夫婦の縁は不思議です。でも、もっと不思議なのは親子の縁です。
「子どもを授かるだろうか?」
身ごもったら「無事に生まれてくるだろうか?」
生まれてきたら「五体満足だろうか?」
幼稚園に進むと「友達はできるだろうか?」「仲間外れにされないだろうか?」
小中学校に進むと「勉強についていけるだろうか?」「不登校にならない?」
などなど心配は尽きないものです。
今日のブログ記事は、少しまじめな雑感と合わせて親子の運命的出会いについて考察してみました。
※2020年11月に書いたものに加筆しました。
【親子の縁】自分の意志で注文できないもの
子は自分の意志で親を選ぶことができません。
ものごころがつき、父や母の存在を意識するようになって、やっと自分がこの家に生まれたことを自覚します。
「この家の子でなければ良かったのに…」とうちの息子は言ったことはありません。
今のところですが…。
「自分の名前がキライ」「自分がキライ」は4歳くらいまでは口にしましたが、ここ数年は言わなくなってホッとしています。
人間がこの世に生まれ出るのに自分の意志で注文できないもの
- どこの家に生まれるか
- 男か女のどちらに生まれるか
- 生年月日
成長し分別がつくようになると、
- 「父さんがもっとお金持ちだったら…」
- 「母さんがもっと教養ある人だったらな…」
と思うかもしれません。しかし、それは叶わぬ相談というものです。
父や母は、まさに与えられたものとして、 既にそこに存在しているからです。
では、親の側には子を選ぶ自由があるでしょうか。
今のところ男女を産み分けることはもちろん、健康で頭のよい息子、素直でかわいい娘を産む自由などは与えられていません。
親にとっても、その子を自ら選んだわけではありません。
それにもかかわらず、親は、授けられたものとして何の疑いも抵抗もなくその子を受け入れます。
そして、ひたすらに愛を傾け、その子なりに有為の人物として成長することを切実に願います。
自分のやりたいことを我慢し、使いたいお金も節約し、子どものために残そうとします。
人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな
~『後撰和歌集』藤原兼輔(紫式部の曽祖父)
〈人間の親心というのは闇ではないのだが、我が子を思う中では困惑し、迷ってしまったのだなぁ〉
子に対する愛情は、親の理性的な思慮分別さえ失わせるほど切実であることをうたっています。
紫式部のお気に入りの歌だったと言われています。
哀レ哀レ父母 我ヲ生ンデ苦労ス
哀レ哀レ父母 我ヲ生ソデ労瘁(ろうすい)ス
~『詩経』蓼莪(りくが)
子のために苦しみやつれる父母を、子が悲しみ痛む詩です。
スポンサーリンク
【親子の縁】神秘の出会い、厳然たる運命
子は親を、親は子を、ともに選ぶ自由がないのに、そこに親と子が存在します。
親であり子であること、それは神秘の出会い、厳然たる運命、大いなるものの意志としか言いようがないと感じます。
『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』には、
人ノコノ世に生マルルハ宿業(しゅくごう)ヲ因トシ、父母ヲ縁トセリ
とあります。
父と母にもそれぞれ父母があります。その父と母にもそれぞれ父母がありました。
10代(一世代30年として300年) さかのぼれば、私一個の生命体の背後には1024人の祖先があります。
さらに28代(840年)さかのぼれば、2億6千8百万人の個体が存在する勘定になります。
「宿業ヲ因トシ」というのは、これらすべての祖先たちの精神的肉体的経験が、全部私という生命体が今ここに結果として実在する根本原因として、私の血の中に流れているということでしょう。
しかし、根本原因が結果として私を現出させるためには、父と母とが夫婦となる由縁 (第二次原因)が必要でした。
「父母ヲ縁セリ」というのは、そのことでしょう。
親は、その親にとっては子です。その子にとっては親です。
その親も子も、ともに永遠の生命の連続によって一地点を占めています。
【親子の縁】生んでくれと頼んだ覚えはない!?
「私は一個の独立した人格だから、親の千渉は受けない」
「生んでくれと親に頼んだ覚えはない」
若い人々は、ややもするとこういうことを言いがちです。
最近ではもっとひどく、「うちの親うぜェ!」でしょうか。
しかしそれは、運命の神秘に思いをいたさず、大いなるものを恐れぬ傲慢不遜というものではないでしょうか。
キリストも孔子も、「思いやりこそ最高の倫理である」と説いています。
親に対する思いやりには、 より深い運命的背景が内在していることを忘れてはならないと感じます。
いつまでもあると思うな親と金
【親子の縁】四柱推命と欽天四化紫微斗数
四柱推命で見る【親子の縁】
男性の命式では「官星」が子どもの星です。
「官星」はどこにあるか?エネルギーの状態は?などから、子どもと縁があるか否かを読み取ります。
女性の命式では「食傷星」が子どもの星です。
「食傷星」はどこにあるか?エネルギーの状態は?などから男性と同様に子どもとの縁の深さを読み取ります。
食傷星がなくても、日干のエネルギーがある程度強ければ子どもを授かると見ます。
そして、「官星」「食傷星」それぞれが自分の命式に及ぼす影響から、将来の子どもとの関係性を推しはかります。
ただし、「官星」「食傷星」ともに、多すぎても反対に少なすぎても良くありません
欽天四化紫微斗数で見る【親子の縁】
「生年四化星」から子どもを授かるか否か見ることができます。
私の子女宮です。
命盤の通り男の子を授かりました。
私は何かとうるさく厳しい親になりそうです。
一方、息子も負けじと個性が強い方です。
ですから、なおさらガミガミ言いたくなることが見て取れます。
しかし、あまり言い過ぎると思春期にその反動が出ます。
時には手綱を緩めることが必要だよと命盤は教えてくれています。
今の私の理想は、
「親は自分の意思を尊重してくれる」
「自分は自分の思うように生きている」
と感じながら、実は後ろから目に見えない手綱を握り続けている状態です。
こちらは女性の命盤です。
子どもが授かりにくいです。
授かっても養育に手がかかる子どもが生まれる可能性があります。
もし無事に育ってくれたら、今度は親の方が子離れできないでしょう。
私以上に過干渉になるかもしれません。
田宅宮から向心力Dがお互いを往来しています。
何か運命的なものを感じざるを得ません。
ただ、向心力Cが田宅宮に向かっていますので、息子さんは成人した後、何かにつけてお母さんに楽しみを与えてくれるでしょう。
「人生最初の不幸は尊敬できない親を持つこと」
私事ですが、肝に銘じたいと日々反省しております。
スポンサーリンク