前回の記事で、数名の読者さんが「はてぶ」にコメントをくださいました。
ありがとうございます。
「ほんの些細な出来事が命を救ってくれた」
という経験をお持ちの方は思ったより多くいらっしゃるようです。
素晴らしい偶然というのでしょうか。あるいはそれも必然と呼ぶのでしょうか?
「運がいいとか悪いとか、そういうことって確かにある」
また『無縁坂』の歌詞を思い出してしまいました。
【運とは何か】運に救われた?人たち
サンタさんとハマサンスさんのコメントから
まず私の先日の拙記事にコメントを寄せてくださった方々、大変ありがとうございます。
サンタさんのコメントから
パン製造について専門家の視点から詳しく解説してくださるサンタさんのコメントです。
サンタさんは、いつかパン製造の研究本を出版するのではないかと私は思っております。
世界同時多発テロの9月11日、私はラスベガス行きの飛行機の中にいました。1週間後には、ニューヨークへ移動の予定でした。当時は、なぜこのタイミングで、と思いましたが、最悪の偶然は重なっていなかったようです。
アフガニスタンに動きがあるようです。あのおぞましい世界同時多発テロを思い出す人も多いと思います。
テロの計画が一週間ずれていたらサンタさんのパンの記事も存在していたかわかりませんよね。
ハマサンスさんのコメントから
読者数750名を超えるハマサンスさんのコメントはおもしろいです。
ハマサンスさんの記事は、さすがブログに熟練していらっしゃって、明るく軽妙なタッチが素敵な雰囲気を醸し出しています。
僕は専門学校で4回留年してしまいましたが、そうしないと今の嫁とは結婚していませんでした。まさに運ですね!すごく運が良かったと今でも思います!
明るくポジティブなハマサンスさんらしいコメントですね。
読むだけでも楽しくなってきます。
「留年してよかったですね!」と心からそう思います。
もし留年していなかったら、ハマサンスさんのブログもなかったかもしれません。
ブログなんて書いていたら、「そんなことする暇があったら家事をやりなさい!」と激怒する怖い奥さんと暮らしていたかもしれませんね(^_^)。
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【名関脇 長谷川さん】最強レベルの生命運
この生命運の強さはスゴい
北海道出身の昭和の名関脇、佐渡ヶ嶽部屋に所属していた長谷川さんをご存知ですか?
「長谷川」がしこ名です。
私が相撲を見始めた頃、テレビ朝日の『大相撲ダイジェスト』で切れ味鋭い解説をされていました。
当時は秀ノ山親方として外見も若々しく、ハキハキした解説は大変分かりやすかったです。
「名関脇」と呼ぶには理由があり、20場所以上関脇の地位を保ちました。
全盛期には、関脇の地位で優勝し「大関昇進」と言われましたが、上に4人の大関がいたことも影響し昇進は叶いませんでした。
私が相撲を見ていた昭和50年代は、「幻の大関」と呼ばれていたように記憶しています。
また引退の記者会見で「気持ちは大関でした」と語っていたと伝えられました。
このように番付では「不運」な人と言われました。
さらに、佐渡ヶ嶽部屋を後継する予定でしたが、 親方の急死によって事態が急展開し、琴櫻が後継者に決まりました。
これにより、長谷川さんの後継者路線は立ち消えになりました。
最後まで部屋を持つことなく、佐渡ヶ嶽部屋の部屋付き親方として定年まで勤め上げました。
長谷川さんが後を継いでいたら、佐渡ヶ嶽部屋の歴史も変わっていたかもしれません。
このように、出世など「社会運」には恵まれなかった人と言えそうです。
ところがどっこい、「生命」に関しては驚くべき「幸運」の持ち主です。
以下ウィキペディアから抜粋します。
- 幼少の頃、船に乗っていて甲板で足を滑らせ、海に落ちかけたが、運よく目の前にぶら下がっていた綱につかまり、一命を取り留めた。
- 同じく幼少時、橋の欄干から7メートル下の川に落ちたが、雨の影響で川の水量が増えていたため川底の岩に頭を打たずに済み、一命を取り留めた。
- 現役時代の1963年(昭和38年)11月、所属する佐渡ヶ嶽部屋でフグ中毒が発生してちゃんこ鍋の番だった2人が死亡してしまう(詳細は佐渡ヶ嶽部屋フグ中毒事件を参照)。
長谷川も当初ちゃんこ番の予定だったものの、当日急に腹の具合が悪くなり、ちゃんこを食べずにうどんを食べに外出したため、間一髪でフグ中毒を免れた。- 同じく現役時代の1966年(昭和41年)2月4日、札幌から東京へ戻るべく本来搭乗する予定だった全日本空輸60便が、羽田沖で航空墜落事故を起こし、乗客・乗員133人全員死亡の惨事となった(詳細は全日空羽田沖墜落事故を参照)。
ところが長谷川はさっぽろ雪まつりの見物中に古い友人と偶然再会して旧交を温めたことで全日空60便への搭乗を急遽キャンセルしたことにより、事故に遭遇することなく難を逃れている。
全日空機事故の知らせを聞いた師匠の11代佐渡ヶ嶽は顔面蒼白だったが、何も知らない長谷川から連絡が入り、「地獄に仏とはこの事だ」とほっとした表情で語ったという。
長谷川勝敏 - Wikipedia から引用
4度にわたって間一髪のところで生命の危機を乗り越えています。
これを幸運の持ち主と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか?
【長谷川勝敏さん】どんな四柱命式をしているの!?
月支が「空亡」しているし、失礼ながら良い命式ではありません。
社会的にも何かにつけてゴタゴタが起こりやすい命式です。
ちなみにフグ事件が起こった1963年の長谷川さんの歳運を見てみますと、
大運【癸 酉】偏印運 西方金運 、【20 歳 】 歳運【癸 卯】偏印運
歳運地支「卯」、日支「酉」、大運「酉」と冲が重なります。
どう考えても事故などの厄介ごとが起きやすい1年でした。
ここまで「冲」が重なると、やはり悪さは発生してしまいます。
ではなぜ助かったのか?
これはいささか強引な理由になるかもしれませんが、
この1年は「偏印運」で、身弱である長谷川さんの日干のエネルギーが強くなり、凶を変じて吉となす運の強さが増す年回りでした。
要するに、大難に遭っても小難にとどめるパワーがある1年だったと言えるでしょう。
だからといって「偏印運」だけで命拾いしたなどと極論を述べるつもりはありません。
やはりそこには、ご本人が持つ不思議な運の強さがあったのでしょう。
それでも、日干のエネルギーのパワーアップが危険回避につながったというと言い過ぎでしょうか?
航空墜落事故の1966年は、「空亡」の年ですが、【丙 午】傷官運でした。
長谷川さんにとって、傷官は日干のエネルギーの押さえつける「偏官」の力をセーブしてくれるので、幸運に傾きやすい1年でした。
頭脳の働きもシャープになり、直感も冴える1年でした。
長谷川さんの場合、生命運が社会運のエネルギーの吸い取ってしまったのでしょうか?
どちらが大事?と比べるのも変ですが、やはり命は何者にも代え難いと私は思います。
運に救われる人はたくさんいても、ここまで救われる人はなかなかいないと思います。
美空ひばりさんの『愛燦燦』に、
「わずかばかりの運の悪さを恨んだりして」
とありますが、実際の人生はそういうことの繰り返しだと思います。
「一寸先は闇」と言いますが、これは本当に大げさではないと思います。
生きていることのありがたさを時々思い起こすことも必要かなと感じたりします。
最後になりますが、ハマサンスさんは長谷川さんに負けず劣らず幸運な人ではないでしょうか。
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