「学校の勉強は社会で役に立たない」としたり顔で言う人が多くいます。
「本当にそうかな?」と私は思います。
数学は論理的思考を鍛える訓練になります。
足し算と引き算だけできれば生活できるとは思いません。特にこれからは。
また、実学にこだわりすぎると、物事の本質は見えにくくなるような気がします。
という理屈は一旦やめておいて、高等学校の漢文の教科書によく出てくるお話「黔之驢」について書いてみました。
読んだことがある人は「そんな話も読んだな~」と思い出してくださると幸いです。
なかなか含蓄に富んだ面白い話だと思います。
学校の勉強は、直接的に社会で役に立つものは確かに少ないかもしれません。
しかし、目に見えないところで意識のどこかに根付いているものだと思います。
【黔之驢】(柳宗元)黔州の驢馬〈訳文〉
黔州には驢馬(ろば)がいなかった。
物好きな人がいて、船に乗せて連れて来た。
連れては来たが、使い道がないので、山のふもとに放した。
虎が驢馬を見た。大変大きく見えた。
「神か」と思い、林の中に隠れて様子をうかがっていた。
そのうちに少しずつ近づいて、用心深く見たが相手のことがよくわからない。
ある日、驢馬が一声鳴いた。
虎は大変驚き、遠くに逃げた。
「自分に噛みつこうとしているのだ」と思って、ひどく恐れた。
しかし、近づいたり離れたりしながら観察してみると、特殊な能力はなさそうに思える。
その鳴き声にもますます慣れて、前や後ろに近づいてみたが、つかみかかることはしなかった。
だんだん近づいて、ますます慣れてくると、体をこすりつけるようになった。
驢馬はそれに我慢できず、虎を蹴飛ばした。
すると、虎は喜んで、「技はこれだけだな」と考えて、跳びかかり、大声でほえて、驢馬の喉を食いちぎり、肉を食い尽くして去った。
ああ、形の大きなものは徳があるように見え、声の大きなものは能力があるように見えるものだなあ。
あの時、技を出さなかったら、虎が獰猛とはいえども、最後まで疑いおそれて襲いかかることはなかったであろう。
今こうなってしまった。悲しいことだなあ。
【黔之驢】(柳宗元)ストーリーの要点
- 虎がはじめて驢馬を見て驚く
- 虎は驢馬のことがわからない
- 驢馬の鳴き声を聞いて虎は怖がる
- 驢馬を何回も見ているうちに虎は鳴き声に慣れてくる
- 虎がますます慣れて驢馬に体をすり寄せる
- 虎をウザいと思った驢馬は何も考えず怒って蹴る
- 虎は驢馬の技が蹴ることだけだと知り、驢馬を食い殺す
- 特技を見せたために身を滅ぼしたことを嘆く(作者)
- 驢馬はなぜ虎に食い殺されたか?⇒得意技を見せたから
- この話の教訓は?⇒強い相手に腹を立てて自分の技を見せてはいけない
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【黔之驢】人はどう生きるべきか
【驢馬の失敗の検証】虎の行動との対比から
- 虎は、自分の安全を考え、慎重に驢馬の力量を測ろうとした
- 驢馬は、虎を見ても何も考えずマイペースを貫いた
何が良くないかというと、驢馬は、
- 自分の弱さを理解していない
- 虎の強さを全く考慮していない
驢馬の最大の失敗
- 自分が弱いことを、軽率な行動によって虎に教えてしまったこと
会社においても、できるだけ自分の能力の無さは周囲に気付かれないようにしたほうが安全ではないでしょうか。
社会的動物である男性は無意識にそのことを知っているので、多くの男性は見栄っ張りであり、自分を大きく見せたがります。
「カッコつけたがり」は実際はあまりカッコ良くないですが、周囲に知られなければ、自分を守るすべとして有効である場合も少なくありません。
驢馬も最後まで、強いカッコを貫くべきでしたね。
【安全に生き抜くために】驢馬はどうすべきだったか
- 虎が自分よりも強いことを最初に自覚するべきだった
- 自分を恐れていることに気が付くべきだった
- 強いふりをしながら、少しずつ虎から距離をおくべきだった
野生の熊と出会った時、背中を向けて逃げるのは最悪の逃げ方と言われています。
目をそらさず少しずつ後ずさりをする、そして距離を置くのが正しいらしいです。
相当な精神力が必要でしょうけど…。
他に、傘を持っていたら静かに広げるのが良いと聞いたことがあります。
自分を大きく見せる効果があるらしいです。
ゆったりと煙草の煙をくゆらせるのも効果があったと聞いたことがあります。
事実かどうかわかりませんが、頭上に広がる煙が自分を大きく見せる効果につながり、熊は警戒心を抱くらしいです。
ということから考えると、虎は驢馬を怖がっているわけですから、その心理状態を利用するべきでした。
ゆったりと慌てない様子を見せ、「強いかもしれない」という虚像を抱かせたまま、少しずつ距離を取り、虎がいない場所に避難するべきでした。
もう一つ言える教訓は、「弱いものは簡単にキレてはいけない」ことです。
キレるのではなく、冷静に対処するべきでした。
【群れの重要性】虎は他にもたくさんいる
しかし、もし運良くこの虎から離れることができても、いずれは他の虎と出くわすことになります。
では、どうしたらよいのか。
自分の姿と似た動物の群れに加えてもらうことが最善の生き方ではないでしょうか。
例えば、野生の馬の群れがあったら、ちゃっかりそこに加えてもらうことです。
ここからは、さらなるフィクションとしてお読みください。
野生の馬の群れに加わったら、最初のうちは「変なヤツ」と迫害してくるかもしれません。
エラそげにしてくる馬もきっといるでしょう。
しかし、群れに対して忠実に役に立つことをしていけば、いつか仲間として認めてくれる日が来るのでは?と思います。
中学校時代、私は熱帯魚を飼育していました。
小型の魚ばかり、種類ごちゃまぜの水槽でした。気性の激しい魚もいました。
小柄で弱い魚であるネオンテトラは10匹以上の群れを作っていました。
その水槽に、グローライトテトラを1匹だけ買って入れたのです。
きっと不安だったのでしょう。
彼はすぐさま、ネオンテトラの群れのお尻にくっついて一緒に行動するようになりました。
同じカラシン科で、サイズも近いので安心感があったのだと思います。
さすがに私はかわいそうになり、数週間後、5~6匹のグローライトテトラを買ってきて水槽に入れました。
すると、彼は、ネオンテトラの群れから離れ、グローライトテトラの群れに合流するようになりました。
小さな熱帯魚でさえ、生き抜くためには異なる種の群れに入っていたわけです。
生きるための本能でしょうね。
驢馬もできるならそうするべきでした。
そして群れの中で存在が認められ、「役に立つヤツ」と思われたなら、他種とはいえども群れの中で出世できたかもしれません。
【人間の群れ】人間社会にも虎がたくさんいる
「人間も同じでは?」と思います。
自分一人で生きていけないのであれば、集団(会社)に属するのが安心・安全です。
そこでは、人間関係のストレスが尽きることはないでしょう。
次から次と、問題が起きたり、心が傷ついたりもするはずです。
しかし、虎がたくさん住む社会において一人で生き抜く力量がない以上は、どこかの群れに属していた方が安心・安全だといえます。
- 虎より強くなろうとして、噛む力や蹴りの威力を高める努力をしても無駄です。
- 鍛えるなら、逃げ足の速さと危険察知能力でしょう。
「自分に何ができるか」をよく考えて身の丈にあった生き方をするべき、ということを教えてくれるお話だと思います。
それにしても驢馬さんはのんきですね。
最近の若い人には、「組織に属せず一人で生きていく」という夢を持つ人が少なくないようです。
YouTubeなどで、「自分一人の力で大成功して大金持ち!」という人を目にする機会が増えたことに一因があるような気がします。
実際は、簡単はないはずです。
「社畜」も、上司の言いなりの情けない生き方ということからできた言葉なのでしょう。
確かにそういう側面はあるでしょうが、それにしても一人で森の中を生きる驢馬になるよりは安心・安全ではないでしょうか。
「ずっと組織に所属しているのが良い」と言いたいのではなく、「力量に合った生き方をしないと驢馬になっちゃうよ」と危惧するわけです。
とはいえ、若い人には最初からこぢんまりとした安全第一の考え方に固執して欲しくないし…。
そこが難しいところですね。
また、これまでのように組織に所属さえしていれば安心という時代ではなくなったことも事実です。
繰り返しますが、これからの社会は大変ですね。
自分に合った「武器」を身につけないと…。
- 組織の中で役に立つ人間になるか
- さもなければ、本当に自立する強い人になるか
- 自分だけのスキルを身につけるか
まずは、自分を高め、自分を知ることが一番大切ではないでしょうか。
もちろん、虎とか熊みたいなエネルギーを持つ人は、思い切って起業すべきでしょう。
でも、本質が驢馬の人は、やめておくのが賢明と思います。
これからは、若い人たちにとって本当に大変な時代がやってくる、そんな予感がします。
そうならないためにも、少しでも良い社会を築いていくことが大人の重要な役目だと、エラそげなことを書いて今日の記事は終わりにさせていただきます。
それにしても、連れてきた驢馬を山の麓に放した人が一番良くないですね。
無責任な行動です。まるで今の大人…。
北海道でも、アライグマが野生化して大変困ったことになっています。
自分勝手な人が、未来の子ども達に自分勝手な理由で負の遺産を置き残しているわけです。
ダメですね。
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