人の心は常に動いていて、時に矛盾も含むもの。
「あの時はこう考えていたけど、今は…」
それを「悩み」とか「迷い」と呼ぶのですね。
気が変わりやすいことに罪悪感を抱く人もいます。
でも、心は常に動くものです。生きている証しです。
ただし、言葉にしてしまうと決定事項として認識されてしまいます。
「あの人の考えは〇〇だ」と。
【心】常に変化し揺れ動く「生きている証し」
たとえば、「3日前の考えが今日になったら変わった」などは当たり前にあることです。
- 前までは大好きだったけど…、昨日の態度で微妙になった
- 3日前に読んだ論文で、自分の間違いに気がついた
- 尊敬していたのに、まさかあんなことをするなんて…
- あの人の意見を聞いて方向転換の必要を感じた
- この家快適だったのに、重大な欠点がわかってイヤになった
- イヤな上司と思っていたが、すっかり見直した
- 自分の企画に自信を持っていたが、指摘を受けて自信がなくなった
- 思い切って登校しようと決めていたが、迷いが出てきた
- 獣医志望だったが、ある本から地球物理への関心が高まった
- 好きでなかった芸能人だったが、経歴を知って親近感がわいてきた
- 野球は好きでなかったが、一度テレビ観戦してから大ファンになった
- 愛していたのに幻滅した
【言葉】心のどこかの時点で発するもの
ところが、思いを言葉にすると周囲には決定事項として捉えられてしまいます。
「Aさんは〇〇だと思っている」と。
今日になって考え方が変わっても周囲の人は、
「Aさんの考え=〇〇」ですでに定着しています。
でも、今のAさんの思いは「〇〇ではなく◆◆に変わった」。
Aさんに罪はありませんね。人の心は移ろうものですから。
3日前に言葉にした時点では、Aさんの考えは確かに〇〇だったのです。
決してウソをついたわけではありません。
ただし、大事なことなら早めに訂正の意志を表明する必要があります。
たとえば、仕事に関することや人間関係に影響を及ぼすものなど。
しかしながら、情報がはやくも広まってしまっていたら手遅れになることもありますね。
また、訂正が重なると「信用できない人」「優柔不断な人」「考えがコロコロ変わる人」などのレッテルを貼られてしまいます。
言葉って怖いですね。
でも、批判する人の心が不動かというと絶対そうではないはずなのです。
誰もがみんな心の中の思いや考えは揺れ動きます。
そうでないと、世の中の人全員が「不動の心を持つ人」です。または「悟りを開いた人」というのでしょうか。
そんなはずはありません。
だから、考え方や感じ方が変わることを必要以上に恥じることはないと思うのです。
対策としては、
- 心配なら「今の考えでは」を先に言う
- 変わった後なら、変化した理由を言う
- 周囲を振り回してしまったらお詫びする
- 下手な言い訳はしない
- 心が変わった理由を整理しておく(今後のため)
でしょうか。
【心と言葉】考えが変わることは悪ではない
だいたい、考えが変わることは悪ではありません。
学説にしても前に発表したことに固執しても良いことはありません。
間違いに気づいたら、即時訂正するのが前進に繋がるはずです。
そこに余計なプライドを持って固執してもマイナスしか生みません。
そもそも、考え方や感じ方が変わるのは、生きている証しではないでしょうか。
ただし、言葉には「その人の考えを固定する」効果があることは認識しておいたほうが安全ですね。
言葉には、揺れ動く考えや感じ方を固定する力があるのですから。
「Aさんはこう言っていたよ」。これで決定的に認識されてしまいます。
でも、迷う、悩む、、、。これらは心の揺れ動きですね。
「心の揺れ動き」から「揺れ」を取り除けば、「心の動き」となります。
本来、心は動くものです。
「揺れ」というマイナスのイメージはいらないのでは?と感じます。
進路選択にしてもそうですよね。
東大にしようか京大にしようか。文系にしようか理系にしようか。
こういう心の動きは前を向いているからです。
大学で勉強したいと思うから心が動くのですね。
厄介なのは、発した言葉はそのままでは変化してくれないことです。
- 言葉は動かないもの
- 心は本来動くもの
ここに矛盾があります。
でも、一番困るのは心そのものが動かなくなることです。
たとえば、「学校なんか行かない」「進学なんかしたくない」。
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【言葉の機能】人の心を揺らし動かす効果
揺るぎない決心をする!
決めた目標に向かって心が動かないのはよいことですね。
「不動心」「強い決意」。いい言葉です。
しかし、マイナス方向に固まって動かなくなった心ほど悩ましいものはありません。
「もう頑張りたくない」「絶対行きたくない」など。
周囲も深刻に悩んでしまいます。
動かなくなった心は、揺らしてあげる必要があります。
こういうときの「揺らし」は悪い意味ではありません。
そして、そんな時に活躍するのはやはり「言葉」でしょう。
いわゆる「声かけ」ですね。
昨今、「言霊で開運!」を時々見聞します。
よい言葉を使って開運しましょう!というものですね。
私は、「最高のことだま」は、頑なに動かなくなった人の心を揺らしてあげる言葉だと思います。
「私はもうダメ…」「もう頑張れない」「生きる意味がわからない」など。
そんなとき、間違っても「頑張れ!」は禁句ですね。
そういうときの声かけは本当に難しいです。
でも、ホンの少しずつでも前向きに心を動かしてもらうこと。
焦らず、優しく、愛情たっぷりに。
そして、心がホンのわずかでも動いてくれたなら…。
言葉にはそういうパワーがあると思います。
でも、その根底にあるのは「心」ではないでしょうか。
私は自分の運気アップのための「言霊」にはあまり良い印象を持っていないのです。
美しい言葉なんか無理に聞かなくてもいい。ホンネを聞きたいものです。
- 心の言葉は自分の内部への語りかけ
- 声の言葉は他者など外部への語りかけ
それが本来の機能だと思うからです。
また、言葉はときに大きな感動を生み出します。
本音ではない言葉に感動を生むパワーはないと思います。
その言葉がたとえどんなに美しくても。
- 心は常に動くもの
- 言葉そのものは動かなくても、人を動かすパワーがある
心の変化と言葉との関係性についての雑感を書いてみました。
考え方が間違っていたら、熟慮して訂正します。
私の考えも決して不動ではないからです(^_^)。
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