はっぴーをパワーあっぷするブログ

四柱推命・紫微斗数・奇門遁甲を中心にいろいろなことを書き綴ります

脳は物質なのに…、なぜ脳が意識・思考し、恋心まで作れるの?

人は「脳」で意識し、考え、人格もそこから生じる。

好き嫌いも「脳」から生じる。または、好き嫌いは「ハート(心臓)」から。

などなど言われていますが、さて、いくら「脳」とはいえ、「物質」です。

なぜ、物質から意識や思考、人格などが生じるのでしょうか?

「物質に意識や思考が入り込めるなら、あらゆる物質にも感情があってもおかしくないのでは?」と考えてしまいます。

脳のイラスト

脳は物質にすぎないのに…

皆さん、不思議でないですか?

私は文系出身なので、まずは、北海道大学で物理学を専攻した知人に答えを求めてみました。

 

 

物質から思考が生まれるのはなぜ?~科学を極めると哲学にたどり着く

なぜ脳から意識・思考・人格が生まれるの?~結論は「わからない」

私が質問した知人ですが、北大で湯川博士の直弟子だった先生の授業を受けたそうです。

講義の内容は、ほとんどが哲学みたいな話に終始していた」と言っていました。

結論は、「わからない」でした。

人類は、内核や外核はもちろん、マントルすら見たことがないのに「ある」としています。
それは、仮説が現在のところ成立しているからです。

その仮説が否定される新しい学説が認められると、これまで正しいと信じられていたことがひっくり返るわけです。

あくまでも私は文系出身で科学には詳しくないことを前提にお読みくださいね。

 

いつの日かビッグバンが否定される時はくるのか?

ありえるらしいです。今、そのあたりの研究も当然されているのではないでしょうか。

そもそも、ビッグバンを提唱したガモフさんですが、最初の頃は科学者たちからバカにされていたのは有名な話ですよね。

でも、今の段階ではビッグバンが最も説明がつく理論なのですね。

そういえば、腰や頸がポキポキ鳴りますよね。

空気がはじける音だとか、靱帯が…とか説がありますが、医師の友人に聞いたところ、「誰も深く研究していないからハッキリしていないのでは?」ということでした。

友人は「整形外科が専門でないため明言できないけど」と前置きしていましたが。

「なぜ研究が進まないの?」と再度尋ねると、「研究しても評価される部分でないからでないかな…」と言っていました。

整形外科の先生、読んでいたら教えてください。

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科学は未完成~だから本物の科学者は自然に対して謙虚であるはず

人間の科学が、現段階では未完成・未完全であることは誰もが知っています。

ということは、真摯に研究に取り組む科学者は決して傲慢にならず、自然や科学に対してあくまでも謙虚であるに違いないと私は思っています。

それは、すべての学問だけでなく、すべてのジャンルにおいて、真摯な姿勢で向かう人は必然的に謙虚になるものだと思います。

「上には上がいる」ことを知らない人を「井の中の蛙」といいます。

  1. 自然を研究するのが科学
  2. 未だに人知は科学を極められない
  3. ゆえに自然から謙虚に学ぶべき

だと素人ながら思います。

 

「でも、傲慢な人ってたくさんいるよ?」どんな分野でも…

確かに傲慢な人ってたくさんいますね。これについて、どう考えるかですが。

他者との比較において「あいつよりも俺がスゴいんだ」と勝手に傲慢になっているだけで、自然や学問に対して傲慢になれる人は、いるはずがないと私は思います…。

さて、運命学ですが、科学分野よりもさらに発展途上の分野だといえます

だから、人の運命について「100パーセントわかるよ!」と断言できる人は、謙虚でないと感じます。

ハッキリいうなら、傲慢。

もっとハッキリいうなら不勉強、あるいは誇大宣伝。

さらにハッキリいえば、、、やめておきます。(^_^)

  • 科学でさえ、真摯に研究するなら自然に対して謙虚にならざるを得ません
  • 運命学ならなおさら、人間や人生から謙虚に学ぶべき

なぜなら、人間の内的世界は自然に負けず劣らず奥深く、その分野の研究は科学よりもさらに研究未開拓の分野だからです。

だから、「私の占いは!」「私の実力は!」など、やたら強気に宣言する占い師の発言や記述を見ると、正直、私はウンザリします。

「あなた、何様?神様のつもり?」と思ってしまうのです。

特に、他の流派を見下したり、軽蔑したりする占い師については、見苦しささえ感じます。

インチキを自認していながら、お金儲けのために占い師をやっている人に対しては辛辣な言葉も良いでしょう。

しかし、一生懸命習得に努めている人やその流派を頭から批判するのは、人として見苦しいなと…。

そういう人が、「あなたはこう生きるべきです!」なんて言うのだから、おかしいですよね。

このことについては、またいつか書いてみます。

ちなみに私は、占いに関しては誰からも批判を受けたことはありません。

理由は簡単です。無名だからです。

ブログを読んで「その看法はちがう!」と言いたい人もいるかもしれません。

でも、まだ何も言われていません。無名ですから(^_^)。

少し過激になってしまいました。

本題に戻ります。私が尊敬する四柱推命学の師匠に同じ質問をしてみました。次のその答えを明記します。

 

ネットでもいろいろ調べてみました。

www.excite.co.jp

 

www.nikkei-science.com

 

師曰く「脳が意識・思考する理由~唯物論ではなく、唯心的にみれば解決する」

肉体は、ただの洋服みたいなもので、いくらでも衣装替えができる

この問題は、「人間は肉体である」という根本的な考え方の間違いから、起こってくるものです。

これまで信じていた唯物論をすべて廃棄して、物事を唯心的に見るようにすれば、すべて解決するものです。

私たちが見ている現象世界は、心(理念)の影を見ているようなもので、本当に実在するものは、影を作っている心(理念)なのです。

春になると、桜の花がきれいに咲きますが、それは、桜の理念が本体であって、その理念に基づいて、桜の木が形作られているからです。

ハートの花

植物には脳がないのにちゃんと生命を維持している

私たちの肉体も、個体生命(霊)が母の胎内に宿り、自分に合った肉体を母の胎内で自ら作ることによって、生まれ出てくるものです。

 

肉体ができてから、個体生命が宿るのではない

肉体ができてから、個体生命(霊)が宿るのではありません。

ちょうど、最初に繭(まゆ)があって、その中に蚕(かいこ)が宿るのではなく、蚕がまず糸を吐いて繭を作り、その中に蚕が宿るように、人間も母の胎内で心の糸を組み合わせて肉体という繭を作り、その中に自らの霊を宿らせて、肉体人間となるのです。

これから分かるように、肉体人間は死んでも、個体生命が死ぬことはあり得ません。

いつでも生まれ変わってくることができるということです。これが仏教でいえば、輪廻転生というものです。

肉体は、ただの洋服みたいなもので、いくらでも衣装替えができるのです。

少し前段が長くなりましたが、このことが理解できないと、なぜ、物質である肉体が思考したり、感情を持つことができるのかという疑問を解消することはできません。

 

人間が考えたりできるのは、心の認識をする働き、肉体が認識するではない

もし、自分の肉体が物質でできているのであれば、たとえ片腕を切り落とされても物質なら痛いとは思わないはずです。

机を叩いたら分かるように、いくら金槌で叩いても痛いとは言いません。
痛いと思うのは、心が痛いと思うのであって、物質ではありません。

それと同じように、人間が考えたり、何かを認識できるのは、心の認識をする働きであって、肉体が認識するのではありません。

ただ、肉体は、人間が認識できたり、思考をすることができるような材料として、人間自身が巧妙に作りあげたものであり、人間はそれを活用しているだけなのです。

 

感情が先にあって、それに合わせて脳が変化している

ですから、生命が作った肉体を、どんなに研究しても、どこからその人の哲学や宗教観、あるいは、憎しみの感情とか嫉妬心とか、あるいは楽しい感情などが、どうして起こるのかということ自体を発見することはできないのです。

もちろん、研究が進めば、「脳のこの部分が司っている」という箇所は特定できるでしょう。

しかし、なぜ、そういう感情が起こったのかということは、絶対に分からないはずです。

感情が先にあって、それに合わせて脳が変化しているのであり、脳が勝手に変化することで、人間の感情が後から湧き起こるものではありません。

 

人間の組織を形成しているものは何か

それでは、人間とは、いったい、どのような組織で形成されているのかといえば、次のようになっています。

  1. まず、本体である霊魂(個体生命の本体)があります。
  2. それを精妙な波動で成り立っている「霊体」が取り巻きます。
  3. その外側をやはり精妙な波動の「幽体(アストラル体)」が取り巻きます。
  4. さらにその外側には「エーテル体」が取り巻いています。

この「エーテル体」というのが、肉体の感覚器官に痛みや寒さ、熱さを感じさせる機能を付加しているのです。

そして、最後に、一番、重濁した波動で、目に見えるものとして、肉体があるのです

 

霊魂だけは生き通しの生命、永遠に死ぬことはない

これらのことは、精神科学ではいろいろと実験されて証明されているものです。

よく、催眠術では、肉体から「幽体」だけを離して、その幽体を、その場の肉体では見ることのできない、何キロ先のものを、そこに何があるのかとか、何が起こっているのかなどを、瞬時に見てきて、逐一、報告させることも可能です。

あるいは、エーテル体を離脱させることで、麻酔などを使わなくても、無痛で出術をすることも可能なのです。

ただ、「霊体」にしても、あるいは、「エーテル体」、「肉体」にしても、心の影として存在するものですので、死んでしまえば、すべて消えてしまいます。

残るのは、個体生命の本体である「霊魂」と「幽体」のみということになります。

なぜ、「幽体」が残るのかといえば、これは、個体生命が肉体人間として経験したものを記憶させる場所だからです。

これは、生まれる以前のものもすべて記憶に残しています。この記憶があるから、生まれる以前の過去のことも因果として巡ってくるのです。

基本的に、霊魂だけは生き通しの生命であり、永遠に死ぬことはありません。だから、生命と言うのです。

死ぬために生まれてくる生命というのは矛盾する言葉です。一般の人は、そのように思っていますが。

 

補足説明~地球にも心がある

目に見える現象世界は、すべて、心(理念)が支配しているものでありますので、形あるものには、すべて心があります。

ここで、心というのは、理念とか智恵というものも含みます。

たとえば、地球などは、心がないただの丸い星だと思っているかもしれませんが、この形を維持しているということは、心があるのです。

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心がなくなると、形は維持できなくなります。

たとえば、肉体人間も生きている間は、一定の形を維持しています。

しかし、魂がそこにいなくなると、肉体人間は、そのままの形を維持することができず、腐敗して、元の形をとどめことはありません。

ですから、一定の形をしている以上は、心があるのです。

「地球に心がある」などといえば、正気の人間とは思えないかもしれませんが、よく考えてみてください。

この地球上の生物は、すべてこの地球から生まれてきたものであり、地球そのものが命(いのち)だから、植物が栄え、動物も栄え、もちろん、人間も栄え、森羅万象が存在できるのです。

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あとがき

人を好きになるときは、ハートを用います。

ハートすなわち心臓に恋心があるとします。

ハートのイラスト

「好き」を認識するのは心臓?ではない

しかし、本気でそれを信じる人はいないでしょう。やっぱり恋心も脳が司ります。

それでも、脳はあくまでも物質です。物質が恋心を作り出すなんておかしい、と考えるのが普通でしょう。

いろいろ調べてみましたが、有力な科学的説明は見当たりませんでした。

 

さて、皆さんはどう思いますか?

私は師匠の説明が最も真実に近いのだろうと考えます。

これからも考察を深めていきたいと思っています。

長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 

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