交通事故。時に命を奪い、その人や家族の人生を狂わせる悲しい出来事。
全国ニュースで報じられない日はないのに、なぜか他人事のように思っていました。
「若気の至り」。事故の後遺症で、今も頸の不調から来る手の痺れに苛まれることがあります。
深夜にスクーター、後方確認を怠り…
大学2年生の夏の日のことです。
翌日は柔道の大会で東京へ向かうことになっていました。
2年生でレギュラーを命じられていた私は、負けられない重圧で相当緊張していました。
それは、何週間も前から続く緊張でした。
「いよいよ明日の朝出発」
そう思うと、 床に入っても全然寝つけず、気分転換の必要を強く感じました。
「モスバーガーを食べて気分転換しよう」
私は当時、4人の学生が同居する下宿で暮らしていました。
そのうち1人は早く寝ますので、まだ起きている2名の部屋をノックし、
「これからモスバーガーを買いに行くけど、食べたいものがあったら買ってくるよ」
2人から注文を聞き、私はスクーターに乗りモスバーガーの店へと向かいました。
仙台市の48号線沿いの八幡町にモスバーガーのお店がありました。
今もあるのかな?
空腹感はあまりなく、切羽詰まった緊張感を少しでも紛らわせたいという目的でした。
そんな不安定な心理状態が原因したのでしょう。
当時、モスバーガーの少し手前に、熊っ子ラーメンがありました。
私は、熊っ子ラーメンを通り過ぎました。
そこからモスバーガーまでわずかな距離です。
その時です。
「やっぱりラーメンにしよう」
という瞬間的判断が脳裏をかすめました。
「ラーメンを食べた後、2人の注文を買って帰ればいい」
そして、スクーターのバックミラーを見ました。
後ろに車のヘッドライトが見えました。
「車はあるけど、そんなに近くないから大丈夫」
私は、これまた瞬間的に判断しました。
その判断は大きな間違いでした。
ウインカーを上げて右側に急ハンドルを切り、Uターンしようとしたのです。
Uターン直後、激しいタイヤの摩擦音が!
その時です。
激しいクラクションの音と同時に、
キキーッ!!!
路面とタイヤとが擦れる強烈な音が私の耳に飛び込んできました。
「しまった!思ったよりも近かったか」
と一瞬考えたかあるいはそんな余裕もなかったか、
音の方に目を向けると、タクシーがものすごいスピードで横滑りしながら私の方へ向かってきます。
避ける間もありませんでした。
ドーン!
タクシーの側面にぶつかり、私は痛みを感じる間もなく空中に投げ出されました。
不思議なことに空中に浮かんでいるわずかな瞬間もほぼ正確に今も記憶にあるのです。
ものを考える瞬間もなく、私は頭から道路に落ちました。
「自分は生きているのか!?」
激しい痛みが体を襲いましたが、そんなことより最初に考えたことは、
「自分は生きているのか?」でした。
ずいぶんマヌケに聞こえるかもしれませんが、本当のことです。
手を確認しました。
動きました。
「幽体じゃないよな?」
冗談ではなく、本気でそれを疑いました。
声が聞こえました。
「バカ!」
タクシーの運転手さんがドアを開けて車から身を乗り出し、私に向かって大きな声をあげました。
その言葉で、私は「あ、自分は生きている」 と確信できました。
運転手さん、ごめんなさい
今になって思うこと。
私は数メートル吹っ飛びましたので、運転手さんも私の命を案じたと思うのです。
きっと、車の中で一瞬固まってしまったのではないでしょうか。
そして、私が自分の手を動かしている様子を見て、安堵と怒りとがゴチャまぜになり、ようやく「バカ!」の声が口から出せたのではないか。
そんな気がするのです。
何度かお見舞いに来て下さいました。
名前もはっきり記憶しています。もちろんここには書きません。
大変なご迷惑をおかけしました。
助けてくれた人、盛り上がる野次馬たち
さて、話を戻します。
いい人っているものです。
近所の人でしょう、年配のおじさんが、「大丈夫かい」「歩けるかい」と声をかけて、反対車線の歩道まで手を貸してくださいました。
「あー、歩けるね。今救急車を呼んだからね」
私が歩き出した瞬間、「おーっ!」という大人数の歓声が聞こえました。
「なんだ?」と思って、声の方に目を向けると、予備校の寮がありました。
なんと私の母校?です。見ているのは後輩?たちです。
※予備校に「母校」「後輩」が適切か迷ったため「?」を付けました。
ベランダに寮生達が居並び、私が歩き出したことに驚きの声をあげていました。
「生きてるよ」「歩いてる」などの声が私の耳に飛び込んできました。
笑い声も混じっています。
私は、安堵の笑い声とは受け取らず、
「恥ずかしい」「野次馬がうるさい」「何を喜んでいるんだ」
など怒りの感情しかありませんでした。
救急車に乗って大学病院へ
声をかけてくれたおじさんが、私のスクーターを歩道まで運んでくれました。
見るも無残な姿でした。
救急車が到着し、私はそれに乗り込みました。
人生で初めて、自分の頭上でサイレンが鳴る救急車を体験しました。
何とも言えないくらい切なく悲しい音でした。
しかし、自分は生きています。
意識もあるし、歩くこともできます。
体は痛いのですが、痛みなどは時間が経てばすぐに消える…。
試合に出られるかな?
スクーターを買い換えるお金はないな…
自分のことで頭の中がいっぱいで、タクシーの運転手さんのことは意識からすっかり消えていました。
まもなく病院に到着し、診察を受けました。
しかし、私が自ら招いて引き起こした事態の重さは、試合とかスクーターとか、そういうレベルで収まるものではありませんでした。
紫微斗数命盤を眺めると、事故の象意が出ています。
歳運「遷移宮」、つまり外出先の事故運注意の1年でした。
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