日々食べているお米。ふだんは一粒一粒の違いを意識しません。
しかし、精密な電子顕微鏡で覗いてみると、質や量、形態など完全に同一のお米はひとつもないはずです。
自然が作ったものに同一のものはひとつもない。まさに「造化の妙」と言えます。

【四柱推命学】お米だって文句を言いたい…かも
一粒一粒のお米が違う理由
- 田んぼの真ん中や端っこで作られた違い
- 東西南北など田んぼの中の日当たりの違い
- 田んぼの中の水はけや堅さなど土壌の偏り
などで、稲にも住み心地に微妙な違いがあり、米が出来上がる時期、質や量などに微妙な影響を与えるようです。
稲に口があったなら、
- 「あいつ(他の稲)の場所の方が水はけがいいぞ」
- 「あっちの方が日当たりいい。俺の場所はイマイチだ」
- 「なぜ俺を田んぼの端っこに植えた!」
- 「俺の場所は隣の稲と近くて狭苦しいぞ」
- 「あぜ道のそばに植えられて落ち着かない」
耳を澄ませば、田んぼからたくさんの文句や愚痴が聞こえてきそうです。

「人間様が植えた時点で、俺の運命は決められていた」
すなわち、人間と同様に宿命という八苦を背負って生きているといえそうです。
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【四柱推命学】自分の意志で決められない仕掛け
人間も生まれながらの仕掛けを背負って生きています。
自分の意志で決められない仕掛けのことです。
- どこの家に生まれるかは注文できない
- 男女のどちらに生まれるかは注文できない
- 生年月日も注文できない
そして、本質的性質。これも、実は決められません。
「こんな容姿になりたくなかった」
「どうも気が短くていかん」
「せっかちで慌てん坊なところを直したい」
「つい悲観的感情に流されてしまう」
「俺が俺がと出しゃばってしまう」
人間は理性ある生き物ですから、「これじゃいかん」と自分を改めようとするわけです。
でも、自分を省みる時間は1日のうちせいぜい10分が限界ではないでしょうか。
24時間1440分のうちのわずか10分です。
1430分は自分を省みることなく無意識に生きていることになります。
「日に三度(みたび)我(わ)が身(み)を省(かへり)みる」(「論語‐学而」)
君子でさえ日に何度も自分の言動を反省する必要があるようです。
しかし、我々凡人は、よほど嫌なことがない限り1日に何度も我が身を振り返ったりしないでしょう。
そして、いくら振り返って反省しても、本質は変えられないという結論に達します。
ですから、自分の本質を知り、受け入れ、それに沿った生き方をするのが開運の第一歩と言えます。
「同じ形態のお米は1つもない」ように、他の誰かと同じ生き方をしたくても、それは無理だからです。
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【四柱推命学】「自分は何者か」の本質を知る
「自分は何者か」の本質を知る上で四柱推命ほど役に立つものはないと亀石厓風先生は語っています。
まず、自分の根っこにある本質を知らせてくれます。
己自身(先天福分)を知れば、自分の人生を人のせいにしなくなります。
「どうして俺は頑張っても金持ちになれないんだ。妻が悪いからだ」
ではなく、
「もともと自分はこういう宿命なんだ」
「今この生活で十分順調なんだ。これも妻のお陰だ」
と考えることができるかもしれません。
「あいつのせいだ」と思いながら生きるより、「あの人のお陰だ」と考えながら生きた方がよほど運気も向上し、その後の人生が豊かになっていくに違いありません。
本当の開運法は、自分を知って自分を受け入れること。それがスタート地点だと思います。
その上でマイナーチェンジしていくのが本当の開運に繋がるように思います。
そして、運の起伏の時期を知ることも大切なことです。好運期を逃さないためです。
参考資料 亀石厓風氏の四柱推命学講座
著書の紹介です。
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