はっぴーをパワーあっぷするブログ

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【石の上にも三年】は遅れのことわざ?大学時代の下宿の思い出

下宿のおじさんから届いた年賀状に書かれていたひと言「何事も石の上にも三年だよ」。

1992年のお正月。当時の私は社会人1年目でした。

「そうだよな。ツラくても3年は我慢しないとな」と思ったものです。

「石の上にも三年」。そういえば最近耳にしない言葉だなと昨夜突然思い出しました。

懐かしい下宿の思い出と一緒に。

「石の上にも三年」は時代遅れ?

「石の上にも三年」は時代遅れ?

 

ことわざ「石の上にも三年」はすでに死語(化石語)?

「石の上にも三年」で生きる時代は終わった?

  • 冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる。がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ。

今はスピードが求められる時代です。

「ボヤボヤしていたら手遅れになる」という世の中になってしまいました。

ネットやスマホの普及がそれに拍車を掛けているのは言うまでもありません。


学校の欠席連絡も、電話はすでに時代遅れ。楽メなどメール配信サービスを利用して指先一本で済ませる時代です。

タクシーの配車も、病院や飲食店の予約も指先一本で済みます。


終身雇用制も崩壊し、長く勤務することが美徳とされない時代になりました。

「条件が悪かったら、もっと良い会社に」

「自分を押し殺してまで勤務する必要はない」

「そんな会社、早く見切りをつけないと時流に乗り遅れるよ」


こんな時代なので、「石の上にも三年」はもう古い?

しかし、次のようなことわざもあります。

Plants too often removed will not thrive.
(頻繁に移植された植物は繁茂しない)

⇒やたらと職業を変えるな

これも時代遅れのことわざなのでしょうか?


こういうことに詳しいのは、こちらのブログが圧倒的にスゴいです。
いつも、「へぇ!なるほど!」の連続で拝読しております。
実体験を経由して、相当深く勉強されている方だと思います。

tomohiro358.hatenablog.com

 

下宿のおじさんが言いたかったこと「3年間は我慢だよ」

年賀状を読んだ私は、次のように理解しました。

「新入社員時代は苦労するのが当たり前。一人前になるには3年は必要。それまでは歯を食いしばって頑張りなさい」

確かに新入社員時代はキツいことがたくさんありました。

自由時間があった学生時代とは全てにおいて雲泥の差でしたから。

キツいノルマもありました。

「今年の新人はダメだ」という先輩からの精神的圧もありました。

新人同士で飲みに行くと、「辞めたい」というボヤキが聞こえてきたものです。

もちろん、私もボヤいていました(^_^)。

 

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私の愛読ブログです。タメになります。

fire-money.hatenablog.com

【下宿のおじさんは苦労人】奥さんで苦労した(ハズ)

イメージ的にはこんな家

イメージ的にはこんな家(無料イラストから)

【下宿のおばさん】いい人だけど奇行が…

「おばさん=おじさんの奥さん」です。

普段は悪い人ではありません。むしろ、おせっかい焼きさんです。

私に下宿を紹介してくれたOくんが言っていました。

「風邪で寝込んでいるとき、夜中も2時間おきに『大丈夫かい?』と部屋をノックして来る。満足に眠ることもできず、しまいには腹が立ってきた」

という感じです。かなり迷惑したみたいですが、心根は優しいのでしょう。

でも、本当に困ることもたくさんありました。

突然、理解できないことを言ってくるのです。時には睨み付けながら。

次にエピソードを列挙?します。

 

「部屋に誰かを隠しているでしょ!?」

おばさん「夜中に部屋に誰かを招き入れたでしょ?」

下宿人「え?何のことですか?」


朝食時に何度も交された会話です。

だいたい1か月に1度はありました。

突然身に覚えのないことを言われて、下宿人は困惑します。

 

Hくんは、いきなり合鍵を使って部屋に入られ、押入れからベッドの下までくまなく点検されたこともあります。

「おい、おい、何とか言ってよぉ」と私の部屋に避難してきたこともあります。

私も言われたことがありますが、一番頻度が多かったのはHくんでした。

どうもウマが合わない2人でしたから。


おばさんは、下宿への不法侵入になぜか大変過敏でした。

「下宿人が不審者を招き入れるのでは?」

という不信感を常に持っていました。

もちろん、そんなことをする下宿人は誰もいませんでした。

ちなみに下宿人は、合計で4人でした。

 

 

「勝手に風呂に入ったでしょ?」

「夜中に勝手にお風呂に入ったでしょ?」

これも定番でした。

下宿の風呂は家の離れにありました。

「カギがないと無理ですよ」とHくんは口を尖らせて反論します。

これもなぜかHくんが多く疑われました。

すると今度は、「針金か何かで開けて入ったんでしょ」とおばさんは決めつけます。

「そんなことしてません!するはずないでしょ!」

Hくんは、不服そうに「ごちそうさま」と食事をやめて部屋に戻ることもありました。

「お風呂冤罪」は、HくんとOくんが多かったです。


こんなこともありました。

おばさん「ベーアさん、今朝Mさんの部屋の前にこんなものが落ちていたの」

私「何かのネジですね」

おばさん「疑いたくないけど(おばさんはなぜかMくんを一番信頼していた。その次は私だったと思う)、〇さん、これを使って夜中にお風呂に入っているのでは…」

私「おばさん、ネジでカギを開けるなんてプロの泥棒だって難しいですよ」(まったく、風車の弥七じゃあるまいし)

おばさん「そうかねぇ」(と不満そう)

ネジでカギ開けなんて…。風車の弥七じゃあるまいし…

ネジでカギ開けなんて…。風車の弥七じゃあるまいし…



こういうときは、どんな理屈もおばさんには通用しません。

おかげで、強い思い込みは「理屈や理論を簡単に凌駕する」ことを学ぶ良い?機会になりました。

 

「夜中に天井から毒の粉をふりかけたでしょ!」

「毒の粉が…。顔に傘をさしながら寝た」

「毒の粉が…。頭に顔をさしながら寝た」


「アンタたちいい加減にしなさいよ!」

ある朝、突然激しく怒鳴られました。

全員ではありません。こういうとき、いつもMくんだけは例外でした。

彼は大学教授の息子で、おばさんも一目置いているみたいでした。

また、アニメマニアのいわゆる完全なオタクで、子どものような純真な性格でした。

今ならアスペルガーと言われたと思います。

大学の書店で立ち読みしている時、ずっと隣に立っていても全然気づかない男でした。

そんな性格だから、おばさんも「Mさんは大丈夫」と信じていたのでしょう。

(唯一、部屋の前でネジを発見したときだけは例外だった)


「おはようございます」

一人一人が挨拶をして茶の間に入ります。

おばさんが何かを想像して機嫌が悪いときは、スゴい形相で睨むばかりで返事もしてくれません。

その日は、(「粉」の日は何度かありました)

「夜中に天井から毒の粉を私に振りかけている」と言うのです。

「天井から粉をかけるなんて無理ですよ」

これは私も疑われました。

何を言おうと聞く一切聞く耳を持ちません。

「口に粉が入るから、コウモリ(傘のこと)を置いて寝たんです!」


こればかりは、夜中に下宿の仲間(3人)で集まって笑ってしまいました。

「寝ながら傘をさしてる姿を想像してみろよ。マトモじゃないぜ」

でも、毎日何度も顔を合わせる関係です。

笑った後には、「おい、どうする?」「何か方法ない?」「俺はもうここはイヤだ」。


結局、Hくんは契約満了前に引っ越して出ていきました。

おばさんは怒りました。「契約違反です!」。

しかし、Hくんも言い返しました。親も怒って電話してきたそうです。

それで、違約金なしで強引に出ていきました。

共に苦労する戦友が去るみたいで寂しかったですね。

 

私も我慢の限界に!?手紙を開封された

手紙が無造作に開封されていた

手紙が無造作に開封されていた


「こんばんは」

ある晩、夕飯時に茶の間に入ると、いつもに増してスゴい形相で睨まれました。

おばさん「引っ越して出て行くつもりでしょ!?勝手なことをされたら困るんだから。契約違反ですよ!」

私「そんなこと考えてないですよ」

おばさん「じゃあ何で住民票なんか送ってもらうの?」

私「???。何のことですか?」

おばさん「自分の胸に聞いてご覧なさい!」


怖ろしい剣幕に私も言葉を呑み込みながら部屋に戻りました。

部屋のドアに手紙が挟み込まれていました。

その手紙は、 すでに開封されていました。中には親に頼んでおくってもらった住民票が。

この時は、本気で「下宿を出よう」と思いました。

おばさんは手紙の中にある住民票を見て、「ベーアさんは下宿を出るつもりだ」と間違った直感を働かせたのですね。


どんな理由で住民票が必要だったか忘れました。(何かの手続きだったような)

それまで手紙を開封されたことは一度もありませんでした。

どうして住民票が入っている封筒に限って?

もしかしたら、手紙の中身を毎回透かして見ているのかも…。

でも、透かして見えるほど薄い封筒ではなかったはずです。

今でも理由はわかりません。


とにかく、この日ばかりは私も頭に来ました。

深夜、友人の家に行き、「あそこはもう耐えられん」と怒りまくっていた記憶があります。

それでも学生の身分です。お金がありません。

結局、耐えることにしたのでした。

 

「タクシーに乗っていたら怪しい車に尾行された」

「怪しい車に尾行された」

「怪しい車に尾行された」

「今日、私ね、尾行されたから運転手にお願いして巻いてもらった」

おばさんの主な食材の仕入れ先は、一番町にあったダイエーでした。

ふだんはバスを使っていましたが、時々タクシーも利用していたようでした。

そんな日の夕食時に「尾行された」と私たちに話したのでした。

 

対応に慣れている下宿人たちは、「あ、そんなことがあったんですか」と話しを合わせたものです。

「そんなことあるわけないじゃないですか」などと言っても通用する相手でないことは全員が承知しています。

話の聞き役になるのはだいたい私でした。Oくんがその次。


Hくんは呆れ顔で全員に「また始まったぞ」と合図をしてきます。

だんだん慣れてきていたというのが実際のところでした。


そんな夜も下宿人は集まって会議をします。

「そんなことを言われた運転手、どんな気持ちだったのかな?(笑)」

「バカなおばさんだなと思ったに決まってるじゃない」

「でもさ、尾行したら距離が伸びるよね。ラッキーと思ったのでは」

「いや、きっと気持ち悪いが先だよ」

 

「道路から学生が家を覗いている」

「自転車を置いて道路から家の中を覗いてくる」

「自転車を置いて道路から家の中を覗いてくる」


「道路から学生が家をずっと覗いている。あれはアンタたちの友達でしょ?何でそんなことをさせるの!?」

その相手は、全然面識もない隣の下宿人でした。

下宿の前の斜め道路は、近くの下宿人の自転車置き場になっていたのです。

自転車を置くとき、チラッとおばさんと目が合うとアウトだったみたいです。(おばさんの機嫌による)

 

おみやげ「いらないから返します」

おみやげは必ず返却された

おみやげは必ず返却された


実家に帰省しておみやげを買って渡すと、その時は受け取ってくれます。

しかし、夜になると部屋にやって来て「これ、いらないから返します」。

下宿人「返してくるのは失礼だよね」。

 

勝手に入って部屋の点検

皆(Mくん以外)おばさんの睨みや言葉に動揺し傷つけられました。

朝、目が覚めるとおばさんがいた!

押し入れに人が隠れていないか調べている最中だったこともあります。

つまり、勝手に部屋に入ってきていたわけです。(ノックも無しに)

これは、全員が被害に遭いました。(Mくんはわからない)


枕元に立っていて「 夜中に誰か家から出て行ったでしょ」

と睨まれたこともあります。

 

医学部の先輩「危険だ。スグ出ろ」

医学部の先輩に「早く出ろ」と言われたのは、これらのエピソードを話したときです。

他の友人は「ウソだろ?」と笑っていましたが、その先輩だけは真顔で「恐らく、精〇分◇病だ。すぐ出ろ。危ない」と言いました。

「悪化したらナイフを持って現れても不思議じゃないぞ」
 


いったんエピソードを小休止。

恐らく、おじさんには叱られたのでしょう。

おじさんがいるときは、おばさんの口撃はかなり控えめでした。

ただ、無言で睨むので居心地が悪いのは変わりませんでした。

しかし、荒れた時期のおじさんがいない時間帯は大変でした。 

 

そういう時には理屈は一切通用しません。

「誰も部屋に入れてなんかいません!」

「証拠はあるんですか!?」(こういう発言はHくん)

「針金で鍵なんて開けられませんよ!?」

「夜中のお風呂なんか入りたくありません!?」

と言っても全然信じてくれませんでした。


「おばさんの妄想には困ったものだ」と下宿人はいつも悩んでいました。

 

お風呂が自慢!過剰な防衛意識が

家の横にトタンで建てられた風呂場がありました。

つまり、風呂場は離れにあったのです。

入るにはカギを開ける必要がありました。

冬の寒い日、玄関から出て風呂場まで歩くのは寒かったですね。(数メートルでしたが)

シャワーがおばさんの自慢でした。「ウチのお風呂はいい!」が 口癖でした。

だから、お風呂に関しては特に強い防衛意識があったのだと思います。

 

電話「今忙しいです!」ガチャン!

玄関先にあった電話「まさにコレ!」

玄関先にあった電話「まさにコレ!」公衆電話だった


当時は携帯電話がない時代です。

用事があるときは下宿に電話が来ました。

機嫌が良いときは取り次いでくれるのですが、夕方4時から6時くらいはダメでした。

「今忙しいです!」ガチャン!

友達から「怒鳴られて切られた」と苦情を言われたものです。

 

今、無性に懐かしい!「二度と戻ってこない日々」

ここまで書いて懐かしさがこみ上げてきました。

不思議なことに憎いなどの悪い感情はありません。

私自身は、4年生になると「疑惑の枠」から外れました。

私には冤罪を掛けなくなったのでした。

数年同じ屋根に暮らして、もしかしたら信頼感を持ってくれたのかもしれません。

恐らくそうです。

おばさんのナス料理は絶品だった

おばさんのナス料理は絶品だった


就職が決まって私が下宿を出る最後の夜、涙を流してくれました。

好物のナスの煮物も作ってくれて。(焼肉のタレが隠し味だと言っていた)

あの涙で全てのムカつきが洗い流されたに違いないのです。

私はバイクにまたがって、最後のサヨナラをしました。

ヘルメットの中にある私の目からも、止めどなく涙がこぼれました。


思い出しながら文字を打つのは、過去を鮮明にしてくれるものですね。

今、無性に懐かしいのです。

20代の大学時代。二度と戻ってこない日々です。

 

【下宿のおじさんは苦労人】おじさんの人生(聞きかじり)

おじさんは一時期八百屋を経営していたらしい

おじさんは一時期八百屋を経営していたらしい


おばさんがそういう人でしたから、おじさんの苦労は並大抵ではなかったはずです。

でも、「ごめんな、うちの母ちゃん、おかしなことばかり言ってこない?」

これは一度もありませんでした。

下宿人は、「おじさんは知らないのかな?」

「知らないはずないでしょ」

「おじさんに相談してみる?」

「相談しても困らせるだけじゃない?」

「おじさんも困っているはずだよ」


「おじさんはいい人」。これは全員が納得していました。

食事の時は、人生経験や世相について語ってくれたりしたものです。

愛情を感じました。でも、深い過去は話してくれませんでした。

一方、おばさんは基本的にお話し好きです。(機嫌がいいときに限る)

断片的に聞きかじったおじさんの経歴は次のようになります。

  • 若い頃は、八百屋(川内追廻近辺?)をしていたが、失敗した。
  • 親戚は肉屋をしている。
  • お子さんを亡くした。(おばさんがチラッと口にした。生まれてすぐに何人か亡くなったらしい)
  • 一人息子の〇〇さん(記憶しているが、ここでは省略)は、一人前になり一流デパート(これも省略)に勤務している。
  • 息子夫婦は実家にほとんど帰ってこない。(おばさんがこぼしていた。下宿人は「そりゃそうなるよね」と)

 

私が学生時代だった当時、おじさんは70歳くらいでした。

黄色い帽子を被って自転車に乗る東北電力の集金のお仕事をしていました

「もうすぐ退職なんだよ。そしたらお母ちゃんの下宿を手伝う」と言っていました。

 

【衝撃】10年後、下宿を訪ねたときの驚き

「下宿がない…」「新築アパートになってる」

卒業して10年くらいが経過して、仙台に行く機会に恵まれました。

ワクワクする気持ちを抱きながら懐かしい下宿に到着すると、「家がない…」。

おばさんで不思議だったのは、近所の人と会話することをひどく嫌がっていたことです。

それは下宿人も言っていました。「変だよね」と。

近くに商店がありましたが、「買い物してもいいけど会話はするんじゃないよ」。

隣も下宿屋でした。

「あの大家は性格が悪いから会っても挨拶するんじゃない」と言われていました。

そこに住む下宿人まで嫌っていました。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の状態です。

前述した「家を覗くんじゃない」はその延長です。

ズカズカと近くに行って「わたしの家を覗くんじゃない」と怒鳴ったこともありました。

話を戻します。

「10年ぶりに会える!」

アポイントなしで下宿を訪れました。

「どうせ家にいるだろう」と思い込んでいたからです。

それに、急に行くことがサプライズになると勝手に思っていました。


「下宿がない…」

懐かしい風景はすっかり変わっていました。

下宿の建物の代わりに、新しいアパートが3棟ばかり建っていました。


「あの老夫婦、お金を溜め込んでいたに違いない。アパートを3棟も新築するなんて!」

アパートを見回って「〇見」の表札を探しました。

どこかの部屋に入っていると思ったからです。

下宿にはあった表札が「どこにもない…」

下宿にはあった表札が「どこにもない…」


しかし、いくら探しても見つかりません。

私は困りました。

そこに、灯油屋さんの軽トラックが通りかかりました。

私「〇見さんはどの部屋に住んでいますか?」

灯油屋さん「たぶんここには住んでいないと思います」

私「え?どこかに行っちゃったんですか?」

灯油屋さん「〇本商店に聞けばわかると思いますよ」


〇本商店は、下宿から数十メートルの場所にありました。

 

衝撃の事実を知って、私は言葉を失った…

〇本商店のご夫婦は、幸い私のことを覚えていてくれました。

よくタバコを買いに行っていたからでしょう。

「わかるよ。〇見さんの下宿にいたよね」と。

まずわかったのは、二人とも施設に入っていることでした。

そのためでしょうか(もう利害関係がない)、いろいろなことを教えてくれました。

箇条書きにします。かなり驚きましたから。

  • 数年前からおじさんの足腰が立たなくなった。
  • その後、おばさんも時々めまいで座り込むようになった。
  • 下宿をやめて奥にある古いアパートに二人とも引っ越した。(おばさんが「私のアパートと言っていた)
  • 民生委員が週に何度か出入りしていた。(二人とも足腰が立たなくなったらしい)


私「下宿を辞めて、自分のアパートに移ったんですね」

商店「あのアパート、〇見さんのでないよ」

私「え?」(ほとんど絶句)

商店「下宿もアパートも〇見さんが借りていたものだよ。土地も建物も△町の◇◇さんという人の持ち物だよ」

私は、何が何だかわかりませんでした。

しかし話していくうちに、謎が解けてきました。

つまり、

  • 下宿の建物はそもそも借家だった。
  • その建物で下宿を営んでいた。
  • 下宿代から得た収入で、本当の?大家に家賃を払っていた。

私「ではアパートは?」

商店「あれは管理を任されていただけだよ」

私「管理…」

管理が何を意味するのか、その辺りの事情は今でもよくわかりません。

とにかくわかったことは、おじさんもおばさんも決して生活が楽ではなかったということ。

「ここに住めなくなっちゃたんだ…」


そういえば思い当たることがありました。

まず、下宿の建物の裏に張り付いていたトイレ小屋のこと。(下宿の建物の一部だった)

そこを利用するのは、裏に住む九十歳過ぎの一人暮らしのおばあさんだけでした。

小さな木造の家を出て〇見さんの家にくっついて建っているトイレ小屋を使っていたのです。

寒い日など不便だったに違いありません。

そのおばあさんのことを「裏のバンツァン(婆さん)」とおばさんは言っていました。

謎だったのは「話しかけられても無視しなさい」でした。

下宿人「どうしてですか?おばさんの家のトイレを使っているのに?」 

おばさん「まともな人じゃないからしゃべるんじゃない」

裏のバンツァンのトイレが謎だった

裏のバンツァンのトイレが謎だった


何となく謎が解けました。

つまり、借家の上に下宿をしていることを知られたくなかったのです。

そのことを誰かに告げ口されることを恐れていた。これはあくまで私の推測ですが。

またまた思い出しました。

私は値切って、6万円の下宿代を5万8千円にしてもらい入居したのでした。

ずうずうしい学生でしたね~。

そのとき、最後まで値引きを渋っていたのはおばさんでした。

「だってこの人が一番いい部屋に入るんだよ。それなのに他の人と同じ家賃だと不公平でしょ」(他の部屋は5万8千円。私の部屋は少し広いので6万円)

おじさんは「でもこの人が入らなかったらまた空き部屋になるんだよ。それよりはいいじゃないか」

おばさん「だって、◇◇さんも家賃を上げたんだよ」

そのとき、おじさんの顔色が変わりました。

「お母ちゃん、それは言うな!」

おばさん夫婦も家賃暮らしだった?

おばさん夫婦も家賃暮らしだった?


私は、「他の下宿も家賃を値上げしているんだから」とおばさんは言いたいのだと思いました。

それにしても、おじさんが急変したのは不思議でした。

「まあいいか」という気持ちでその場で契約したのですが、その謎が解けました。

なんだかミステリーみたいですね。


つまり、こういうことです。

  • ◇◇さんは、下宿の建物の大家さん。
  • その人は、〇見さん(下宿の大家さん)への賃料を値上げした。
  • それなのに、私の家賃を値下げするのは割に合わない

と言いたかったのでしょう。

おじさんは「借家を下宿にしていることがバレてしまう。それだけは言うな!」と言いたかったのでしょう。


令和の今はそんな下宿は存在しないと思います。

昭和の終わりから平成にかけては、まだ存在したんですね。

それでもかなりレアな下宿だったと思います。

 

その事実を知っても私には怒りとか裏切られたとかの感情は起きませんでした。

大変だったんだな…。

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「石の上にも三年」老夫婦は石の上に何年腰掛けていたのだろう

おじさんは、3年どころかずっと長い年月冷たい石の上の腰掛けていたのかも…。

いや、おばさんだって。

でも救いだったのは、あの夫婦は仲が良かったことです。

それは、下宿人皆が言っていました。


「おじさん、よくやっていけるよな」

「何だかんだ言ってもあの二人仲いいよね」

テレビは狭い部屋に不釣り合いなくらい大きかったです。

「父ちゃん、せめてテレビだけは贅沢したいってさ。だから無理したの(笑)」

「今日の父ちゃんおかしいんだから(笑)。何年生きるかわからないから、今日は腹一杯歌いたいと珍しくカラオケに出かけたの」(笑)

おばさんも、おじさんが大好きだったみたいです。


※ここで記事を終えようと思ったのですが、またいろいろ思い出がよぎってきました。

次に「思い出の備忘録」として書き足します。

 

【思い出の備忘録】最後にエピソードを追記します

私がバイク事故で入院したとき、週に何度も来て洗濯してくれた。

 

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大学3年の3月、北海道から友人2人が泊まりに来た。

下宿に泊めることを快諾してくれた。

布団まで用意してくれた。

最後の日に、とんかつ大町で全員に奢ってくれた。

 

25歳くらいの時、自宅の電話が鳴った。

おばさんだった。

「留萌の人が下宿に入ることになったの。紹介してくれてありがとう」

同じ北海道と言っても留萌の人にまで私は面識はない。

紹介した覚えもなかった。

そのことを話しても感謝の言葉が続くため、「いえいえ、よかったです」で話を終わらせた。


ある日(大学時代)、早めに晩ご飯に行くと、

おばさん「あ、見つかっちゃった(笑)」

カニを食べていた。

おばさん「前に下宿に住んでいた人が送ってくれたの」

うれしそうだった。

そのことを思い出したので、私は27歳のとき鮭を送った。

電話が来た。おばさんだった。当然、お礼かと思って気持ちよく挨拶した。

「どうしてこんなことしたの?」と怒っていた。

「こんなのどうしたらいいの!」

おそらく、その前後に下宿を閉じたのだと思う。

 

 

今日の記事は私の思い出話に終始しています。

最後まで読んでくださった方には心から感謝申し上げます。


過去記事もどうぞごひいきに。

 

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