「証拠がないもの、科学的に証明できないものは信用しない」
これは、現代人の悪いクセではないかと私は前から思っています。
科学的に証明できないものは現代でもまだたくさんあります。
それに「証拠がないと信用しない」というのは「猜疑心の強い臆病者の状態ではないか?」と。
とはいえ、何でもかんでも簡単に信用するのは危険であることはわかります。
しかし、証拠がなくても存在するものはあり、信用できるものだってたくさんあると思います。
「運」もその一つではないでしょうか。
学生時代に読んだ遠藤周作さんの本を、30数年ぶりに開いてみました。
今読んでも「なるほど」と思えることがたくさん書かれていました。
「運とは何か」にも触れられています。
『あまのじゃく人間へ―いつも考え込み自分を見せないあなた』(青春文庫)
1993年 遠藤 周作(著)
【運とは何か】心と外界は無関係ではない
【ユングの心理学】一個の人間の意識には、宇宙意識の反映も
早速ですが、引用から始めます。
心理学でも、従来、人間の心と外界とは絶対に別々のものだという考え方がフロイト以来あった。ところが、新しい心理学では、心が外界と無関係ではないと主張している。
よく宇宙意識ということがいわれます。人間の意識の中には、宇宙からの影響があるということがだんだんわかってきている。
ユングはそういった考え方をしています。一個の人間の意識には、その個人だけではなく、人類全体の心、つまり宇宙意識の反映も見られるというわけです。
2019年に発行された工学博士・田坂広志先生『運気を磨く』にも似たようなことが書かれています。
人間の「心の世界」には、表面意識の世界も含めて、次の「五つの世界」があることを理解する必要がある。
第一 個人的な意識の世界
第二 集合的な意識の世界
第三 個人的な無意識の世界
第四 集合的な無意識の世界
第五 超時空的な無意識の世界
- 田坂広志先生が指摘する「第四 集合的な無意識の世界」「第五 超時空的な無意識の世界」
- 遠藤さんが30年前に書いた「一個の人間の意識には、その個人だけではなく、人類全体の心、つまり宇宙意識の反映も見られる」
お二人は表現こそ違っても、同じ視点から同じことを述べていると私には思えるのです。
『あまのじゃく人間へ―いつも考え込み自分を見せないあなた』の続きを引用します。
われわれは、この偶然をうまくつかまえるか、つかまえないかで、ある意味では運命の岐路が定まるといってもいいでしょう。
では、この偶然を上手につかまえるいい方法があるかというと、必ずしも明確な答えはない。
しかし、ぼくの人生経験とか名医にめぐり合った患者さんの話を聞いていると、共通しているものが一つだけあるのです。
きみたちだって、何によらずボケーっとする状態というのがあるでしょう。ここまで努力したけれど、あとは自分の力じゃどうにもならないとアキラらめる。そのとき、知らないうちにボケーッとするものです。こういった状態のときこそ、幸運な偶然を引き寄せる力があるのです。このことはぼくの長い人生経験からわかってきた。
このボケーっという状態はどういうことかというと、意識の上では努力を放棄しているのだけれども、意識の底にある無意識の中では、いままでの努力、願望が全部蓄えられている。
この集積が一つのエネルギーとなって外界に働きかけ、今まで気づかなかったものを呼び込んでくる。実はこうした状態のときに幸運が訪れる。そのときこそチャンスなんだ。
このボケーッとしている状態を、禅の人たちは「無心」と呼ぶ。
禅でいう無心とは、心に何もない状態を指すのではなく、意識の底にエネルギーの集積があって、それを自分では自覚していない状態を指す。
ボケーッとした状態にまで自分を持っていくことが、幸運を呼ぶ秘策といってもよい。
『運気を磨く』 から再度引用させていただきます。
実際、これまで世に現れた多くの「天才」と呼ばれる人々は、研究や学問、芸術や音楽など、分野を問わず、職業を問わず、そのアイデアや発想がどこから生まれてくるのかを問われたとき、誰もが、例外なくと言って良いほど、「どこかから隆降りてきた」「天啓のごとく与えられた」といった表現をする。
「頭で考え抜いて、思いついた」といった表現をする人は、あまりいない。
遠藤さんの「ボケーッ」というのは、「どこかから隆降りてきた」「天啓のごとく与えられた」とに近い状態ではないかと思うのです。
ところで、田坂先生の著書では、無意識を変えることの大切さが説かれています。
これまで語られてきた方法では、無意識の世界を変えることは難しいとも。
その理由として、三つの理由が書かれています。
第一の理由は、我々の無意識の世界には、日々、多くのネガティブな想念が刷り込まれ続けているからである。
第二の理由は、我々の無意識の世界には、すでに、かなりのネガティブな想念が染み込んでしまっているからである。
そして、第三の理由は、我々の無意識の世界は、表面意識の世界と反対の想念が生まれる「双極的な性質」を持っているため、ポジティブな想念を抱こうとすると、逆に、心の奥深くにネガティブな想念が生まれてしまうからである。
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【ユングの心理学】同時性と共通体
たびたびで恐縮ですが、『あまのじゃく人間へ―いつも考え込み自分を見せないあなた』から引用します。
同時性などというと、大変難しい言葉になりますけれど、これはユングの唱えた概念で、意味のある偶然の一致をいう。
偶然の出来事とか偶然の出会いなどという現象は、我々の日常の中でも、時々経験する事柄で、これは運とか不運とも大いに関連がある。
新しい物理学では、ある相似的な現象がまったく別々の場所で起こりうることがある、とされている。
そして、その現象を起こすものは共通体であるということが分かってきたというのです。
俗に「不幸は不幸を呼ぶ」といいますが、それはある意味で当たっている。
つまり、不幸を呼ぶ無意識の状態が次の不幸を選んでしまうわけです。
深層心理学では「意味のある偶然」と解釈され、これは同時性ということになるのです。
今日はどうも朝からツイていない状態だと思ったら、その無意識が消えない限り、気を付けた方がいい。
それを突破するにはどうしたらいいのかというと、高揚した無意識に切り替えることです。
それを切り替えるには、自分の無意識を捨てて、ツイてる人におぶさること。
2番目の方法として、無意識のカラーを変えてしまう。高揚した音楽を聴くことが有効です。
音楽を聴くというのは、単に気持ちを沈めるだけでなく、気持ちのカラーも変えてくれるのです。
いずれにしても、マイナスの無意識が持続すると、次から次へと悪いことが起こってくる可能性があるので、それを食い止める工夫が必要なのです。晩年のユングは、この同時性ということをたいへんに重要視している。
彼は「偶然だと思われるような出来事は、心的に意味深いものであって、その意味づけは、外的事象と合致する夢を通して、象徴的に示されている」といっている。
親や肉親が死んだときに感じるイヤな予感とか胸騒ぎなども、従来は人間の第六感とされていたが、深層心理学の分野では、これも同時性として解釈されています。
『運気を磨く』「目次」
序 話 非科学的と言われながら、誰もが信じているもの
- 良い運気」を引き寄せられない本当の理由
第一話 「良い運気」を引き寄せるただ一つの条件
- 人生の成功者が必ず使う「意外な言葉」
- 古今東西で語られる「良い運気」を引き寄せるただ一つの条件
第二話 「良い運気」を引き寄せる「心の五つの世界」
- なぜ、「愚痴の多い人」から「良い運気」が去っていくのか
- コミュニケーションの八割は「言葉」を超えて伝わる
- 「ムード・メーカー」が大切にされる本当の理由
- 幸せになりたいと願いながら、不幸を引き寄せる人
- なぜ、人は「視線」を感じることができるのか
- なぜ、同じような犯罪が、同時多発するのか
- なぜ、人は「この光景は、前に見たことがある」という既視感を覚えるのか
- なぜ、「占い」が、当たってしまうのか
- なぜ、「未来」が見えるときがあるのか
- 最先端の量子科学が解き明かす「運気」の正体
- すでに、「未来」は存在するのか
- 我々の「未来」と「運命」は、すでに決まっているのか
- なぜ、我々の心が「ゼロ・ポイント・フィールド」と繋がるのか
- なぜ、「引き寄せの法則」というものが存在するのか
- 「死後の世界」や「前世の記憶」「生まれ変わり」は、全くの迷信なのか
- 昔から多くの人々が信じてきた「神」や「仏」というものの実体は何か
- なぜ、最先端の科学の知見と、最古の宗教の直観が一致するのか
- なぜ、天才は、アイデアが「降りてくる」と感じるのか」
- 無意識は、さらに深い心の世界への入り口にすぎない
第三話 なぜ、従来の「無意識を変える方法」が効果を発揮しないのか
- なぜ、我々の心は、常に、ネガティブな想念に支配されているのか
- 人間は、生涯、その能力の数パーセントしか開花せずに終わる
- 心の世界は、電気の世界と同様、プラスとマイナスが同時に発生する
- 心の中に「ネガティブな想念」を持たない特殊な人間とは
- 心の中を「ポジティブな想念」で満たす「三つの技法」
- 「病気の克服」「才能の開花」「運気の向上」の三つが、同時に実現する技法
第四話 「無意識のネガティブな想念」を浄化していく技法
- 自然には、無意識の世界を浄化する偉大な力がある
- 真の瞑想の状態とは、自然に「起こる」もの
- 日常の「何気ない言葉」が無意識に染み込んでいく
- 他人を非難し否定する言葉は、自分に戻ってくる
- 「三つの感」の言葉を使うと「良い運気」を引き寄せる
- なぜ、「言葉」を発するだけで、「心」が変わるのか
- ネガティプな想念の多くは「人間関係」から生まれる
- 心の中で「感謝」の言葉を述べ、一人一人と「和解」していく
- なぜ、「感謝」の言葉は、心を大きく変えるのか
- いますぐ実践できる、嫌いな人との「和解」の技法
- 相手を責める気持ちが、自分の心を苦しめている
第五話 「人生でのネガティブな体験」を陽転していく技法
- 誰の人生にも、必ず「成功体験」はある
- 成功体験と重なる「音楽」は、無意識の世界を浄化する
- あなたは、自分が「運の強い人間」であることに気がついているか
- 幸運は、「不運な出来事」の姿をして、やってくる
- 人生の「解釈力」こそが「良い運気」を引き寄せる
- 感謝の心が、最高の「解釈力」を引き出す
- 過去の失敗体験は、実は「成功体験」であった
- 「不運に見える出来事」の意味が陽転する瞬間
- 自分に与えられた「幸運な人生」に感謝する
- 誰もが、人生における「究極の成功体験」を持っている
- この時代、この国に生まれたことの、有り難さ
- 生きていることの「奇跡」を知る
第六話 「究極のポジティブな人生観」を体得していく技法
- 「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」と信じる
- 「人生で起こること、すべて、深い意味がある」と考える
- 「人生における問題、すべて、自分に原因がある」と引き受ける
- 「大いなる何かが、自分を育てようとしている」と受け止める
- なぜ、志や使命感を持つ人物は「良い運気」を引き寄せるのか
- 逆境を越える叡智は、すべて、与えられる」と思い定める
- なぜ、懸命に「祈り」を捧げても通じないのか
- ネガティブな想念を生まない、究極の「祈り」の技法とは
終話 語運気を磨く、心を磨く
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【あとがき】四柱推命や紫微斗数、易はなぜ当たるのか
「信じる」「信じない」は個人の自由だと私は思います。
信じない人は、「そんなもの当たるはずがない」
から始まり、「どうして当たるのだ?」「なぜわかるのだ?」
に変わることも…。
私には理由を明確に説明できる自信はありません。
だからいろんな著書を読んだりして、自分自身が納得できるように、人様にも何とか理由が説明できるように努力しているつもりですが…、しかし、まだそんな域には達していません。
「当たるからから当たるのです」では納得しない人も多くいるのですが、人間分析にこれ以上役に立つものはないと私自身は確信していますので、「何とか理由を突き止めたい」と心がうごめいています。
しかし、今のところ理論の証拠がない…。
十二支を誰がそんなわけで考案したのか分からないのですから。
そこに、占いが持つ胡散臭さの原因があるならば、何とか究明したいものです。
それに成功すれば、もっと豊かな人生を送れる人がきっと増えると思います。
信じない人は信じなくても良いのです。
でも「インチキだ!」と決めつけるのは違うと思います。
「占いなんて詐欺だ」という人もいますが、何千年も前から多くの先人たちが延々と詐欺の研究を続けて現代まで至るでしょうか?
こんなに複雑で面倒くさい学問を追究するのに、何千年も前から「詐欺で金を儲けるため」という動機だけで、教えが伝わってくることはないと思うのです。
東京のある断易の先生に質問したことがあります。
「どうして当たるのですか?」
「時間と空間と、それだとか…」
何十年も研究している大先生でも、当たる理由を完全にはわかっていないし、説明もできないのでしょう。
「時間と空間との目に見えない何らかの力学的なものが卦に現れる」
と私はその時理解しました。
それに加えてよく言われるのは、無意識の作用です。
「無意識の世界が同時性を持っており、それが宇宙とつながっている」ことが証明されるなら…、そういう日がいつかは来るのかもしれません。
四柱推命で考えると、生年月日と生まれた時間は、宇宙(主に太陽)との関わりの状態や力量を十干と十二支で表現したものです。
この状態に応じて、水が強い人だったり、木が強い人だったりなど計測することができ、そこから性質や運命の傾向を見て取るわけです。
加えて言いますと、ユングは易を好み、実際よく占ったそうです。
「偶然」「同時性」「無意識の繋がり」などを証明するまでには至らなくても、ある種の確信を持っていたのかもしれません。
遠藤周作さんも、目に見えない世界に対して関心が高い方でした。
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