江別神社に初参拝してきました。
祀られているのは「天照大神、大国主大神、加藤清正公」。
2019年にはご神水が復活したということです。
35度近い高い気温の中、初めて拝ませていただきました。
【江別神社】ご神水が飲める、汲み取れる
コロナ感染の影響が収まりを見せない現在、
「もしかしたら、ご神水は飲めないかも?」
と思ったのですが、ちゃんとお水が出ました。
一口飲ませていただきました。
その後、おみくじを引くために社務所に立ち寄りました。
「お水を飲んでもいいのですか?」(わざわざ聞かなくても…)
と尋ねると、
神主さんが、
「いいんですよ。飲んでください。ペットボトルに汲んで行かれる方もいますよ」
とても気さくで親切そうな方でした。
このHPの方でした。
宮司さんだったのですね。
聖地【江別神社】ご神水が復活!内田悟宮司のまちへの想いと水晶のご利益の命の水[北海道江別市萩ケ岡] | 北海道 江別市民ブロガーズ
こんなことを書くと叱られるかもしれませんが、神社によってはあまり愛想がよろしくない神主さんも少なくありません。
私なんかは、知りたいことがあると遠慮なく質問してしまう性格なので、時と場合によっては「うるさいなあ」という顔をされることも…。
御嶽山が噴火した時には、御嶽神社とは関係の無い神社の神主さんに、
「御嶽山というと山岳信仰を集める山なのに、どうしてあのような噴火をしたのでしょうか?」
と質問したことがあります。
その神社の神主さんは、
「はっきりした理由は私にも分かりませんが」と前置きしながら、いくつか考えられる理由を説明して下さいました。
私は、お礼を言うのと合わせて、
「こんなことを聞く人、あまりいませんよね?変なことを聞いてすみませんでした」
と言うと、
「いえそんなことありませんよ。同じ質問をされた方が他にもいらっしゃいましたよ」
と答えて下さいました。
2種類のキリスト教と神社・仏閣と
私はクリスチャンではありませんが、小学校5年生からカトリック教会でドイツ人の神父さんから英語を教わっていました。
そういう縁があってか、宗教関係の人には好奇心からいろんなことを聞きたくなってしまう変なクセがあるみたいです。
小学生の頃は、映画『エクソシスト』の印象が強く残っていて、神父さんは悪魔祓いができる人と勝手に想像していました。
英語塾とはいっても、新しい神父さんが異動してきてから英語の勉強の前にお御堂に通されて聖書の話を聞かされたり、賛美歌を歌ったりさせられました。
「させられた」と書きましたが、家が曹洞宗である私にとっては、全てが新鮮で楽しい時間でもありました。
ですが、私は少数派だったようで、聖書の話の時間が増えるのに比例して、塾生はどんどんやめていきました(^_^)。
この本の最初に登場する神父さんです。私も買いました。
実はその頃、『楽しい聖書通信講座』という小学生向けの本が自宅に郵送されていました。
届けられる冊子を読んで感想など書いてを返送すると、次の段階へと進みます。
要するに私は、家でも聖書のことを小学生レベルで学んでいました。
- 自宅では、『楽しい聖書通信講座』
- カトリック教会での英語塾では、「神父さんの話とお祈り、賛美歌」
というダブルコースで聖書について学んでいたのでした。
うちの親は特にそれを「ダメ」と言いませんでした。
いろんなことを学ぶのは良いことだと思っていたようです。
ところが、『楽しい聖書通信講座』の終わりの頃に、
- 「神社やお寺にある神様などは『偶像』といいます。本当の神様ではありません」
- 「キリスト教と言っても、カトリック教会や〇〇などは間違ったことを教えています」
という記述がありました。
これには大きなショックを受けました。
- 神社やお寺で手を合わせるのは間違いだったのか!?
- おもしろくて優しそうな神父さんのお話は嘘だったのか!?
小学6年生の私は、ずいぶん悩まされました。
後になって分かったのは、『楽しい聖書通信講座』は、プロテスタントの教えを伝導する講座だったことです。
書いてある内容も読んでいて楽しくためになったのですが、要するに私は最後の段階で、
- 神社と仏さん(多くの人は「仏様」とは言わない」)
- カトリック教会の神父さん(信者は「神父様」と呼んでいたが)
の2つを否定されてしまったわけです。
- 神社と仏さんは、祖父や祖母、両親が大切にしているもの
- カトリック教会の教えは、大好きな神父さんが一生懸命語ってくれること
- プロテスタントの教えは、信じていた本に書かれていたこと
さて今の私ですが、どの教えにもそれぞれに素晴らしさがあるに違いないという八方美人的な考えを持っています 。
でも、批判を恐れずに書きますと、クリスチャンの友人は神社仏閣に行っても「お守り」を買いません。
そういう時は、「不便だな(^_^)」と軽くからかったりしています。
もちろん、しっかりした信仰を持っている人は、私のそんな言葉など意にも介さないはずですし、そうであるべきだと思っています。
ところで、小学6年生の夏頃から、私はしつこい金縛りに悩まされていました。
そのことについて、「神父さんに相談しよう。きっとエクソシストのように悪いものを祓ってくれる」と考えていたのに、とうとう言い出せませんでした。
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【江別神社】「お神水」も「おみくじ」もオススメ
「いいな」と思ったのは、暑さのせいか人がとても少なかったことです。
どの神社でも、後ろで待つ人のことが気になってさっさと参拝を終わらせてしまうのですが、暑かったせいか今日はその心配はありませんでした。
しばらくして一人の女性がペットボトルを片手にやってきました。
参拝した後に、ご神水のところへ行って、お水を汲んで口にしていました。
私も次に来る時は、ペットボトルを持参するつもりです。
見上げると、
ご神水の横には石が並んでいました。
おみくじを引きました。らしくない?具体的な書き方に少し驚きました。
「小吉」でした。
- 進もうとしてもなかなか進めない状況にあります。
- 焦らないでできることをやっていきましょう。
今朝、易を立てました。
私には毎朝、易を立てる習慣があります。
「水山褰(すいざんけん)」の卦が出ました。
「山に遮られ、 水には行く手を阻まれて進退窮まった状態」。
すなわち、今は困難や障害が目の前にあるので、 しばらくじっとしているのが賢明。
「解決できる時を待ちなさい」
「今は慌てて動いたりせずに力を蓄える時」
と読むことができます。
縁談もまとまりません。
おみくじと怖いくらいピッタリです。
おみくじの続きですが、
- 「縁談を決める時ではない」
- 「体の病は心配ない。長引くことはない。精神の方を大事にしなさい」
- 「学問などはしっかりやりなさい。機が熟したら成果が出ます」
といった内容でした。
- 縁談を決める時ではない。
- 体のほうは大丈夫。長引くことはない。
この2点については、非常にはっきり書かれています。
仮に縁談を決めようという人がこのおみくじを引いていたら、信心深ければ大いに迷ったかもしれません。
体調が悪い人がこのおみくじを引いていたら、混乱していたかもしれません。
ですから、私のために書かれたおみくじだったと思うのです。
ここまで具体的に書いてくれるおみくじは、貴重だと思います。
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一度、ペットボトルを持って江別神社にご参拝することをお勧めします。
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