はっぴーをパワーあっぷするブログ

四柱推命・紫微斗数・奇門遁甲を中心にいろいろなことを書き綴ります

【四柱推命】クラスメイトの突然死「運とは何か」そして人生とは

三越デパート前にあるライオンの像を見ると思い出す人がいます。

大学2年生の春に突然の心臓発作で亡くなったクラスメイトです。

当時、大学では「コンパ」という言葉が流行っていて、「新歓コンパ」「花見コンパ」などが盛んに行われていました。

入学して間もない頃、どのコンパか忘れましたが、仙台市国分町に置かれていたライオン像(三越デパートのものではなかったと思う)に酔いながら楽しそうにまたがる彼の姿が印象に残っています。

あれから30年以上が過ぎた今でも、ライオンの像を見るとふと彼のことを思い出します。

九州出身でした。私とはそれほど深い付き合いがあったわけではありません。

それでも「性格のいい男」というのはすぐにわかりました。

2年生の体育の授業を終えた後、

「A(彼のこと)が心臓発作起こして救急車で運ばれた」

と伝わってきました。

ライオン像

 

 

体育の授業中、突然の心臓麻痺

もともと危機意識が薄い性格の私は、

「救急車で運ばれたなら大丈夫じゃないの?」

と思いました。

こういう時、今も昔も多方面の知識を持ち、能弁に語る男がいるものです。

「そんな簡単なことでないらしい」

その時耳にしたことは衝撃的でした。

  • 心臓発作を起こし脳に血液が届かなくなって〇分後から(〇の中は記憶にない)脳細胞が壊死を始める
  • そうなったら、命が助かっても一生植物状態になる
  • △分が経過したら、命も助からない
  • Aの場合は、体育の先生が心臓蘇生を行ったが、〇分を超えている可能性が高い

要するに、五体満足な状態に回復する見込みはほとんどない。

植物状態になる、意識も回復しない可能性が非常に高い。

ということでした。

壊れた心臓

「A君が心臓麻痺で倒れた!」はスグに伝わってきた



とにかく、九州から親が到着するまでは、そしてその後もA君の状態が落ち着くまでは、クラスメイトで手分けして、交代で病院にいるようにしよう

となりました。

当時私は、部活三昧の生活でクラスメイトとの関わりは希薄でした。

それでもやっぱり友人として、病院と仮眠を取るために用意された〇〇君のアパートとを往復した記憶があります。

〇〇君は、クラスの中心的存在でおそらくA君とも親しい関係にあったのだと思います。

積極的にリーダーシップを発揮して、

  • 病院で待機する者
  • アパートで仮眠を取る者

の2つのグループに分けて、「時間が来たら交代」を取り仕切っていました。

集まった全員が心配して疲れた暗い顔をしていた記憶がうっすらですが残っています。


次に記憶があるのは、〇〇君が、

「医者から?ご家族から?(私の記憶が欠落しています)伝えられた。植物状態は確定的らしい

と部屋に戻って報告し、その後部屋の隅で忍び泣きをしたことです。

クラスメイト一同、言葉を失った瞬間でもありました。

泣きじゃくる〇〇君の声を聞きながら。。

誰彼となく、「せめて命だけでも」と口にしたようなしていないような、その辺りは記憶にありません。

私にとっても現実感に乏しい茫然自失な数日間でした。

その証拠に、次の記憶として残っているのは、葛岡霊園の火葬場でA君のお骨を拾い、ご遺族(お母さんの姿しか思い出せない。他にもいたのかもしれない)から丁重なお礼を受けた場面なのです。

それまでの数日間、いろいろなことがあったはずなのに、記憶からすっぽり抜けてしまっています。

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私は、その2年半前に祖父の骨を拾ってから二度目の火葬場でした。

A君は長身ですらりとした体型だったので、「きれいなお骨だな」と思ったことをなぜはハッキリ覚えています。

葬儀に出た記憶がないので書きながら不思議に思いましたが、たった今思い出したのは、

「故郷に連れて帰って葬儀をします」

と挨拶されたことです。

〇〇君ら親しい友人たちは、九州まで行ったことも同時に今思い出しました。

親の思いとして、

  • 仙台は嫌な記憶しかない街なのでは?
  • 遠方の大学に進学させたことを悔いているのでは?

など切なくて悲しくて仕方がないだろう…などを当時の私も考えました。

この記憶だけは、今でも安定して残っていますので、もともと私の思考傾向はそういうところにあるのだと思います。


私の大学の新入生は、だいたい次の2つのグループに分かれていました。

  • 一つは、京都大学に進学できず苦渋の思いで入学してきた人
  • もう一つは、この大学で十分だと満足して入学してきた人

私の場合は、京都大学は夢のまた夢だと思っていたので、大喜びして入学したグループでした。

A君はどっちのグループかわかりません。

京都大学を目指していた人は、なんとなく明るい顔をしていませんでした。

入学の自己紹介でも数人がハッキリと、

「本当は京都大学に行きたかった」

言っていました。

私のように、ギリギリで合格した者からすると、

「なんて贅沢なことを言うんだ」

「未練がましい言うもんだ」

「才能をひけらかしたいの?」

などと思いながら聞いていたものです。

A君はというと、入学してからずっと明るい顔をしたので、もしかしたら私と同じグループだったのかもしれません。

しかし、クラスの集まりにほとんど顔を出さない私なのに、すれ違うと「元気?」と明るく声をかけてくれたA君は、たとえ京都大学目標グループの人だったとしても、きっと明るい顔だったのだと思います。

縁が浅かった私でも「A君は、明るくて優しい良い男」の印象が強かったのです。

毎日のように昼食を共にする仲間たちは、A君に対してもっと良い印象を持っていたようです。


実際に数人と言葉を交わしたのは、

「どうしてあんないいやつが…気の毒に」

でした。

今、文字を打ち込みながら大学1、2年生だった遠い昔のことが少しずつ思い出され、言いようもなく懐かしく、切なくなってきました。

◇失った過去は取り戻せない

◇失った命はさらに取り戻せない

 

A君の「自己紹介名簿」から

実は先ほど、当時の手書きの「自己紹介名簿」を書棚から引っ張り出し、A君のページを開いてみました。

掲載しても良いかなと思える部分をそのまま抜粋します。

血液型:A型かO型のはず
趣味:映画をみること。ビデオ鑑賞(もってないけど)
   昨年1番よかったのはピクニックatハンギングロック
◎住んでる所が近いので事情で家に帰れんくなった人(男)はとまりに来てもいいよ。

血液型のところが、おおらかなA君らしいところでしょう。

難しい言葉を使うクラスメイトのページが多い中、いたってフランクな書き方です。

わざわざ(男)と書くところもユニークな性格を表しているような気がします。

出身高校も帰省先の住所も書かれていますが、当然ブログでは割愛します。

当時は個人情報にうるさくない時代でした。

目に留まったのは生年月日です。

すでに昔のこととはいえ、なぜA君がこのような運命になったのか気になって、迷いましたが四柱命式を出してみました。

A君の四(三)柱命式

A君の四(三)柱命式

 

今になって細かい性格分析をしても仕方がありませんが

  • 裏表ない人で、見た目も本質も誠実温厚で穏やかでやや内向的
  • 実務的仕事で才能を発揮できる
  • 自尊心が強く、人とは一定の距離を置いて付き合い軽はずみな言動はしない

それより気になったのは、昭和62年の運気でした。

大学に入学した年です。亡くなったのは翌63年でした。

昭和62年は、大学合格といううれしいことがあった年です。

しかし一方で、四柱推命的には厄年にあたる年でもありました。


四柱推命的厄年は2年間凶意が及びます。

信じる信じないは自由ですが、有名人のことでも、

  • 北の湖の膝の大怪我
  • ブルーザー・ブロディの殺人事件
  • 力道山の死去

 

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などすべては挙げませんが、四柱推命的厄年に災難が起こっています。

いろいろな鑑定結果を見て、私自身は気をつけるべき時期として要注意であると考えています。

もちろん、無事無難に過ぎた人だって多くいます。

さて、A君の昭和62年を調べたところ、かなり高レベルの厄年に当たっていました。

昭和61年夏から63年夏までが「災難要注意」の時期でした。

日柱「癸卯」と歳運「丁酉」の関係が尋常ではありません。

詳しい説明はここでは割愛しますが、見る人が見ればすぐにわかると思います。

ただの七冲の関係ではありません。

蔵干も含めた凶度の高さは決して侮れません。

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このような時期には「無理は禁物です」と言いたいところですが、A君は何か無理したわけではありません。

事故は体育の授業でのウォーミングアップのランニング中に起こりました。

「気をつけなさい」と言われても、どうにもならなかったでしょう。

もしかしたら、もともと心臓に疾患があったのかもしれません。

生時がわからない以上、健康面にこれ以上言及するのは「決めつけ」というものでしょう。

紫微斗数命盤を併用することで、生まれた時刻を推定することは可能でしょうが、今さらやっても仕方がありません。

とにもかくにも、私が考えるのは

  • A君になぜ災難が襲ったのか?
  • 災難を避けることはできなかったのか?

そして、運命とは何か?

ということです。

「なぜ災難が襲ったのか?」については、

  • 「四柱推命的厄年だったから」と説明しても、一般的にはおそらく誰も納得しないでしょう。

「災難を避けることはできなかったのか?」に関しては、

  • たとえ厄年だとわかっていても避けようがない災難だったと私は思います。

それこそ、その日の体育の授業を欠席していれば事態は変わっていたでしょうけど…。

たとえばその日、風邪をこじらせたとか、そういうことがない限りは欠席する理由はないはずです。

だとしたら、

  1. やはり避けようのない運命だったのか…
  2. 人間は運命には逆らえない存在でしかないのか…
  3. それがなぜA君に…


医学でも救えず、運命学で予見しても避けられない。

「学」とはあくまで人間が作り出したもの。

人間の叡智ではどうにもできないことがまだまだ無限に存在している…。

私には上の1~3がどうしてもわからないし納得できてもいないのです。

特に3については。

 

 

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