人生に成功した人や幸せを感じている人のほぼ全員が、「自分は運がよかった」「あの出逢いが人生を変えた」「あの時、方向転換してよかった」と言います。
人生に失敗した人や幸福感がない人は「自分の人生はツキがなかった」「不運な人生だった」「自分には能力がなかった」などと愚痴をこぼします。

【豊臣秀吉】織田信長との出逢いが人生を変えた
豊臣秀吉が織田信長に出逢えたことも幸運のめぐり合わせでしょうね。
秀吉ほどの才能の持ち主でも、信長がいなければ仕官できなかったかもしれません。
つまり、歴史に名を残すことはなかったわけです。そして、日本の歴史は大きく変わっていたに違いありません。
信長との出逢いが人生を変えた!
もちろん、秀吉自身の才能や努力や人柄もありました。
信長は本能寺の変で死ぬ前に、天下布武を号して実力と才能を評価された様々な人物が集まりました。信長の死後、秀吉はその集団の上に乗っかれたわけで、それは大きな幸運だったと言えるでしょう。
また、信長に仕える前に、秀吉は駿河の今川義元の縁故を頼りました。
当時は、今川義元が大企業で、織田家はまだ零細企業みたいなものでした。

ですが、秀吉は「零細の方が面白い仕事ができるかもしれない」と考えました。
そして、今川ではなく織田を選び、日本一の草履取りから出世の道が始まりました。
壮大な人間ストーリーですね。
- 信長との出逢いは運命
- 信長を選んだのは洞察力と決断力
- 信長に気に入られたのは天性の性格
と言えそうです。
信長が討たれたタイミングもベストだった
信長を倒した明智光秀を討つことで、秀吉は後に主導権を握る立場を手に入れることができました。
「主君の仇を討つ」という泣かせる大義名分を使って応援をどんどん集めて、猛スピードで光秀を追い討ち取ったわけですが、この時もラッキーが重なりました。
- 織田家の重鎮だった柴田勝家や滝川一益らが、東国や北陸という遠方にいたこと。
- 信長によって道中の食糧がすでに要所要所に用意されていたこと。
2の幸運は大きいです。
- 途中で兵士が飢える心配がなかった
- 農民から略奪をする必要もなかった
運が良い人は、ベストのタイミングで幸運に恵まれるようです。
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明智光秀は頭の良い人だったらしいが…
明智光秀は戦場で強いと同時に大変な知識人だったと言われています。
信長ファンには憎まれていますが、地元ではとても人気があり、名君の誉れ高い人と好評価のようです。
しかし、文学的性格ゆえ悩みやすく、ハッタリを利かせることは不得手だったとも言われています。

その点、秀吉のハッタリは見事でした。
墨俣(すのまた)の一夜城の時、野武士たちに「成功したら恩賞は無限だ!」宣言したのもその一つです。人を操る達人だったのでしょうね。
仮に光秀にこの才能が備わっていたなら、歴史が変わっていた可能性もありそうです。
秀吉はおべっかの達人だった
秀吉の得意芸として伝わっていること。
それは、敵を九分九厘攻め落とした後、「もう少しで落ちますが、敵も必死でなかなか頑強です。何とぞ御大将のご出馬を」と主君の信長に花を持たせたといいます。
ウマいですね!
この如才なさが光秀にはなかったのでしょう。
やはり秀吉は、運もスゴいが、その才能も非凡ですね。
人を魅了し、巧みに引きつけ、自分の意のままに操るのがうまい人。今風に言えば「人垂らし」の達人です。
【伊藤博文】父親の破産が人生を変えた
父親の破産が幸運を引き寄せた!
伊藤博文も、父親が破産しなければ、水井武兵衛(みずい ぶへえ)の養子にならなかったでしょう。
そうすると伊藤の姓を名乗ることもなかったわけです。
※水井武兵衛:伊藤博文の父、林十蔵(はやし じゅうぞう)の養父にあたる人物
父親の破産が人生を変えた!
武兵衛はその後、足軽の伊藤弥右衛門(いとう やえもん)の養子となり、伊藤直右衛門(いとう なおえもん)と改名しました。
これにより、十蔵とその息子である博文(当時の幼名は利助)も姓を「伊藤」に改め、足軽(最も身分の低い武士)の身分を得ることになります。
※水井武兵衛が林十蔵を養子にとり、さらに武士身分となったことが、伊藤博文が身分に縛られず、後の吉田松陰の松下村塾で学ぶ機会を得て、明治の元勲となるための大きな転機となりました。

ステップアップの秘訣は「人との出会い」
その後めぐり巡った縁から、来原良蔵(くるはら りょうぞう)に目を掛けられ、吉田松陰の松下村塾の入門へとつながったわけです。
来原は伊藤博文の才能を見抜き、彼を熱心に指導し、木戸孝允に紹介して雇人とした人物です。博文が松下村塾に入門するきっかけも良蔵の紹介でした。
来原は、木戸孝允(桂小五郎)の妹、治子(はるこ)の夫であり、義弟にあたります。
吉田松陰は「ああ、我の尊信するところの者、ひとり桂(木戸孝允)と来原とのみ」と語るほど、その才能と人物を高く評価していました。
不思議なほど人の縁に恵まれた人だった!
その後の出世の理由には、もちろん伊藤自身の才能や努力や人柄もあったはずです。
この人は、農民から大出世した人として秀吉とよく比較されました。
柔軟な発想力など共通点は多いみたいですね。
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伊藤博文の暗殺を予想した男、高島嘉右衛門
高島暦で有名な高島嘉右衛門をご存じでしょうか?
有名な易者さんです。伊藤は高島に絶大な信頼を寄せていました。
1909年(明治42年)10月26日、ロシアのココツェフ蔵相との会談のため、伊藤は満州のハルビン駅へ向かいました。
出発の前、高島は易を立てました。出た卦は「艮為山」。

この卦から、危険を察知した高島は、伊藤の満州行きを懸命にとめたそうです。
高島嘉衛門先生、伊藤博文の満州行きを占して艮三爻、ハルビン駅で安重根の凶弾に倒れるを聞き、引き止められなかった悔しさ嘆かれる。
引用元『周易外伝』岡竜玄著
わかりやすい記事を見つけました。
結局、伊藤博文は暗殺されました。
その犯人ですが、銃弾が刺さった方向や弾丸などから通説とは異なる犯人像を唱える人もいます。
室田義文もその一人です。
室田は、随行員として現場にいて自らも5発の銃弾を受けました。
こういう本もあります。
近代日本暗殺史 (PHP新書) 新書 – 2023/7/15
成功した人は必ず言う「自分は運がよかった」
【豊臣秀吉と伊藤博文】幸運ゲットの共通点
「運も実力のうち」と言いますが、実際にそうなのでしょうね。
「運を味方につける」という言葉もあります。
豊臣秀吉と伊藤博文、この二人に共通しているのは「ポジティブな明るさ」だったと言われています。
明るさと楽観性は、人を惹きつけるために必要な要素です。
暗い憂鬱な顔をしていたら、人は寄ってきません。ネガティブな言動が多くても人を遠ざけてしまいます。
明るさは人を引き寄せ、人は運を引き寄せる(自家製の言葉)
この2人は、運を引き寄せるコツを苦労を糧にして体験から会得していたような気がするのです。
運を引き寄せる生き方の五か条
豊臣秀吉と伊藤博文の共通点から、「運を引き寄せる生き方の五か条」をまとめました。
1.準備と学びを怠らない(実力主義)
運は「準備と機会が交差するところに生まれる」と言われます。チャンスが訪れたときに、それを掴むための知識・スキル・体力がなければ、それはただの機会で終わってしまいます。
- 行動:常に新しい情報を学び、自己投資を行い、専門分野の能力を高める。
- 心構え:チャンスはいつ来るかわからないと覚悟し、常日頃から備えておく。
2.決断と行動を迅速に(機会主義)
運は足が速いものです。良さそうな機会が目の前に現れたとき、考えすぎて行動に移すのが遅れると、その運は他の人のところへ行ってしまいます。
- 行動:迷う時間や失敗を恐れる時間を短縮し、まずは小さな一歩でも踏み出す。
- 心構え:完璧な機会は存在しないと知り、7割の確信で飛び込む勇気を持つ。
3.周囲への感謝と親切を尽くす(人間関係)
運は、最終的に人が運んでくるものです。
- 行動:どんな小さなことでも「ありがとう」を伝え、見返りを求めず他者に親切にする。
- 心構え:他人の成功を妬まず、心から祝福する。良い人間関係が運の循環を生むと信じる。
4.ポジティブな言葉と態度を維持する(心の姿勢)
思考や言葉には、現実を引き寄せる力があります(引き寄せの法則)。ネガティブな発言や愚痴が多いと、ネガティブな結果を引き寄せやすくなります。
- 行動:意識して明るい言葉を選び、失敗を「経験」や「学び」と捉え直す。
- 心構え:困難な状況でも「きっと良くなる」「自分にはできる」と信じ続ける。
5.変化と挑戦を歓迎する(柔軟性)
運気は常に流動しています。過去の成功体験にしがみついたり、現状維持に固執したりすると、新しい運の流れに乗れません。
- 行動:慣れない分野や新しい役割に積極的に挑戦する。
- 心構え:計画通りにいかなくても慌てず、「予定変更は運の転機」と捉えて柔軟に対応する。
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