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人は、不安の中で「救ってくれる人」を信じたくなる|新入社員時代、同僚が渋谷で騙された夜

雨上がりの渋谷の交差点で不安そうに立ち尽くす新入社員の男性

人は、不安の中で「救ってくれる言葉」を信じたくなることがある。

新入社員時代、同僚が渋谷の街で大金を騙し取られたことがありました。

1991年の出来事です。

今のようにスマホもSNSもない時代でしたが、人の不安や善意につけ込む手口は、昔も今もあまり変わらないのかもしれません。

当時の彼は、とても真面目で、人当たりの良い青年でした。

だからこそ突然の出来事に強く動揺し、「自分が悪かったのではないか」と思い込んでしまったのでしょう。

あれから長い年月が流れました。

それでも時々、あの夜の電話や、元気をなくしていた彼の姿を思い出します。

当時のことを、少し順に書いてみます。

営業一課には、私を含めて4人の新入社員がいました。

朝出社すると、まず電話でその日のアポイントを取ります。

4〜5件ほど約束が取れると、「行ってきます」と営業カバンを片手に会社を出ました。

「新入社員は最低でも1日6社回りなさい」

そんな時代でした。

就職情報誌の広告営業です。

毎日必死でしたが、今振り返ると、まだ社会の怖さをよく知らない若者たちでもありました。

入社して9か月ほど経ったある夜、借り上げマンションの部屋に電話が鳴りました。

同じ課の新入社員Tからでした。

「実は深刻な悩みがある。誰にも言わないことを約束してほしい」

電話越しの声を聞いて、私はすぐに異変を感じました。

Tは関西出身で、いつも明るく、人懐っこい男だったからです。

そんな彼が、まるで別人のように沈んだ声を出していました。

あれから、もう30年以上が経ちました。

Tくん、もう時効ということで許してほしい。

渋谷の交差点で、突然呼び止められた

夜の電話で聞かされた話

「これから話すこと、誰にも言わないでくれへんか」

「かなり深刻なんや」

Tはそう前置きして、静かに話し始めました。

声に、いつもの勢いはありませんでした。

これから書くのは、その時に聞いた話です。

記憶をたどりながらなので多少曖昧な部分はありますが、できるだけ当時の空気のまま残したいと思います。

夜の渋谷の交差点を歩く人々のイメージ

渋谷とは聞いたが、どこの交差点だったのかは聞いていない…

 

「お前は、とんでもないことをしてくれた」

その日、Tはいつものように営業カバンを持って街を歩いていたそうです。

すると突然、一人の男に呼び止められました。

「さっき横断歩道ですれ違った時、お前はとんでもないことをしてくれた!」

突然そんなことを言われても、Tには何のことかわかりません。

困惑するTに向かって、男は一方的に話し続けたそうです。

  1. 「横断歩道で、ある重要な取り引きをしていた」
  2. 「その瞬間、お前が間に入った」
  3. 「そのせいで話が壊れた」
  4. 「大きな損害が出た」
  5. 「どう責任を取るつもりなんだ」

かなり強い口調で責め立てられた、とTは言っていました。

まだ若く、社会経験も浅かったTは、一気に動揺してしまったのでしょう。

突然呼び止められて動揺する男性のイメージ

Tはいきなり呼び止められ、強い言葉を浴びせられた

 

何の罪もないのに、Tは何度も謝った

話の続きを聞きたくなった私は、Tに先を促しました。

Tは少し間を置いてから、静かに話し始めました。


T「俺、何回も謝ったんや」

「何も知らなかったんです。本当にすみませんでしたって…」

私は電話を聞きながら、胸の奥がざわつきました。

今ならわかります。

Tは、何も悪いことをしていません。

でも、人は突然強く責め立てられると、「自分が悪かったのかもしれない」と思い込んでしまうことがあります。

特に、真面目な人ほどそうです。

最初は激しく怒っていた相手も、途中から少しずつ態度を和らげていったそうです。

私はその時点で、「おかしい」と感じました。

ただ、もし自分が同じ立場だったら、冷静でいられた自信はありません。

突然見知らぬ相手に怒鳴られ、「大変なことになった」と言われ続けたら、頭が真っ白になっても不思議ではないからです。

私「その“重要なもの”って、何だったんだ?」

T「最後まで教えてもらえなかった。ただ、“失敗したら命に関わるくらい大事なもの”だと言われた」

Tは、相手の話を本気で信じ込んでいたわけではなかったと思います。

でも、強い恐怖の中で、「本当に迷惑をかけてしまったのかもしれない」と感じてしまったのでしょう。

そして何より、Tは人の良い男でした。

だからこそ、何度も謝ってしまったのだと思います。

強い不安の中で判断力を失っていく若者のイメージ

Tは相当動揺し、冷静な判断が難しくなっていたのだと思う

 

「お前を守ってやりたい」と男は言った

しばらくすると、相手の男は少しずつ口調を変えていったそうです。

「わかった。お前がわざとやったわけじゃないことは理解した」

ところが、本当の問題はそこからでした。

  1. 「お前を信じる」
  2. 「でも、大きな損害が出たのは事実だ」
  3. 「俺も立場が危うい」
  4. 「兄貴分に説明しなければならない」
  5. 「それでも、俺はお前を守ってやりたいと思ってる」

Tの話を聞きながら、私は背筋が冷たくなりました。

恐怖を与えたあと、急に優しくなる。

今振り返れば、とても不自然な流れです。

けれど、極度に不安になっている時、人は「助けてくれる人」の言葉にすがりたくなることがあります。

特に、自分を責めている時ほどそうなのかもしれません。

その後、男はこう続けたそうです。

  1. 「兄貴分のところへ詫びに行かなければならない」
  2. 「俺もどんな目に遭うかわからない」
  3. 「このままでは済まない」
  4. 「せめて最低限の手土産が必要だ」

細かいやり取りは、もうTもあまり覚えていませんでした。

ただ、一つだけはっきり覚えていたことがあります。

Tはその男と一緒に銀行へ行き、全財産を渡してしまったのです。

不安の中で相手を信じたくなってしまう心理のイメージ

強い不安のあとに優しくされると、人は判断を失うことがある

 

「信じたかった」のかもしれない

新入社員でしたから、全財産と言っても50万円前後だったと思います。

それでも、当時の私たちにとっては大金でした。

私は話を聞きながら、言いづらいことを口にしました。

私「それ、騙されてると思う」

「怖がらせたあとに安心させるのは、典型的なやり方だよ」

するとTは、小さな声で言いました。

「俺も最初は本当に怖かった」

「でも最後は、俺を信じるって言ってくれた」

「心配までしてくれた」

「じっくり話してるうちに、嘘じゃない気がしてきたんや」

「ただ、家に帰って一人になったら、“あれ?”って思い始めて…」

その言葉を聞いて、私は思わず言いました。

「いや、一番大事なのは、お前は何も悪いことしてないってことだろ…」

でも今振り返ると、Tは完全に信じ込んでいたわけではなかったのだと思います。

きっと、信じたかったのでしょう。

「大丈夫だ」と思いたかった。

「自分は取り返しのつかないことをしたわけじゃない」と、誰かに言ってほしかった。

人は、不安が極限まで大きくなると、“救ってくれる言葉”を信じたくなることがあるのかもしれません。

 

それでもTは、その男を信じようとしていた

Tは少し黙ったあと、こう言いました。

「確かに、俺は悪くないのかもしれん」

「でも、あの人に迷惑をかけたのは事実やと思うんや」

そして続けました。

「実は明日、また会う約束をしてる」

「うまく話がついたら、今日渡した金は返してくれるって言ってた」

私は思わず言いました。

「そんなの、来るわけないだろ…」

するとTは、少し迷うような声でこう返しました。

「でも俺、信じてみたいんや」

「話してる時は、悪い人には思えなかった」

私は電話を握りながら、言葉を失いました。

たぶんTは、完全に騙されていたわけではなかったのだと思います。

どこかで「おかしい」と感じていたはずです。

それでも、“信じたい気持ち”の方が強くなっていた。

人は極度に不安になると、「助けてくれるかもしれない人」を手放せなくなることがあります。

特に、恐怖のあとに優しくされると、なおさらです。

 

私は、その男が待ち合わせ場所に現れる可能性は低いと思っていました。

正直、99%来ないだろうとも思っていました。

ただ一方で、もし現れた場合、Tがさらに危険な目に遭う可能性も感じていました。

だから私は言いました。

私「明日、俺も行くよ」

「知らないふりして近くで話を聞く」

T「いや、お前が来たらダメや」

私「もし本当に誤解だったなら、俺は何もしない」

「でも、お金を返さなかったら、その時は話に入る」

T「いや、本当に来なくていい」

そこからしばらく、

「行く」

「来なくていい」

というやり取りが続きました。

 

最後にTは、少し疲れた声で言いました。

「頼むから、ここは引いてくれ」

「話だけ聞いてくれただけでありがたいんや」

「絶対に来んといてくれ」

結局、私は行きませんでした。

警察に相談することも、Tは最後まで拒みました。

今振り返ると、無理にでも動くべきだったのかもしれません。

でも当時の私は、Tの

「お前だから話したんやで」

という言葉に、強く縛られていました。

若かった私は、“信頼を裏切ってはいけない”という思いの方を優先してしまったのです。

 

その後のこと

男は、待ち合わせ場所に現れなかった

営業に出た社員が会社に戻るのは、いつも夜の7時頃でした。

新入社員の私たちは、先輩たちからよく聞かれました。

「今日は何社回った?」

5社回れば、ぎりぎり及第点。

4社以下だと理由を聞かれ、場合によっては厳しく叱られました。

ただ、その頃には同期4人とも、少しずつ社会の要領のようなものを覚え始めていました。

実際には4社しか回っていなくても、「6社です」と答えれば、その場は済んでしまう。

若かった私たちは、そんな小さなごまかしも覚えていました。

その日、私は早めに会社へ戻り、Tの帰りを待ちました。

Tが戻ってきた瞬間、その表情だけで結果はわかりました。

それでも、私は念のため目で合図しました。

「どうだった?」

Tは、小さく首を横に振りました。

次に私は、声を出さずに唇だけで聞きました。

「来なかったの?」

Tは、また小さく頷きました。

やはり、男は来ませんでした。

板橋駅前のジンギスカン屋

当時、私は板橋区成増に住んでいました。

Tのマンションは北区赤羽にありました。

その途中にあった板橋駅の近くに、ジンギスカン屋さんがありました。

北海道出身の私はジンギスカンが好きで、よくTをそこに付き合わせていました。

私たちはその店で、何度も仕事の愚痴を言い合いました。

「仕事つまんねーな」

そんなことを言いながら、若い二人で肉を焼いていました。

愚痴が多かったのは、たぶん私の方です。

北海道人の私の方が、いつもTより多弁でした。

その日の夜も、私はTを誘って、いつものジンギスカン屋へ行きました。

当然ですが、Tにいつもの元気はありませんでした。

大金を騙し取られたことを悔やんでいました。

そして何より、あの男を「良い人かもしれない」と信じた自分を恥じているようでした。

私は、その姿を見るのがつらかったです。

今思えば、Tは本当に信じていたというより、信じたかったのだと思います。

「大丈夫だ」

「お金は戻ってくる」

「自分は取り返しのつかないことをしたわけではない」

そう思いたかったのかもしれません。

それでもTは、警察には行かなかった

私はもう一度、警察に行くことを勧めました。

でもTは、頑として受け付けませんでした。

私は、Tが意外に頑固なことを知っていました。

普段は人当たりがよく、明るく、誰にでも合わせられる男でした。

けれど、一度「こうする」と決めると、なかなか動かないところもありました。

営業成績は私の方が良かったのに、いつもTは私の愚痴の聞き役でした。

「お前は自然体の人柄営業で客がつくから、うらやましい」

そんなことを、よく言ってくれました。


今なら思います。

無理にでも警察へ連れて行くべきだったのかもしれません。

同じような被害に遭う人を、少しでも減らすためにも。

ただ、その夜の私は、それ以上強く言えませんでした。

Tがこれ以上傷つくのを、どこかで恐れていたのだと思います。

だから私は、事件の話題をこちらから振るのをやめました。

別の話をしながら、静かにジンギスカンを食べました。

店の煙、鉄板の音、元気のないTの横顔。

そんな夜の記憶が、今もぼんやり残っています。

 

あれから30年以上が過ぎて

この話は、会社の先輩にも、上司にも、他の同僚にも話しませんでした。

Tが「誰にも言わないでくれ」と言ったからです。

あれから30年以上が経ちました。

もう何年もTとは連絡を取っていません。

このブログを読めば、Tはきっと「俺のことを書いたな」と気づくはずです。

だから、せめて匿名にしておきます。

ただし、イニシャルのTだけは本物です。

読んだら、連絡をくれたらいいなという気持ちも少しあります。

 

人は、弱いから騙されるわけではない

今振り返っても、あの男は最初からTを騙すつもりだったのだと思います。

突然責め立てる。

大きな損害を口にする。

相手を不安にさせる。

そのあとで、急に優しさを見せる。

「俺はお前を守ってやりたい」

そんな言葉をかける。

冷静に考えれば、不自然なことばかりです。

でも、その場で強い恐怖を与えられた人間が、同じように冷静でいられるとは限りません。

特にTのように、真面目で、人に迷惑をかけることを嫌う人ほど、自分を責めてしまうことがあります。

「もしかしたら自分が悪かったのかもしれない」

「自分のせいで大変なことになったのかもしれない」

そう思い込まされると、人は判断力を失っていきます。

そして、不安の中で差し出された優しい言葉に、すがりたくなります。

Tは、愚かだったのではありません。

弱かったから騙されたのでもありません。

若く、真面目で、人の言葉を信じようとする人間だったのだと思います。

悪かったのは、その善意につけ込んだ相手です。


世の中には、人の不安や優しさを利用する人がいます。

それは、とても悲しいことです。

だからこそ、追い詰められた時ほど、一人で抱え込まない方がいいのだと思います。

怖い時。

恥ずかしい時。

誰にも言えないと思った時。

そんな時ほど、誰かに話した方がいい。

すぐに答えが出なくても、話すことで少しだけ冷静さが戻ることがあります。

あの夜、Tが私に電話をくれたことだけは、本当によかったと思っています。

私は十分なことをしてあげられませんでした。

でも、少なくともTは、一人であの夜を抱え込まずに済みました。


長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

Tが今、どこかで穏やかに暮らしていることを願っています。

そして、あの頃の自分を、もう責めていないことを願っています。

▶ 人は、不安の中で判断を失うことがある

強い恐怖や不安を与えられると、人は冷静な判断が難しくなることがあります。
そして、そんな時ほど「助けてくれる人」を信じたくなるものなのかもしれません。

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