「動物は絶望しない」という名言があります。
最近、その言葉が頭をよぎったので、いろいろ考えてみました。
本当に絶望しないの?
その言葉を耳にした時、私が思い浮かんだのは母象の悲しみです。
「動物は絶望しない」我が子がライオンに襲われた母ゾウ
8年くらい前でしょうか。動物番組『ダーウィンが来た』で見たシーン。
乾期になると水や食糧が不足します。
ゾウの群れはその影響を受け、体力が低下し歩くのもやっとの状態になります。
その時期は、ライオンの強いプライドと力関係が逆転するらしいのです。
栄養満点の元気なゾウはライオンをほとんど怖がりません。
むしろ、ライオンがゾウを避ける傾向にあります。
水場でも、ゾウが「そこをどけ!」とライオンを蹴散らす場面が多いらしいです。
ところが、長い乾期によって体力を奪われたゾウにはライオンを蹴散らす気力も残っていません。
逆にライオンを避けるようになるそうです。
そんな時期の記録を描くドキュメンタリーでした。
テレビの画面に子象がライオンの群れに襲われるシーンが映されました。
ゾウたちには、もはやライオンを蹴散らす気力も体力も残っていません。
残っているのは、水場を求めてゆっくり歩くギリギリの体力だけです。
子象が襲われる場面を目にして驚いた母ゾウは、ショックのため大量の小便を漏らしました。
テレビから、小便が土に落ちる大きな音が聞こえました。
同時に、母ゾウの悲しい叫び声も。
ゾウは、とても賢く仲間の死の意味を理解する動物だと聞いたことがあります。
まして、目の前で我が子がライオンの群れに食いちぎられています。
母ゾウの心に悲しみがないわけはありません。
あの時、母ゾウは絶望していたのか?
あの小便と悲鳴は絶望のサインだったのか?
動物は絶望しない
しばらくして、母ゾウは群れと一緒に移動を開始しました。
絶望していたなら、そこにへたり込むか、必死の戦いをライオンたちに挑んだはずです。
賢い母ゾウは、我が子が助からないことを確信し、悲しみをかみしめながら一歩を踏み出した。
私にはそう見えました。
「もう助けられない。ごめんね坊や」
そう語りかけて、泣きながら一歩を踏み出した。私はそんなふうに感じました。
その一歩が意味することは、我が子との永遠の別れ。
そのことを母ゾウは知っていたと思います。
それでも一歩を踏み出した。
「やはり動物は絶望しない」
その一歩はどこへ向かう一歩なのか…。
そこまでは考えていなかったかもしれません。
でも、「一歩踏み出さなければ明日はない」。
そのことを母ゾウは本能的に知っていたのでしょう。
明日に何が待っているのか、そんなことはわからない。
でも、歩かなければ確実に未来はない。未来どころか今日すらない。
命がけになって助けに行かないゾウの群れを見て、一瞬「冷たいな」と思った私でした。
人間なら死ぬ気になってライオンに向かっていったかもしれません。
でも、ゾウの群れにはその選択はなかった。
動物は絶望しないから
そこにあったのは、冷たさでも残酷さでもなく、人間以上に今日と明日を大事にする生きざまだったように思います。
野生という厳しい世界を生きる動物たちが知る価値観。
もしかしたら、人間よりも賢く合理的な生き方をしているのかもしれません。
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「動物は絶望しない」絶望を教えるのは人間
動物は絶望しない
この言葉は真実のような気がします。
ただ、飼い主に捨てられた犬や猫は絶望することがある。
一度でも人間に飼われた動物は、捨てられたことを強く意識できると思うのです。
人間と暮らすことによって、人の感情も理解できるようになるから。
喜び、悲しみ、せつなさ、怒り、楽しさ、、、そして絶望も。
皮肉なことです。
だから、一度家族になった動物を最後まで幸せにする、幸せを保証する義務が人間にはあると思います。
人間と暮らした動物は「絶望」を知ってしまったからです。
「動物は絶望しない」から思い浮かんだことをそのまま書き記してみました。
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