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【「見える人」を探していた頃】不安な時、人は「答えをくれる人」を求めてしまう

不安な夜に一人で人生について考え込む男性のイメージ

人は迷った時、「答え」をくれる誰かを探したくなることがあります。

人は、不安な時ほど「答えをくれる人」を探してしまうことがあります。

「このままでいいのだろうか」
「本当に大丈夫なのだろうか」
「誰か、安心できる言葉をくれないだろうか」

人生に迷い始めた時、人は時々、自分以外の誰かに「答え」を求めたくなります。

今から25年以上前のことです。

当時は、テレビでも「見える人」が大きな注目を集めていました。

江原さんという存在が話題になり、「霊視」や「守護霊」という言葉を普通に耳にする時代でした。

本屋へ行けば、スピリチュアル本が平積みされ、テレビでは「前世」や「オーラ」の話が当たり前のように流れていました。

今思えば、多くの人が「不安の答え」を探していた時代だったのかもしれません。

もちろん、私もその空気の中にいました。

私は当時、札幌市内の温泉施設でマッサージを受けていました。

担当してくれた方の腕には、大きな石のブレスレットが巻かれていました。

かなり存在感のある石でした。

「その石、大きいですね」

私がそう声をかけると、その方は少し嬉しそうに話し始めました。

「ある先生から買ったんです」

「すごい先生なんですよ。見ただけで何でもわかるんです。まるで江原さんみたいに」

今なら少し距離を置いて聞ける話でも、当時の私はかなり興味を持ちました。

いや、興味というより、「安心したかった」のかもしれません。

当時の私は、結婚を控えていました。

人生が大きく変わろうとしていた時期です。

期待もありましたが、それと同じくらい不安もありました。

結婚が決まるというのは、幸せなことです。

でも同時に、それまでの人生が静かに形を変えていく出来事でもあります。

一人で決めていたことが、二人で決めることになる。

自由だった時間の使い方も、家族という単位の中で少しずつ変わっていく。

もちろん、それは悪いことではありません。

ただ、人生の大きな節目に立つと、人はふと立ち止まってしまうことがあります。

「本当にこの道でいいのだろうか」

「自分はちゃんとやっていけるのだろうか」

そんな不安は、誰かに話しても簡単には消えません。

だからあの頃の私は「何でも見える人」がいるなら、少しだけ先の景色を教えてほしかったのだと思います。

未来を支配したかったわけではありません。

ただ、見えない先に進む前に、誰かに「大丈夫」と言ってほしかったのです。

「この選択でいいのか」
「この人と本当に大丈夫なのか」
「自分の人生はどうなっていくのか」

そんな気持ちが、心のどこかにあったのだと思います。

だから私は、「何でも見える」という言葉に惹かれました。

もし本当に見える人なら、自分の人生についても何か教えてくれるのではないか。

そんな期待を抱いてしまったのです。

▶ 人は、不安な時ほど「断定してくれる人」に安心したくなることがあります

人生に迷っている時、「大丈夫」「それで合っている」と言い切ってくれる存在に惹かれることがあります。
それは弱さではなく、人間らしい感情なのかもしれません。

 

「見える先生」に会いに行った夜

紹介された先生は、月に数回だけ札幌へ来るとのことでした。

「いつも予約でいっぱいなんですよ」

そう聞くと、ますます特別な存在に思えてきます。

人は、「人気がある」と聞くと、少し信じたくなる生き物なのかもしれません。

それからしばらくして、実際に先生と会う日がやってきました。

場所は、紹介してくれた方の自宅でした。

和室の前で待ちながら、私は少し緊張していました。

襖の向こうには、「何でも見える先生」がいる。

そんなふうに考えていたのです。

しばらくして名前を呼ばれ、私は襖を開けました。

部屋に入ると、先生はこちらをジッと見ていました。

鋭い視線でした。

見透かされているような、不思議な緊張感がありました。

私はその瞬間、

「この人は、本当に見えているのだろうか」

と感じる一方で、

「もし本当に見えるなら、自分の人生もわかるのだろうか」

という期待も抱いていました。

今思えば、私は「霊能力」に興味があったというより、自分の人生に安心したかったのだと思います。

 

本当に欲しかったのは「答え」だったのかもしれない

先生との会話が始まりました。

ですが、私が想像していたような「ズバリ言い当てる」展開にはなりませんでした。

むしろ、普通の会話のように質問が続いていきます。

「どこで出会ったの?」
「お仕事は?」
「相手はどんな人?」

私は少し戸惑いました。

「見えるなら、聞かなくてもわかるのでは…」

そんな気持ちが頭をよぎったからです。

でも今振り返ると、当時の私は少し意地悪だったのかもしれません。

「何でも見える」という言葉を、そのまま確かめたくなっていたのです。

だから私は、自分からあまり多くを話しませんでした。

「もし本当に見えるなら、説明できるはずだ」

そんな気持ちがあったからです。

でも、本当に大切だったのは「見えるかどうか」ではなかったのかもしれません。

私はその先生に、「安心できる言葉」を期待していたのです。

「大丈夫ですよ」
「その道で合っていますよ」
「心配しなくていいですよ」

本当に欲しかったのは、そういう言葉だった気がします。

人は疲れている時ほど、「これで人生が変わるかもしれない」という言葉に惹かれることがあります。

そして不安が強いほど、「断定してくれる人」を求めてしまう。

それは決して特別なことではありません。

誰でも、苦しい時には安心したくなるからです。

 

「見える人」を探していたのに

鑑定の途中、先生は相手の名前を書かせました。

そして、「いい名前ね」「大丈夫よ」と言いました。

私はその時、安心したかったのだと思います。

「大丈夫」

その言葉を聞きたかった。

でも同時に、どこかで冷静な自分もいました。

「なぜ人は、ここまで“答え”を求めてしまうのだろう」

そんな感覚も、少しずつ芽生え始めていました。

思えば私は、「見える人」を探していたというより、「人生の不安を消してくれる人」を探していたのかもしれません。

でも、本当は誰にもそこまでの力はありません。

誰かに支えてもらうことはあっても、人生そのものを代わりに生きてもらうことはできない。

最後は、自分で決めながら進んでいくしかない。

今なら、そんなふうに思います。

▶ 占いは「人生を支配してもらうもの」ではなく、「人生を整理する時間」でもあります

不安な時、誰かに話を聞いてもらうことで、自分の気持ちが整理されることがあります。
大切なのは、「全部決めてもらう」ことではなく、自分で選ぶ感覚を失わないことなのかもしれません。

 

まとめ|人は「答え」より「安心」を求めているのかもしれない

あの頃の私は、「見える人」を探していました。

でも本当は、

「大丈夫」

と言ってほしかったのだと思います。

人生に迷った時、人は「答え」を急いでしまうことがあります。

不安が強いほど、「全部わかる人」がいてほしくなることもあります。

でも、人の人生はそんなに単純ではありません。

迷うから考え、考えるからこそ、自分の人生を選んでいく。

そういうものなのだと思います。

今でも私は、目に見えない世界を完全には否定していません。

ただ、「誰かが人生を全部決めてくれる」という考え方には、少し距離を置くようになりました。

人は「答え」を求めているようで、本当は「安心」を求めているのかもしれません。

▶ 不安な時、人は「答え」をくれる人を探してしまうことがあります

人生に迷った時、「大丈夫」と言ってくれる存在を求めたくなることがあります。
見える人、わかってくれる人、安心させてくれる人――。
それは弱さではなく、不安を抱えながら生きる人間らしい感情なのかもしれません。

▶ 「見える人」を探していた頃の話|不安な時、人は“答えをくれる人”を求めてしまう

 

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