遠藤周作さんの著書『あまのじゃく人間へ』。
豊臣秀吉流「人間は二重人格だから生きられる」。
「二重人格」によいイメージはありませんが、誰もが二面の自分を演じながら生きている。
社会生活を送るには、二面性が必要ということです。
【豊臣秀吉の生き方】人間は二重人格だから生きられる
『あまのじゃく人間へ』から抜粋(少し長くなります)
我々は多かれ少なかれ、五十歳以前までは小西行長のような生き方をしているんじゃないでしょうか。
きみたちが自分の本性をいつも出していたら、間違いなく社会生活は営めない。 友人とはケンカする。上司とはぶつかることになる。
普通、そうしないように我慢して、自分の本性を隠し、もう一つの好かれる自分というものを作っています。
ところが、五十歳をすぎてくると協調する自分というものが、もうそれほど必要ではなくなってくる。そうすると、第二の自我の影がだんだん薄れ始め、本性が頭をもち上げてくるのです。
さすが遠藤先生です。私も50歳前後から無理して背伸びしようという意欲が急減してきました。
- 良い意味だと、「自分は自分。これでいいのだ!」
- 悪い意味だと、「向上心の低下?若さの喪失?」
いずれにしても、20代・30代の頃とは見える景色が変わってきたのは間違いないです。
青春の「青」が徐々に薄れてきた感じでしょうか。
本来、秀吉という人の本性は冷酷であって、すごいエゴイストであったにもかかわらず、織田信長の下で出世するために、完璧なまでに第二の自我を作り上げた。
また、自分に無条件に仕えてくれる譜代の家来がいないので、家来の前では物分かりが良く、寛大なところを見せ、磊落を装わなければならなかった。
出世するために第二の自己を巧みに演じたと思う。
だから、彼が晩年になって冷酷になったのは、急に別な人格になったのではなく、もともとあった本性が、むき出しになったと考えた方が自然じゃないかと思う。
秀吉の生き方の是非は別にして、天下を手中に収めるために相当な努力をしたことは間違いないでしょう。
そうしてみると、普段は、とても部下思いで、小事にこだわらない太っ腹な上司、先輩を、きみたちはうっかりして、それがその人の本性だと思い込んでいる場合があるかもしれない。《中略》
その人の本性に触れる部分を刺激したり、傷つけたときは、予想以上に相手は根に持つ。やがて、あなたは仕返しを受けることになる。
だから、きみたちは周りの人間を見るとき、イヤな見方かもしれないが、外面に現われている性格だけが、そのまま、その人の本性だと思わない方がいい。
人が社会で生きるためには、カメレオンになっているところがある。どういう色に変色し、どういう擬態をとっているか。それを観察しなさい。
その磊落さ、その優しさ、その豪放さというのは、ひょっとするとその人の本性ではなく、かなりの演技ではないかということを考えておいた方がいい。
「擬態的性質」という言葉があります。
課長になったら課長らしく、町内会長になったら会長さんらしい振る舞いが身につくことです。
それは秀吉に限ったことではなく、社会生活を送る誰もが「擬態」しているのですね。
もし、彼がその人の“地”だけで生きているのではないような気がしたら、普段、彼が出している反対の性質を考えなさい。豪放ならば小心、磊落ならば神経質。それがその人の本性かもしれない。
こういうふうに考えるならば、どんなときにも、彼の本性を傷つけない態度をとった方がいい。
たとえ、あなたの観察が間違っていたとしても、それによって、少なくとも相手を傷つけることにはならない。これは、つまり逆ないい方をすれば、きみを傷つけない方法でもあるのです。
しかし、上司や先輩に二重性があるといって、彼を軽蔑したり、イヤな男だと思うのは間違いです。多かれ少なかれ、社会の中で生きていくということは、二重性をもっていることなのですから。
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【四柱推命】秀吉は二重人格者?ベストに近い命式だった!
『ウィキペディア』に、豊臣秀吉の生年月日は次のように書かれています。
生誕 天文6年2月6日(ユリウス暦1537年3月17日、先発グレゴリオ暦1537年3月27日)(『関白任官記』、『豊国大明神臨時御祭礼記録』)
これを今の暦に改めると、1537年3月17日になります。
この生年月日を信用するなら、豊臣秀吉の四柱命式は次のようになります。
これはお世辞抜きで良い命式です。
月支印綬格です。その印綬は月上の正官から生じられ尽きることがありません。
- 印綬=豊かな才能の持ち主
- 正官(官の力)⇒印綬(名誉)を得る
- 食神=明晰な頭脳を発露
二重人格的なイヤらしさは特に感じられません。
むしろ、堅忍不抜ともいえる我慢強さ、冷静な判断力、卓越した自己表現力の高さなどが感じられます。
今の時代に生きていても、優秀な経営者に十分なり得たと思います。
バランスの良さから冷酷な感じもしません。根っこは温厚篤実な人だったようにも映ります。
本質は、遠藤周作先生の秀吉像とは違う結果になりました。
しかし、天下人です。
政治的に大ナタを振るう必要もあったでしょうし、長年積もり積もったストレスもあったことでしょう。
人を裁く権力も当然あったはずなので、場合によっては自己を抑えられず理不尽に走った時期もあったことでしょう。
日干【丙】の明るさも運の追い風になったことでしょう。
人(信長)に気に入られるには陰気ではいけません。
明るく屈託がない方がかわいがってもらえます。
月上は【癸】(水)です。
本来、丙には【壬】(水)がよいのです。
海に昇る太陽になり、美しい絶景の命式になります。
その点、癸は雨雲なので太陽の光を遮ってしまいます。
ですが、この命式は身旺ではないため、壬はやや重すぎると解釈できます。
癸でよかったと言えるでしょう。
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【四柱推命】田中角栄氏「通変星の状態が秀吉の命式と似ている!?」
次は田中角栄氏の四柱命式です。
通変星の状態が豊臣秀吉の命式とよく似ています。
- 月上=正官
- 月支=印綬
- 日支=傷官
食神が傷官に成り代わり、秀吉より性格的にキツさがありそうですが、これまた成功者の命式です。
秀吉よりやや劣りますが、それでもなかなか良い命式です。
ところが、、、角栄氏の場合は生時も公表?されているため、正しく四柱命式を作ることができました。
次がそれです。
せっかくの印綬格に「偏印」が混ざってしまいます。
そのため、晩年に迷いや不安がつきまとう命式になってしまいました。
生時を知らない命式の法がずっとよかったです。
意外?ですが、辛の繊細さを併せ持つ人情家です。
やや打算的で頑固なところはありますが、30歳~50歳くらいは強運期でした。
角栄さんは、歴代の総理大臣の中でも存在感は抜群でしたね。
この人のおかげで公務員、特に教職員の給与がうなぎ登りに上がったと若い頃よく聞かされたものです。
「日本列島改造論」
日本がイケイケドンドンの国になっていく、そんな時代を象徴する人。
そのご本人は、成功の裏で相当な苦労を重ねる人生だったに違いないと感じるしだいです。
ブクマをちょうだいしました。なるほど!
二重人格を否定するつもりはありませんが、秀吉の場合「立場が人を変える」と分析した方が相応しいような気がしました。
この方です。
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