うちの息子は幼少時から、自己を否定する発言を繰り返しました。
「ボクのことキライなんでしょ?」
誰もそんなことまったく思っていないのに…。
小学2年も終わりに近づこうとしている今、改めて理由を考えてみました。
【自己肯定感の重要性】お父さんは「太陽」、息子は「月」?
親子の性格が似ている…とは限らない
これまで多くの親御さんと接する中で感じてきたことがあります。それは、
「子どもの元気と親の元気は比例しない」ということです。たとえば、
- お父さんは元気いっぱい「太陽みたい!」な性格
- 息子は無口で控えめ「霞(かす)んだ月」みたいな性格
といった感じです。
「親子なのに性格が全然違う」という親子は驚くほど多いです。
PTA会長だったあるお父さんも、
「私が息子の元気を吸い取ってしまったのですかね。あははは。」
と笑っていました。
お父さんは豪快な性格で、会社の役員でした。
話もおもしろく、いつも元気いっぱい。まさに「太陽」みたいな性格でした。
ところが、息子は全く無口で、何をするにしても控えめ、そして自信が持てない性格でした。まさに「霞んだ月」。
その子の担任も、「K君はお父さんの性格と全然違う」と職員室で時々口にしていました。
お父さんは、
「性格が息子と私で反対だったら良かったのにと思うことがあるんですよ。」
と一度笑いながら語っていました。
お母さんは「ヒマワリ」なのに、息子は「オジギソウ」の例も
また、
- お母さんは明朗快活、元気いっぱいな「ヒマワリ」みたいな人
- 息子はオジギソウのように大人しく、自信なさげな高校生
という親子も時々いました。
その傾向は、母親が歳を取ってから産んだ一人っ子に多かったかな…と感じています。
あるお母さんは、
「頑張って何とか産んで、私が気合いを入れすぎて何でも口を出しすぎたからかしら…」と言っていました。
そこにも一理あるのかもしれませんね。
でも、同じように育てられても、元気いっぱいな子どももたくさん見てきました。
だから、育て方だけが理由ではないと思います。
もちろん、理由の一部にはなるのでしょうけど…。
「子は親の性格と似る」
といいますが、必ずしもそうではないと感じることが多々あります。
いずれにしても、親の思いは、
- 良いところは似てほしい
- 良くないところは似ないほしい!
ではないでしょうか。
紫微斗数命盤を眺めると、親子の性格が似るとは限らないなんてことは一目瞭然なんですけどね。
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【欽天四化紫微斗数で考察】私は「過干渉な父親」らしい…
私の子女宮です。
青文字の「化権」、これは「生年化権」の星です。
「子女宮」に「生年化権」が入る人は、
「子どもに厳しく、過干渉になりやすい」と見ます。
自分では気づきませんでしたが…。
息子の幼少期を振り返ってみると、思い当たることがけっこうあります。反省心がムクムクと起き上がってきます。
叱った後のフォローも十分ではなかったと反省しています。
もちろん、私の接し方が原因のすべてではないでしょうが、原因の一つにはなっていたに違いありません。
叱るときに、必要以上にしつこく問い詰めることもあったと思います。
理由をわからせないまま、頭ごなしに叱りつけてフォローも不十分だったり、、、
そういうことの積み重ねが、
「ボクのことキライなんでしょ?」
「ボク、自分の名前キライだから」
などと言わせたのだと思います。4歳の頃に盛んに言っていました。
その言葉を聞くたびに、とってもイヤな気持ちになりましたね。
でも、「そんなこと言うな!」と叱るのは適切でないですよね…。
私は「思いを口に出さないよりは、吐き出してくれるほうが良い」と思います。
リアクションに困りましたが…。
どう返せば良いか悩みました。
結論として、
「ふ~ん、そうなんだ~。でも、家族はみんな〇〇のこと大好きなんだけどな~」
に決めました。
そういえば「これ買って!」の言葉に妻は「またオネダリして!」と叱ることがありました。
息子は「『買って!』って言っちゃダメなんだよね」と口にするようになりました。
私はアウトプットが大事だと考えたので、
「言ってもいいよ。でも、買えないときには『買えないよ』と言うから、そのときは『わかった』って言うんだよ。その時、駄々こねたらダメだよ」
と言って聞かせるようにしていました。
今となっては懐かしい思い出です。
こういう対応ができるようになったのも、私の「子女宮」に生年化権Bがあることを知ったからです。
自分の傾向を知って今後に生かしていくために自己理解があるわけですから。
さらに、息子の遷移宮には、生年化忌Dと自化忌Dがあり破格しています。
引きこもりを起こしやすい命盤です。
そのことも原因として大いにあったと思われます。
「小さい頃は自分がキライだった」と教えてくれた息子
8歳になってから、
「前は自分がキライだった。今は自分が好き」
と言うようになりました。
ホッとする反面、「僕のことキライなんでしょ?」はウソではなかったのだ…という気持ちにもなります。
私自身は、自分をキライになった記憶はありません。なぜかいつも変に自信家でした。
今になって理由がわかります。
四柱推命で見る私の命式は、かなりの身旺なのです。おそらく、いくら失敗してもなかなかヘコタレナイ性格です。
反省もあまりしない性格といえます。これもまた厄介ですよね。
だから、「なぜ俺の息子が?」と不思議に思うのと同時に、
「自分をキライになるなんて、4歳の子が、どんなに悲しかったのだろう…」と考えてしまいます。
私の場合には、自分の子女宮を見て、私の育児傾向を知っておいて良かったと思っています。また、自分の子どもに対する心理的傾向を把握することができました。
自己肯定感の低さが不登校・引きこもりを生む
自己肯定感が低い子どもは、思春期になると激しい反抗期に入りやすい、または引きこもりになりやすいとも言われています。
昔は、自己肯定感の低さを隠すためにツッパリになったり、大人に反抗したりする若者がたくさんいました。
自分の存在を示したい願望から非行に走る若者もいました。
そういう点では、息子の遷移宮はけっこう心配です。
命盤のとおり、幼少時から人一倍の「気にしすぎ坊や」でした。
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自己肯定感が高くない子どもへの親の接し方
精神気力の強弱は先天的な持ち物
精神力の強弱は生まれ持った先天的作用の影響がとても大きく、根本から変えることは難しいと思います。
柔道のオリンピック強化コーチに、私は次のような質問をしたことがあります。
練習ではとても強いのに、試合になると力を出し切れない選手はどう指導しますか?
あっさりと次のように教えてくれました。
「そういう選手は惜しいけど、だいたい諦めるよ。持って生まれた見えないものを変えるのは至難の業だし、プロの世界にはそれを待ち続ける時間はないからね。」
「ビビりを完全に克服した選手はほとんどいないよ。克服したように見えても、本当に大事な舞台に上がるとやっぱりビビっちゃうんだよ。そういう選手を何人も見てきた」
「それなら多少弱くても、本番に馬鹿力を発揮する選手の方がずっと頼りになる」
持ち物を根本から変えることは、相当難しいようです。
だったら、それを無理に変えるより、適性にあった方向に進んで、長所を生かしながら生きるほうがはるかに快適な人生になると思います。
子どもの持って生まれた精神気力も知っておく
幼少期の息子をもう一度振り返ってみます。
- 4歳~6歳の頃、厳しく叱られると自分の頭をポカポカ殴り、「どうせボクはダメな子だ」と叫んでいた。何度もあった。
- 4歳の頃、「ボクは自分の名前がキライ」とよく言っていた。
- 4、5歳の頃、厳しく叱ると「どうせパパもママもボクのことはキライだから」とよく言っていた。
- 4、5歳の頃、「ボクは自分がキライ」と何度か口にしていた。
7歳くらいからそういう言動が明らかに減ってきました。
小学校のクラスで勉強ができるほうだという自信が良い方向に向けてくれているようです。
これはラッキーなことでした。
ちなみに息子の勉強運は、しばらく絶好調と出ています。
最高の自己肯定は「親から愛されている」
「息子の自己肯定感を高めるにはどうしたらいいか?」悩みました。
昔読んだ教育心理学の専門書を読み直したり、最新の情報を仕入れて考えてみたりしてみました。
ところが、そんな努力とは無関係にある絶対的な事実に急に気がつきました。
最も強く自己肯定感を感じるのは、愛されていることを実感できる瞬間
これは私の自家製の言葉です。本当にある日、急に頭に浮かんだのです。
「そんなの当たり前でしょ」という内容なのですが。
他人の子どもについては何度もアドバイスや助言をしてきたのに、我が子になるとわからなくなるようです。
その日からわが家では「ギューッ」と抱きしめる回数が激増したのは言うまでもありません。
育児の先輩パパからも「ギューッ」は大事だよと何度も言われました。
この本にはお世話になりました。
親の愛情とは・・・一生懸命に頑張ること…?
子どもは親をよく見ていると言われます。私は次のことを決めました。
- 怒るときは一生懸命叱る。
- 一生懸命叱るのだから遠慮はいらない。ただし言葉は選ぶ。
- ほめる時は心からほめる。
- 遊ぶときは本気で楽しむ。
- 一日一回は心を込めてギュッと抱きしめる。
育児は考えすぎてもよくないし、考えなくてもダメみたいだし、難しいですね。
最近に息子は賢くなってきて、手が掛かって大変だった時代が懐かしく思えてきました。
だんだん手もつないでくれなくなりました。
成長は、ある意味寂しいことなのだと最近やっとわかってきました。
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