いなし」と言い切れる人は、極めて少数でしょう。
多くの人は、後悔を背負いながら、人生を歩んでいます。
思いつくまま、人生にありがちな後悔をあげてみます。
- 勉強⇒「もっとしておくべきだった」
- 職業⇒適性、やりがい、給与、休暇など
- 結婚⇒「この人でよかったの?」
- 病気⇒「発見が遅れた!」「体を大事にしなかった」
- 投資・投機・ギャンブル⇒「やるべきでなかった」「タイミングを誤った」
- 子育て⇒「育て方を間違えた」
- お金⇒「計画的に貯めておくべきだった」
- 友人⇒「もっと大事にすればよかったのに」
- 親孝行⇒「親孝行、したいときには親はなし」
人生の後悔「のに…」と言うのは愚痴
後悔するときに出てくる言葉があります。
それは「のに…」。
職業の後悔「のに…」
「もっと合う仕事があったのに…」
「あんな会社に就職しなければ良かったのに…」
「起業なんてしなければ良かったのに…」
結婚の後悔「のに…」
「もっと自分にピッタリの人がいたはずなのに…」
「こんな人と結婚しなければ良かったのに…」
「じっくり選べば良かったのに…」
病気の後悔「のに…」
「早く医者にかかれば助かったのに…」
「健康管理に気をつければ良かったのに…」
「異変に早く気がつけば良かったのに…」
「我が人生に一点の悔いなし」と言い切った恩人
幸福、幸運、不幸、不運…
生きていると、いろいろな不幸や不運が襲ってきます。
もちろん、幸福や幸運も。
恩人の「我が人生に一点の悔いなし」という言葉は、自分を襲った不幸や不運など全てをひっくるめて「悔いなし」と言い切っているに違いありません。
なぜなら、恩人は、癌の発見が遅れたために亡くなったのです。
70歳を少し過ぎた年齢は、現代では早い逝去です。
「早く医者にかかれば助かったのに…」と思っても不思議ではありません。
少なくとも、ご家族は、きっとそう思ったことでしょう。
宿命と運命「我が人生に一点の悔いなし」の理由
宿命=生まれた時から背負っていて変えられないもの
〈例〉日本に生まれた、女性として生まれた、両親、貧しい家に生まれた、体質の強弱、性質など
運命=努力や意志によって変えられるもの
〈例〉職業、結婚、健康(ある程度)、収入、対人関係、家、性格など
「我が人生に一点の悔いなし」と言い切った恩人は、宿命論者や運命論者ではありません。
また、何かの宗教に入信している人でもありませんでした。
おそらく、「精一杯の努力を強い意志で貫いた人生だった」という自負と確信があるのでしょう。
それが、「我が人生に一点の悔いなし」の言葉の意味だったに違いないと私は考えます。素敵です。
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【あとがき】ときには「のに…」も大切
「愚痴を言うな」「マイナスの言葉を吐くな」と言う人がいます。
確かに、いつも愚痴ばかりこぼす人は、周囲に良い影響を与えません。
「また、愚痴かよ!?」と敬遠されがちになります。
ですが、愚痴を一切封印したら、どうなるでしょうか?
ストレスで行き詰まってしまうに違いありません。
ストレスは、溜め込むことが一番の害だと言われます。
時には思い切り吐き出してしまうことです。
『徒然草』の中に、兼好法師もこう書いています。
「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば(言いたいことを言わないで我慢していると、腹がふくらんで気持ちが悪いから)」と。
ストレスと胃腸の関係を知っていたのでしょう。
時と場所を考えるなら、「マイナス言葉が運気を下げる」など私は信じません。
時には、言いたいことを思い切り吐き出すのが大切です。
「のに…」の連発でもかまいません。
信頼できる友人に聞いてもらうといいです。
ペットに愚痴を聞いてもらうのもありでしょう。
部屋の壁に向かって一人で語るのもOKです。
兼好法師のように、筆に任せて書き殴るのもよし。
傾聴は、カウンセリングの重要な手法の一つです。
クライアント(相談者)は、語りながら気づかなかった問題を発見・整理し、問題の出口を自ら見つけ出すことも多いのです。
私に語ってくれるなら、いくらでも聞きます。
カウンセリングと合わせて運命鑑定もいたします。
ただし、鑑定料はいただきますが。(^_^)
「我が人生に一点の悔いなし」の応援をさせていただきます。
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